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第11話
「だから清美さん、コイツは公然猥褻罪で逮捕されても仕方ない露出狂の変態なんです」
「何かの見間違いじゃないんですか?私にはとても信じられません。茶倉さんは慶応大卒のプロ霊能者、烏丸さんはその元同級生で有能な助手、この方々なら信頼できると見込んで主人の事故の、いいえ、日水村の祟りの真相解明をお願いしたんです。なのに神聖な日水山で破廉恥なふるまいに及ぶなんて」
いっそ殺せ。
佐沼邸の居間にて、駐在と清美さんが言い争ってる。
俺は二人の間にちんまり正座し、俯く。縁側には日水山に迷い込んだ雑種犬がいた。この村じゃ基本ペットは放し飼いらしい。
駐在が真っ赤な顔で茶倉を指す。
「下半身を露出した一件だけじゃありません、こっちのチャクラとかって男は社跡に踏み込もうとしてました」
「本当ですか」
清美さんの目に疑念の色が浮かぶ。茶倉は形だけ頭を下げる。
「すいません、どうしても自分の目で現場を検証したかったもので。すぐ引き返す予定でした。なんだか話が大きくなってしまいましたね、不徳を恥じ入ります」
「なんてこと……」
清美さんもあきれて二の句が継げないようだ。そりゃそうだ、あんなに口酸っぱくして言ったのに破ったんだから。
駐在と遭遇した一時間後、俺たちは佐沼邸に帰還し尋問をうけていた。
駐在の立場になりゃ事情聴取したくなるのはごもっとも、ほんのちょっと前に爽やかな挨拶をしたよそ者二人組が村の信仰対象になってる日水山を荒らしたとくりゃキレて当然。
ただ歩いてただけなら道に迷ったと言い訳できなくもないが、片や立ち入り禁止のロープを跨ぎ、片や大股おっぴろげて喘いでたんじゃどうしようもねえ。
ますますもって小さくなる。
「聞いてください、これにはわけが」
「マスターベーションに正当な理由があるなら教えてもらおうじゃないか」
正当なマスターベーションとは??
「急に小便したくなって立ちションを」
「神聖なお山で放尿を?」
「膀胱が破裂しそうで。ペットボトルも持ってなかったし」
清美さんが卒倒せんばかりに青ざめ、藤代さんが口を押さえる。いっそ殺せ。茶倉は知らんぷり。殺してえ。
「股おっぴろげてあんあん喘いでたじゃないか。ご婦人がたの前で言えない場所が大変な事になってたぞ」
「実は俺木に欲情する特殊性癖の持ち主なんです。幹の節穴見てたらムラムラして、猛烈に突っ込みたくなっちゃいまして」
「やっぱり変態じゃないか」
しまった、堂々巡りだ。最初は庇ってくれてた清美さんたちも、今じゃ引き気味に白い目で見てる。藤代さんがおずおず口を挟む。
「節穴には蜂やアブが巣食ってる事がよくあるので、不用意な挿入はおすすめしません。腫れてしまいますわ」
どこがとは言わなかった。言われないでもわかる。清美さんがハンカチで汗を拭いて取り成す。
「人の性癖は色々ですもの。世間様に迷惑かけないかぎりは自由でしょ」
「でも」
「お願いした仕事さえきちんとしてくれるなら言うことはありません」
「こんな胡散臭い連中を屋敷に置くんですか?考え直してください」
駐在が納得できず食い下がる。哀しいかな、胡散臭い連中呼ばわりには全面的に反論できねえ。俺と茶倉を見比べ、駐在が悔しげに唸る。
「インチキ霊能者に頼る位なら俺に言ってくれたらよかったじゃないですか。村で起きたトラブルを外に持ち出すなんて、清美さんらしくありません。いやがらせを止められなかったのは俺の力不足です、ごめんなさい。でも、だからって」
「これ以上沖田さんに甘えられません」
拳を握りこんで訴える駐在に対し、清美さんはきっぱり線を引く。
「せやで。ええ加減分を弁えろ」
「何?」
ずっと静観していた茶倉が、清美さんの隣に移動して勝ち誇ったように微笑む。
「俺は清美さん直々にご指名もろたんや、田舎の駐在に出る幕ない。とっっとと帰りなはれ」
「この野郎!」
「実際アンタがおっても役に立たん、佐沼邸へのいやがらせ見て見ぬふりしとったやんけ」
「ぐ」
「被害者からすれば立派に共犯やで、なに味方ぶっとんねんアホくさ」
「言い過ぎです」
清美さんが眉八の字の困り顔で茶倉を制す。駐在の拳が怒りで震える。てっきり殴りかかるかと警戒したが、予想が外れた。
「……確かに。お前が正しい」
駐在が敗北を認める。縁側じゃ犬が鳴いてる。居心地悪さを感じ、もふもふに癒しを求める。
「懐っこいっすね。名前は?」
「ゴンだ。桑原さんが飼ってる」
縁側に跪いてハグすりゃべろべろ顔をなめまわされた。とぼけた顔に愛嬌が漂っている。近くの地面に転がってるのは子供サイズの運動靴の片割れだ。待てよ、子供?
「村に小さい子いるんすか」
「いや」
「じゃあどこからもってきたんだろ」
「住民のお古だろ。ゴンは収集癖があって、いろんながらくたを秘密の隠し場所に集めてるんだ。俺は持病の腰痛で寝付いてる桑原さんの代わりにゴンを連れ戻しに来た」
曰く、ゴンは脱走の常習犯らしい。面倒くさそうにしながらちゃんと説明してくれるあたり好感を抱く。やっぱり悪い人じゃねえ、俺の勘はよくあたる。清美さんが絡むと感情的になるのは、やっぱりそういうことなんだろうな。
「前も一回あったんだ。小屋にいないと思ったら日水山に入ってて、大変だったよ」
「確か社のそばまで行ったんですよね」
「はい」
清美さんに聞かれ、言葉を濁す。後ろめたげな態度に違和感が募る。ひょっとしたらこの人も、日水山に不穏なものを感じてたんじゃないか?
「いいか、山には入るな。あそこはこないだの土砂崩れで地盤が緩んで危険なんだ。どうしても用がある時は声をかけろ、大抵交番にいる」
「ご迷惑おかけしました」
素直に謝っておく。ゴンを連れ帰る駐在の背中は、人妻に岡惚れした哀愁が漂っていた。
「お古のわりにゃ新しかったな……」
どうでもいいことがひっかかる。
しかしまあ、感謝しなけりゃばちがあたる。駐在が飛び入りしてこなけりゃ、俺は手も足も出ず悪霊の慰み者になってたのだ。
それもこれも全部今隣にいるコイツのせいだ。思い出したら腹立ってきた。
「先に寝ます」
「晩御飯は?」
「お構いなく」
おろおろする清美さんに断り、大股に廊下をのし歩く。茶倉は追いかけてすらこねえ。山で揉めてからずっとシカトぶっこいてる。
「くそ、くそ、くそ」
なんでだよ。無視してえのは俺の方だよ。なんか間違ったこと言ったか?自分の言動を逐一反芻するも、まるで心当たりがない。社に通じる道には立ち入り禁止テープが張られていた。ダチが目と鼻の先でルール違反しようとしてんの見過ごせるか?もしまた土砂崩れが起きて、アイツが巻き込まれちまったら……
「くそ……」
悔し涙で目の前がにじむ。拳で無造作にこすり、立ち止まる。
『帰れ』
お前が連れてきたくせに、あんな言い方ねえじゃん。そりゃ俺なんか足手まといかもしれねえけど、一応助手なのに。相棒なのに。
外傷が見当たらなくても、繰り返し抉られた体内はひりひりしてる。
十年来の腐れ縁のアイツは、悪霊にもてあそばれる俺を一番近くで見てきたはず。
だったら、俺がいやがってるってわかったはずだ。本気で嫌で怖くて気持ち悪くて、心底トラウマになってるって察してくれてもいいはずなのに、全部全部知った上でわざと悪霊をけしかけやがったのだ。単なる足止めのために、俺が一番いやがることをした。
酷い裏切りだ。
茶倉にとっちゃ所詮、その程度の存在なのかよ。
哀しくて悔しくてやりきれなくて、瞼が火照る。体があちこち炎症を起こして痛い。蚊だのアブだの虫にもしこたま食われた。
『一人で悶えとれ』
あの時の茶倉、別人みたいだった。
次の瞬間、空気が冷たく変化した。怪しい気配に顔を上げ、息を呑む。藤代さんちで見かけた着物の子供が行く手に立っていた。相変わらず目隠しをしてる。
「ッ!」
咄嗟に警戒する。ところが、すぐに踵を返して逃げちまった。小柄な背中が角を曲がる。
なんで佐沼邸にいるんだ。憑いてきたのか。なにか伝えたいことがあるのか。
翻る裾を追いかけて角を曲がり、まっすぐ伸びた廊下に立ち尽くす。視線の先を横切って行くのは子供じゃない、浴衣をだらしなくはだけた爺さんだ。
「ひみずのむらはひをみずに ひみずのやまはひをみずに きゅうのいずみにわきいずる きゅうせんさまがわきいずる」
佐沼家当主、文彦氏。藤代のばあちゃんと同じ不気味なわらべ唄を紡ぎながら、屋敷を徘徊している。
「きゅうのいずみのそこふかく じむしのじごくがそこにある きゅうのいずみのそこふかく ちみもうりょうがわきいずる」
わらべ唄には続きがあった。
ギシ、ギシ。
たらした帯と裾をひきずり、痩せさらばえた老人が歩く。裸足で外へ出る気か?
「文彦さん、止まってください。部屋に帰りましょ」
「あの子はどこじゃ」
「尚人さんですか?」
真実を告げたものか迷い、慎重に聞く。文彦氏は答えず、濁った眼で虚空を見据える。
「あの子が泣いとる」
どこからかか細い嗚咽が聞こえてきた。先ほど見失った子供の姿を思い描き、文彦氏の肩を掴む。
「さっきの子を知ってるんですか?」
「ううっ……ううっ」
「申し遅れました、俺は烏丸理一って言います。茶倉スピリチュアルサービスで働いてて、今回は清美さんの依頼を受けてお宅に伺ったんです。清美さんの願いは尚人さんの事故死の真相を突き止めること、ホントに祟りがあるなら止めてほしいって土下座までされました。文彦さんはこの村で生まれ育ったんでしょ、なら当然おきゅうさまの事もご存じですよね。地主は村の顔役、色んな相談事を持ち込まれるはず。考えたんですけど、尚人さんが最初の一人じゃないんじゃないですか?何十年、何百年前にも同じ事があったから祟りを恐れて祀ったんですよね?おきゅうさまの怒りを鎮める方法、知ってたら教えてください。村の人たちや清美さんを助けたいんです」
刺激するのを恐れる一方、今この時を逃せば直談判の機会は巡ってこないと悟り、堰を切ったように捲し立てる。
この村にいると茶倉が変になる。
この村が変にする。
「どうなんですか文彦さん、さっきの子とおきゅうさまには関係が」
突然、床が震えだす。
「わっ!?」
揺れているのは床だけじゃない。壁も柱も梁も、屋敷全体が震動している。地震だ。うろたえた俺の手をふりほどき、文彦さんが暗がりへ去っていく。
深追いはやめた。馬鹿げた話、俺の発言が地震を呼んだような強迫観念に襲われたのだ。
即ち牽制。
すっかり意気阻喪し、大人しく部屋に戻る。藤代さんが敷いてくれた布団に横たわり、天井の木目を見上げて時間を潰す。
「だる……」
右手首には数珠の跡ができていた。茶倉の顔なんか見たくもねえが、そうもいってらんねえ。新しい数珠をもらわなきゃ、悪霊が夜這いにやってくる。
既に嫌な視線は感じていた。悪霊たちが見張ってる。今寝オチなんかしたら朝までぶっ通しで慰み者だ。
きゅーるる、腹が鳴った。晩飯食っとくんだった。日水村名物の糠漬け楽しみにしてたのに……
「風呂入ろ」
気を取り直し、着替えを持って部屋を出る。佐沼邸には檜風呂があるらしい。虫に刺されたせいか木にかぶれたせいか、肌が痒い。ギシギシ軋む廊下を歩き、突き当たりの引き戸を開けりゃ脱衣所だった。
「え」
茶倉が脱いでた。脱衣かごにスーツを畳み、シャツの袖を抜いて落とし、胡乱そうに振り返る。
最悪のタイミングでかぶった。引き戸に手をかけ硬直する俺の目に、痛ましい痣が焼き付く。
茶倉の背中一面に、赤いみみずが這っていた。
即座に閉め出された。
「おい茶倉、今のなんだよ。背中の傷、だれにやられたんだ」
引き戸を叩いて叫ぶが無視。突っかえ棒でもしてるのか、それとも足で押さえてるのか全然開かない。
一瞬見えただけだが、結構古い傷っぽかった。ことによると十年以上前の……
「ばあちゃんか?」
茶倉が修学旅行にこなかった理由。温泉を避けた理由。点と点が繋がって線になり、凄まじい怒りが破裂した。
「どうして言わなかったんだよ!!」
言ってくれなかったんだよ。
「前から?高校ん時から?俺と出会った時からもうあったのかよそれ、初めてカラオケ行った時もラーメン食った時もずっとずっと痛てえのガマンしてたのかよ、ざけんなテメエ俺は全部正直に言ったじゃねえか、毎晩見る夢ん中でモツ食われてるって洗いざらいぶちまけたじゃねえか、なのにお前はずっとずっとだんまりで一人で抱え込んで、全然大丈夫じゃねえのに大丈夫なふりしてたってのかよ!!?」
茶倉と祖母ちゃんが仲悪いのは知ってた。どんだけ深刻かは知らないできた。
うるさく詮索すると嫌がるから、家庭の事情に踏み込まないようにしてたのだ。
それを今、心底後悔した。
「言ってくれたら泊めたのに」
親に言って、お前を。
十年来の腐れ縁で、高校ん時からダチで。
なのに俺はずっとずっと助けてもらうばかりで、コイツが一番苦しい時になんもしてやれなかった。
「……俺、馬鹿だから。なんも知らねえで、背中叩いちまった」
「古傷や。もういたない」
「痛い時に言ってほしかったよ」
コイツは俺のこと、全然頼ってくれなかったんだな。俺だけ友達だとか思い上がってたんだ。
数呼吸おいて返ってきたのは、俺の感傷を握り潰す乾いた声。
「言うてどうなる?一緒に家出でもしてくれたん」
引き戸越しに失笑を浴びせられ、掲げた拳から力が抜けていく。
「―ッ、は」
ぞくりと悪寒が駆け抜け、戸板に縋ってずり落ちる。またきた。数珠の封印が破れたせいで、悪霊に付け込まれやすくなっている。脱衣所の茶倉が見透かすような言葉を投げる。
「風呂から上がったら『除霊』したる」
「いや、だ」
「|輪姦《マワ》されたいんか。ハードな夜になるで」
体の火照りを持て余し、シャツの胸元を掴んでフーッフーッと息を荒げる。
夜通し悪霊に凌辱されたトラウマがフラッシュバック。辛うじて唾を嚥下し、小さく頷く。それしか選択肢がない。
「ぁっ、ふ、んぐッ」
壁に手を付いてどうにか立ち上がり、遠く離れた部屋をめざす。執拗に纏わり付いて歩みを妨げ、耳や後ろの孔をちゅくちゅく苛む悪霊たち。
赤く茹だった顔を伏せ、清美さんや藤代さんとすれ違わない事だけを祈り、最後の力で襖を開けるや布団の上に倒れ込む。
「くるな、あっちいけ、ぁあっ」
止まらない。
止められない。
ずぶずぶ深い淵に堕ちていく。
黒い影が俺を取り囲み、組み敷き、好き放題に犯しだす。キツく閉じた瞼の裏に茶倉の背中が浮かぶ。
もっと早く気付いてりゃ、何か変わっていたんだろうか?
助けられたんだろうか。
自己嫌悪と無力感が膨れ上がり、えずく。
布団に這い蹲る背後で襖が開く。霞む目をこらせば、濡れ髪に浴衣を合わせた茶倉が立っていた。表情は逆光に沈んでる。
「苦しい?」
後ろ手に襖を閉じ、帯をほどく。
上半身を剥くなり俺を仰向けにし、あやすように囁く。
「たまっとったんやな。気付かへんでごめんな」
「ちゃく、らァ」
早く欲しい。
お前が欲しい。
唾液が糸引く口を半開きにし、涙目でおねだりする。
次の瞬間、のっぺりした暗闇が下りてきた。浴衣の帯で目隠しされたのだ。
「何、やだ、はずせ」
抵抗したくても手足にろくに力が入らず、悪霊の愛撫で思考が散らされる。それをいい事に、茶倉はさらに無体な仕打ちをした。
「ィッぐ」
俺の両手を頭上で束ね、細い紐状のもので縛り上げる。続けざま体を吊られた。
「これほどけ、SMは趣味じゃね、ぁッ」
「他の男と遊びまくっとるくせに」
体重が掛かった紐がぎしりと軋む。鴨居かどこかに通してるんだろうか?見えない。怖い。視界が闇に閉ざされ、不可知の恐怖が募り行く。
「帰れ言うたのに邪魔しくさりよって、挙句覗きかい。調子のっとんちゃうの。キッツいお灸据えたらなわからんか」
「ひっ」
無慈悲な声が布の向こうで響く。おもいきり乳首を抓られ、鋭い痛みに呻く。俺の反応が面白かったのか、今度は交互に弾く。
「当分セフレと会えん体にしたる」
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