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第8話

縁側に面した居間に案内され、藤代さんが淹れてくれたお茶をごちそうになる。 座布団の上で正座し、きょろきょろあたりを見回す。日水村一番の地主ってのは間違いなさそうで、だだっ広い庭の隅にでっかい土蔵が建っていた。 涼しげな顔で茶を啜る上司に囁く。 「呪い蔵といい勝負だな」 「お宝眠っとるかも」 「たとえば」 目線を上に投げ、ちょこっと考える素振りをする。 「匠が作った張り形」 「お宝ってそっち?」 「うちの蔵には春画の山が眠っとった」 「知りたくなかった性の目覚め」 俺も大概だけどコイツも下ネタ好きだよな。忙しげに廊下を歩く音が響き、清美さんが障子を開ける。 「お待たせして申し訳ありません」 「お舅さんの具合悪いんですか」 「起きた時にそばにいないと不安がるんです。記憶が混濁してるんでしょうか、私をお母さまと間違える時もあるんですよ」 昼間は家政婦さんが手伝ってくれるとはいえ、広い屋敷を行ったり来たりしてちゃ大変そうだ。 茶倉が肩を竦める。 「ご当主にも挨拶したかったんですが、自重したほうがよさそうですね」 清美さんが卓の正面に座り、一枚の写真を差し出す。 「夫の尚人です」 茶倉が持った写真を横から覗き込む。 尚人氏は五十代の頑健な男だ。エラの張った無骨な面構えは押し出しの強い印象を受けた。 「村の人たちは色々言いますが、私には良い夫でした。後妻に迎えてくれた事も感謝しています。恥ずかしながら私の方の実家とは絶縁しておりまして、故郷ができたのが嬉しかったんです」 人生いろいろだ。しんみりしてる最中、だしぬけに土下座する。 「お願いします茶倉さん烏丸さん、夫の事故の真相を解明してください。警察の方々に祟りの事を話しても取り合ってもらえません、お二人だけが頼りなんです」 「そんな大袈裟な、頭を上げてください」 「私からもお願いします、尚人さんの事は子供の頃から見てきました。少々強引な所はありましたが、あんな亡くなり方は気の毒です。尚人さんの成仏の為にも、おきゅうさまの真意を知りたいです」 すかさず藤代さんが続く。茶倉はしれっと受け流す。 「前払い頂いた分はきちんと働きます。ご安心ください」 俺には手も足も出ず悪霊や化け物に脅かされる人たちの気持ちがよくわかる。期待にはこたえたい。成功報酬ゲットすりゃボーナスもらえる、なんてゲスい下心はひとまずおいといて。 茶倉が質問する。 「藤代さんは日水村で生まれ育ったんですよね」 「はい。村を出たのは就職の時だけ、その後すぐ辞めて戻ってきました」 若い頃は信用金庫の受付として働いてたらしい。意外な一面だ。戻ってきた理由は村で一人になる母親が心配だったからだそうだ。あっぱれ親孝行。 「おきゅうさまの存在を信じてらっしゃるんですか」 藤代さんが困惑する。 「信じる信じないというか、物心付いた頃から当たり前にそこに在るものとして受け入れてきました。お山に入るな、社で遊ぶなが不文律でしたし……」 「姿はご存じないんですか」 「知りません。社にご神体が祀られていたのかもしれませんが、実際見た事はありません。見たら目が潰れるぞとさんざん父や母に脅されておりましたので、あえて禁忌を犯す気にもなりませんでした。ですが気配は感じました。上手く言えないんですけど、常にどこかで何かに見られているような……」 おきゅうさまは土を肥やし、実りをもたらす神様なのだと補足する。 縁側の向こうに鬱蒼と立ちはだかる日水山を一瞥し、藤代さんが俯く。 「日水村は山に日を遮られる貧しい村です。山間の盆地なので夏は蒸し暑く冬は凍て付くように寒く、土地は痩せておりました。加えて言うなら大層水捌けが悪かったとかで……おきゅうさまはそんな日水村の百姓たちに、身を粉にして畑を耕す知恵を授けてくれたんですよ」 「五穀豊穣を司る神様ですか」 藤代さんの口調には昔話を語り聞かせるような含蓄があった。子供の頃から周囲の大人たちに聞かされてきたに違いない。先祖代々受け継がれてきた素朴な信仰心や、土地神への感謝の念も滲んでいる。茶倉がさりげなく話題を変えた。 「村で一番おきゅうさまに詳しいのはどなたですか」 「ああ……それならうちの母が。今年で百三歳、村の最年長です」 「百寿とは凄い。後でお話をうかがってもよろしいでしょうか」 「どうぞ、お待ちしています。いま地図を書いてお渡ししますね」 日本人の平均寿命は年々長くなってるらしいが、それにしたって長生きだ。素直に感心。ちなみに百寿は百の祝いで、九十九歳だと百から一引いて白寿になる。日本語は面白い。藤代さんが気まずげに付け足す。 「ただ……認知症の傾向が出ておりまして、意識がはっきりしてる時とそうじゃない時の差が激しいんです。最近は縁側でうたた寝してることが増えて、お役に立てなかったらすいません」 「そこを聞きだすのが僕のテクニックです」 次いで清美さんに向き直る。 「日水山には入れますか?事故現場を見たいんですが」 「途中まででしたら。警察の検証は終わりましたけど、まだ崩れる危険があるとかで、もうしばらく跡地への立ち入りは禁止だと思われます」 「なるほど。わかりました」 俺と茶倉は別々に部屋を与えられた。荷物をほどいてひと段落したら本格的に調査スタート。 「っと、忘れるとこだった。仏壇こっちですか」 「そうですが」 「失礼します」 不思議そうな清美さんに一言断り、襖を開けて仏間に踏み込む。思った通り、立派な黒漆の仏壇が鎮座していた。黒枠の遺影は二枚、左の色褪せた方が文彦さんの奥さんで右の真新しい方が尚人さんだ。 蝋燭から線香に火をもらい、手で扇いで調節。人の吐息は穢れてるから、直接吹き消すのはマナー違反だと京都の祖父ちゃんに教わった。先端がオレンジにくすぶる線香を香立の灰山に刺し、合掌。 「しばらくお世話になります」 俺でお役に立てるかわかりませんがやれるだけのことはやります。 おりんを鳴らして故人の冥福を祈り、腰を浮かす。居候として挨拶をすませたのち土間へ行き、藤代さんが出してくれた靴を履く。茶倉は玄関先で待っていた。 「律儀なヤツ」 「お前もしてこい」 「恩を売るんは生きとる人間だけで充分」 「亡者からも取り立てるくせに」 「トイゴで」 「獄卒より鬼じゃん」 「地獄の沙汰は金次第。三途の川かて渡し賃がいる」 屋敷を出た所で振り返りゃ、清美さんと藤代さんがお辞儀していた。 「いってらっしゃい」 「お気を付けて」 直々に送り出され面映ゆい。「いってきます」とぺこぺこ頭を下げて離れる。 道中軽く打ち合わせ、今後の方針を決める。 「まずは聞き込み、おきゅうさまの情報収集だな。要は尚人さんを巻き込んだ土砂崩れが祟りか自然災害か、はっきりさせてほしいって依頼だろ?で、クロだったら拡散しねえようにしかるべき手を打ってくれと。なー茶倉、拝み屋の勘でそーゆーのパパッてわかんねーの」 「祟られとる本人が目の前におるならいざ知らず」 「んな無茶振り?」 「解剖医に解剖させず死因あてろゆーようなもん。遺体を目で見てさわれたら別やけど」 「痕跡が残んのか」 「化け物や人の念みたいなんがうっすらと。どうせならすぐ来いちゅーねん、埋めてもうたら手遅れや。棺桶暴くわけにもいかんし」 茶倉は相手に取り憑いた霊が見える。生霊も死霊も関係ない。おきゅうさまが佐沼家直系の血筋を呪ってるなら、尚人の実父の文彦氏も無事じゃすまないはず。認知症が悪化した原因もそこにあるかもしれない……のだが、いくら問答無用に失礼千万なコイツでも情緒不安定なご老人の寝所を暴くのは遠慮したらしい。 陽炎の帳が立ち、蝉の鳴き声が降り注ぐ畦道を歩きがてら聞いてみる。 「お前、確かオーラ見えたよな。清美さんが黒幕……とか、そっち系のオチはねえよな」 「保険金殺人疑っとるんか」 「聞いてみただけだよ」 事前に調べた結果、佐沼尚人氏には一億円の生命保険がかけられていた。依頼人を疑いたくはないが、邪推したくなるのがゲスな人情というもの。 退屈そうに前を見据えた茶倉が淡々と評する。 「清美のオーラは普通。オレンジベースで赤みがかっとるさかい、見た目よりずっと激情家。情が強いタイプや。尚人にもホンマに惚れこんどったんちゃうか?最後の方は冷めとったかもわからんが」 「夫婦仲までわかっちゃうの?」 「いまのは霊感関係ない俺の勘」 「女たらし曰く」 「喪服で義理立てする程度の情は残っとるやん。よそ行きアピールかもしれんけど」 「清美さんの本音がどうあれ、若くて美人な後妻が旦那の遺産をそっくり手に入れたとくりゃやっかまれるんじゃねえの?葬式後にいやがらせがエスカレートしてったみてえだし」 「そもそも保険金殺人て、低予算の2時間サスペンス並に発想が古臭いわ。車のエンジンやブレーキに細工したんか?相当上手くやらなすぐばれんで、科捜研に専門家おるし。整備士の愛人にアドバイスもろても厳しいわ、きょうびリスキーな後妻業は流行らんて」 「めっちゃ駄目だししてくるじゃん。ハイハイ邪推でしたすいません、諸手を挙げて取り消します」 「序でに土下座せえ」 スケジュールは調整済みだし二・三日はゆっくり過ごせる。調査に便乗して久々に羽を伸ばすとするか。 哀しいかな、今年の夏は仕事仕事でどこにもでかけられてなかったのだ。欲を言やぁ海外がよかったが贅沢は望まない、十年来のダチと二人旅に来れただけで気晴らしになる。少なくとも修学旅行のリベンジは叶った。

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