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第10話
陰惨な昔話をしめくくり、恍惚の人に戻った老婆を見下ろす。
横縞の節。
土を肥やす。
ヒミズ。
これだけヒントが出そろえばもうわかる。
「おきゅうさまの正体はミミズだったのか」
名前の由来は九の泉……きゅうせんだろうか。それが訛って、あるいは略しておきゅうさまと呼ばれるようになった。点と点が繋がり、線になった新事実に興奮する。
「やったじゃん、大収穫だ。そっかミミズかー!珍しいっちゃ珍しいけど、日本人は虫でも鳥でもなんでも神様にして祀っちまうからおかしかねえか?八百万の神様っていうくらいだし、変わり種もそりゃいるよな。三輪山の蛇神や烏天狗の類縁かな」
茶倉は無反応だ。どうした、もっと喜べ。ふと違和感を覚え、天敵と相まみえたような剣呑な横顔にたじろぐ。
「茶倉?」
おそるおそる名前を呼ぶ。
まどろむ老婆がわらべ唄を口ずさむ。
「ひみずのむらはひをみずに ひみずのやまはひをみずに きゅうのいずみにわきいずる きゅうせんさまがわきいずる……」
「ルーツはここか」
苦々しげに吐き捨て踵を返す。
「あっ、おい!お話聞かせてくれてありがとうございました、縁側で寝ちゃ風邪ひきますよ、うちん中でどうぞ」
わらべ唄を紡ぐ老婆に礼を述べ、なだらかな坂道を遠ざかる背中を追跡。もうすぐ日が暮れるってのにどこへいく?
「一旦戻ろうぜ。夕方になっちまったし、長旅でくたくただ。またあした仕切り直しゃいいじゃん」
茶倉は答えない。様子がおかしい。急き立てられるような足取りと背中に切実な焦燥感が漲っている。
藤代家を出る際、小柄な影が視界を過ぎった。反射的に目で追い、あぜんとする。
石垣の近くにたたずんでいるのは場違いな着物を羽織った子ども。何故か白い布で目隠しをしてる。呼びかけようとすりゃもういない、跡形なく消えちまった。
背筋に悪寒が駆け抜ける。脳裏を過ぎるのは今しがた聞いた不気味な昔話。
大昔の生贄の霊?
茶倉を呼び止めようとしたが間に合わない。俺にシカトこいたまま佐沼邸を回り込み、北の山へ入ってく。
よりにもよっておきゅうさまの社があった日水山に。
「待てよ、止まれよ!もうおせえから明日出直そうって言ってんの、遭難したらやべーだろ。藤代さんのお母さんに話聞けただけお手柄じゃん」
茶倉はどんどん登ってく。仕方なく枝を払い、雑草を蹴散らし追いかける。すぐ後ろでしきりに話しかける俺の事なんか全然眼中に入ってないぽい。高級スーツを枝や葉っぱが叩き、自慢の靴に泥がはねても意に介さない。
日水山の標高は六百メートル、高尾山と同じ位。だが殆ど人の手が入ってないせいで歩きにくい、俺と茶倉が歩いてるのは曲がりくねった獣道だ。
一応社に続く道っぽいが、地表を野放図に這い回る木の根や石ころが起伏を生み、長い間人が行き来してないのが察せられた。
鋭い殺気を帯びた横顔がチラ付き、心臓が早鐘を打ち始める。
気詰まりな沈黙をごまかしたくて、とぼけた軽口を叩く。お気楽な馬鹿を演じるのは昔から得意、むしろそれっきゃ取り柄がねえ。
「山歩きって案外しんどいな。腹ごなしにはなるか。てか村の人たち感じわる、あんな邪険にしないでもよくね?いっそ引っ越しちまうわけにいかねえのかな、金持ってんなら文彦さんだっていい施設入れんじゃねえか?そーいやさっき変な子どもが」
「帰れ」
「は?」
饒舌が途切れる。
茜色と墨色が混じり合い、夕闇迫る空に葉擦れの音がさざなみだち、虫の声が膨れ上がっていく。
茶倉が体ごと振り向き、突き放すように言った。
「屋敷で待っとれ」
眼差しはひどく冷たい。ほんの数メートルっきゃ離れてないのに彼岸と此岸の懸隔を感じる。
俺は何も言えず、何も返せず、ぱくぱく口を開け閉めするっきゃない。
「変だぜお前、藤代さんちで婆ちゃんの話聞いた時から……」
「はよ仕事終わらして東京帰りたいだけや」
「おきゅうさまの正体は掴んだろ?日水村にゃミミズの化け物がいたんだ。気持ち悪ィ話だけど、龍とかじゃなくてまだよかったじゃん」
無理矢理作り笑いする。
「ミミズなら怖くないじゃん。アスファルトでよく干からびてるし、あんなザコ茶倉なら余裕だろ」
てっきりもっとやべー化け物がおでましになるんじゃねえかとびびってた。
俺が知ってるコイツなら、ミミズなんか一発で倒しちまうに決まってる。それでめでたしめでたし大団円だ。
なのになんで、そんな顔する?
「せやな。キモイもんな。俺も大っ嫌いや」
「生理的に無理って感じ。マジ吐きそうになった。悪趣味すぎるよな、人間を牢にぶちこんで……化け物の種付けとか正気かよ」
茶倉の左手が強く強く握りこまれ、諦めたようにほどかれた。
「珍しく意見が合うた」
地雷を踏んじまったと直感。絶句する俺の視線を断ち切り、ずんずん大股に進んでいく。
行く手にはキープアウトテープが張られていた。土砂崩れの再発が危ぶまれる、立ち入り禁止区域の目印。
「入るな危険って清美さんに言われたろ!どっちにしたって社はもうねえよ、行くだけ無駄」
「九番目の泉は日水山にあった」
「仮に、仮にだぞ。藤代の婆ちゃんの言うとおり泉があったとして、おきゅうさまがいる保証はねえぞ」
「おるかもわからん」
「尚人さん祟り殺したか聞くの?もっかい土砂崩れが起きたら責任とれんのかよ?さっさと屋敷帰ってわかったこと報告しようぜ、んで今日はおしまい」
肘を掴んで制す、一生懸命かきくどく。
刹那、怜悧な切れ長の双眸に怒気が爆ぜた。
「!?っぐ、」
力ずくで俺の手を払い、胸ぐらを掴んで木に押し付ける。至近距離で見返した目はぎらぎら輝いていた。
「帰れいうとるんやけど」
「ちゃく、ら、げほっ」
咽喉を圧迫され息が詰まる。茶倉が唇を殆ど動かさず呪文を唱えた次の瞬間、右手の数珠が弾け飛ぶ。
「あ」
来た。
数珠が吸い込んでいたどす黒い瘴気が一気に噴き出し、三体の悪霊の形をとる。
「今何し、ッぁ」
凄まじい虚脱感に襲われ、その場に崩れ落ちる。悪霊が俺に群がり、好き勝手に犯しだす。
「んッ、ぐ、ぁふ、んっぐ」
ざけんな。どうにかしろ。木の幹に手を突かされた俺の背中に影が覆いかぶさり、別の影が胸板をもてあそび、これまた別の影が口に男根をねじこんでくる。
「ぁッ、やッ、あッひうっぁ」
膝裏が小刻みにわななき、幹を掻きむしる手がずり落ちていく。太く固い剛直が服の上から尻を犯し、前立腺を突きまくる。
「あぅっ、んっぐ、ぁあっあ、あぁっ」
地面に散らばった数珠は下草の中に紛れ込み、一粒一粒回収するのは困難。悪霊が俺の頭を押さえ込み、こじ開けた肉に瘴気を注ぐ。
「ど、して、ッぐ」
「一人で悶えとれ」
よれたネクタイを直し、背広をはたいて再び片足を浮かす。最悪の状態で見捨てられる恐怖に錯乱し、交互に訪れる快感と絶望で頭の芯が沸騰する。
「おいてくなっ、ひっぐ、もどってこい、ぁっんっんっ、コイツら追っ払って早くッ、あぁっ、山ン中でッこんなっ、ケツ剥き出しでっ」
手を伸ばす。届かねえ。泳いだ指が宙を掴む。ダチの裏切りが心を打ちのめし、ブレた視界がぐんにゃり歪む。悪霊にねぶられた乳首がびんびんにおっ勃ち、切なく尖ったペニスがどぷどぷカウパーを垂れ流す。
「あッ、あッ、あッ、イッちゃ、行くな」
体の内側も外側も犯される邪悪な感覚。木に抱き付いてよがり狂い、悩ましく火照る肌をざら付く幹でやすりがけてもまだ足らない。体重を掛けた靴裏で小枝がへし折れ、葉っぱや草の先端がちくちく刺す。先端からツーと滴った露が草の上で弾け、木が軋む。激しさを増す抽送に応じて腰を振りたくり、凌辱の悦びに喘ぐ。
「ぁ―――――――――――――――――――――ッ……」
一際強く前立腺を突き上げられると同時に、けたたましい犬の吠え声が響いた。
「やっと追い付いた、大人しく戻れゴン!」
横手の藪から飛び出したのは一匹の雑種犬。口に咥えてるのは運動靴の片割れ。
続いて現れた沖田駐在が、今まさに立ち入り禁止テープを跨ぎ越した茶倉と、木に寄りかかり息を荒げる俺を……正確には顔を上気させ、下半身をはだけた俺を見比べる。
「変態だ!!!!」
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