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第9話

ところが、初っ端から躓いた。 「いたいた。すいませーん」 先日の台風で吹き飛ばされたらしい、無料販売所を修理していた老人が懐っこく相好を崩す。 「おや珍しい、よその人かね。日水村には何の用事で?」 「今佐沼さんちに滞在してるんです。ご存じですか、茶倉スピリチュアルサービス略してTSS。コイツがそこの代表で俺が助手。もしよければお話聞かせてもらえませんか、こないだの土砂崩れやおきゅうさまの」 「アホ!」 老人の顔がみるみる険しくなっていく。 「佐沼の嫁の客か。ワシは何も知らん、他をあたってくれ」 「え、でも」 「知らんったら知らん」 手の甲でそっけなく追い立てられる。片っ端から捕まえてみたが結果は同じ、俺たちが佐沼邸に世話になってると知った途端みんな態度が硬化する。 「えらい嫌われようやな」 「ここまでとは思わなかったぜ」 茶倉が俺を押しのけ前に出る。 「選手交代」 きびきびした足取りで田植え中の老婆に接近するやスマートに名刺を出す。 「こんにちは、ご精がでますね」 「誰だい、うちの村じゃ見たことない色男だね」 「フィールドワーク中に立ち寄ったんです」 「ひーるどわーく?」 お年寄りあるある、「ふぃ」が言えねえ。 「早い話が現地調査ですね。実は僕、成城大学で民俗学を研究してまして。今日は日水村で信仰されてる、土地神さまの由来を調べにきたんです。なんでもおきゅうさまというそうですね」 よしいいぞ、その調子。さすが茶倉、猫をかぶらせたら最強。いや待て、成城大学てなんだ。経歴詐称じゃねえのかそれは。 「おきゅうさまの事を知りたいのか。変わってるね。いいよ、私が知ってるのは」 「女房から離れろ詐欺師!」 太い怒号が炸裂し、無料販売所を直してた爺ちゃんが走ってきた。夫婦だったのか。 「チッ」 「ずらかるぞ!」 舌打ちする茶倉を引きずり猛スピードで離脱、どうにか難を逃れる。遥か後方の爺ちゃんが「塩まけ塩」とキレ散らかす。 「塩害で田んぼ枯れてまえ」 「名刺よこせ」 「なんで」 「いいから」 名刺ケースをむしりとり中をあらため、脱力した。 「『成城大学文芸学部文化史学科民俗学准教授 茶倉練』て名前以外に事実が一個もねえじゃん」 「フェイクやもん」 「使い分けてんのかよ、見損なった」 「まだある。切り札はようけ用意しとかな」 「たくさんあったら切り札じゃなく捨て札だろ」 教授にしなかった謙虚さを褒めりゃいいのか?本人は反省の色なく「柳田國男の母校にしたんや、平民は権威に弱いさかいに」とうそぶいてた。 「『平民』でこっち見んのやめろ。端的に申し上げて非常に不愉快」 こんな感じで空振り続き、しまいにゃ俺たちを見たそばから村人が逃げていく。 「田んぼ枯れろとか呪詛ったの聞こえたんじゃねーの」 「お前のデコが眩しいからや。天照らすな」 「岩室もってこい」 仕方ない。一旦切り上げ、藤代さんの母親に話を聞きに行く。メモに描いてもらった地図と睨めっこし石垣沿いに進んでいくと、見覚えある一軒家に行き当たった。 「ここはさっきの……」 あの婆ちゃんが藤代さんのお袋さんだったのか。言われてみりゃ顔が似てる。すごい偶然……ってほどでもないか、狭い村ならよくあることだ。 「ごめんください」 ピンポンを押す。反応なし。磨りガラスの嵌まった引き戸を叩くも同じ。 「居留守?」 「待てよ」 もしやと思って庭に回り込む。いた。二時間前と同じ姿勢でうたたねしてるのにちょっと感動した、ロングスリーパーだ。風邪ひくんじゃないか心配になる。 「すいませーん、藤代さんのお母さんですよね?俺、東京からきた烏丸っていいます。こっちが上司の茶倉。佐沼尚人さんが亡くなった土砂崩れの件を調べてるんですが、おきゅうさまの事でなにかご存じでしたら教えてくださいませんか」 「…………」 無反応。無関心。スルー。重たい沈黙が立ち込める。一人芝居みたいで恥ずかしい。茶倉が眉根を寄せて腕を組む。 「生きとるんか」 「脅かすなよ」 念のため口元に手を翳してみた。かすかに呼吸を感じる。安堵の息を吐く俺の隣に立ち、茶倉が地の口調で告げる。 「なあ婆さん、アンタがここの長老なんやろ?百年以上生きとったらさぞ物知りやろな。俺たち今困っとるんよ、知恵袋の紐緩めたってや」 ちゃっかり婆ちゃんの隣に腰掛け、上目遣いに媚びる。もとい甘える。レンタル孫やホストの名刺も用意しとけ。 「おきゅうさま……」 襞に囲まれた瞼がゆっくり開き、意識が浮上し始める。固唾を飲んで見守る中、猫背に丸まった老婆が淡々と話し始めたのは、日水村の古い古い言い伝えだった。 むかしむかしの大むかし、長野の山奥に小さな村があった。その村は大層水捌けが悪く、畑や田んぼを開いてもすぐ泥沼と成り果てた。 それもしかり、村には九の泉があった。 ただの泉にあらず、恐ろしい魔物が棲む泉じゃ。魔物は地下水脈を経て、ある時は一から二へ、ある時は一から九へ、好きな泉に移り住んだ。 魔物に毒された水などとても飲めたものじゃない、泉は常に濁って井戸にも引けず百姓たちを悩ませた。泉よりむしろ沼に近い。 魔物は村人に生贄を求めた。逆らえば命はない。すべからく村が滅ぶ。 故に村人たちは泣く泣く生贄を捧げた。 無体な事じゃ。とはいえ、他に手はない。 生贄を拒めば魔物が暴れ、九の泉が氾濫する。家々は押し流されて村が滅ぶ。百姓たちがやっとの思いで開いた田畑もだいなしじゃ。 生贄の大半は従順じゃったが、中には逃げ出すものもいた。 しかし逃げきれず、途中で捕まる。女子供の足で峠を越えるのは難しい。村の北には日見ずのお山が聳えている。 捕まった生贄は牢に囚われた。 その牢にも魔物がおる。魔物がくる。村の掟を破った罰、魔物を欺いた罰として、裏切り者の生贄は生きたまま肉を貪り喰われたんじゃ。 生かさず殺さず内側から食われ続けるうち、生贄の体が変化をきたした。魔物と交わった娘の腹が膨れ、仔を産んだ。その子は人の形をしとらんかった。 目もない、耳もない、口もない。 呪われた牢で生まれた異形の仔。 それからというもの魔物は味をしめ、次々生贄を孕ませた。食べるよりもっと気持ちいい事があると知ってしまったんじゃ。 哀れな生贄たちが牢で産み落とした異形の仔は、魔物の眷属として迎えられた。 そこまでされても村人たちは黙っていた。逆らえば九の泉が氾濫し、村が滅ぶ。生き延びたければ自分の妻や子を捧げなければいけない。 やがて誰彼ともなく言い出した。 九の泉は冥府に通じ、ひとたび氾濫したら最後、魑魅魍魎があまねくことごとくあふれでると。 ある日のこと、旅の僧侶が通りかかった。 村の窮状を察した僧侶は魔物退治に名乗りを上げ、九の泉をぐぅるり巡ったそうな。 僧侶が有難いお経を唱え、錫杖の先で水面を突くと、たちまち冥府への道は塞がれた。泉の水はあっというまに枯れ果て、魔物は逃げる。最後の泉はお山の中にあった。 いよいよ追い詰められた魔物に、僧侶はある条件を出した。 「最後の泉だけは塞がず残しておく。今まで働いた無体の分、村に尽くすがよい」 魔物は承諾し、己の眷属を村に遣わせた。 目も耳も口もないが、あいのこたちは畑を耕すのに長けていた。 あいのこたちは賢い。 村人たちが命じた場所に命じた分だけ実りをもたらす。 あいのこたちは大きくも小さくもなりよく働く。片親は人間なのだから当たり前よの。嘘かまことか年を経ると人に化けることもできたらしいが、その際も横縞の節が残るのがご愛敬じゃな。 どんな飢饉の年も日水村だけは関係なく豊作が続く。全部有難いお坊様の神通力のおかげなんじゃ。

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