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第22話

「これもはずれ。あれもはずれ。全部はずれかいあばずれ」 練には速読の技術と古語を読み下す教養がある。焦る気持ちをごまかし次の行李を開けば、紐で結ばれた巻物が入っていた。 家系図だった。 日水村を開墾した初代・佐沼勘兵衛を筆頭に、三十六代目の文彦氏に至るまで一族の名前が記されている。 上から下まで系図を把握し、違和感が働く。 佐沼は子沢山の家系だった。一代に付き十人以上子供をもうけているのはざらだが、そのうち一人、多い時はニ・三人が八歳を迎えられず死んでいる。 医療が未発達な時代の早死には珍しくないにしろ、裕福な庄屋の家で、この死亡数は異常じゃないか? 子どもの名前に着目し、さらに背筋が凍り付く。 「死んだガキの名前、全部一緒や」 男も女も縣。 子どもの不審死は明治の初めに止まっているが、それまでに数十人の『縣』が死んでいる。 「……ここでも縣にお目にかかるとか、すごい偶然」 再び家系図を見直す。三十六代目の文彦と妻・梓の下に線は引かれてない。即ち、子どもは存在しない。代わりに文彦と愛人の間に、尚人の名前が書きこまれていた。 「妾腹やったんか?」 文彦は遅くできた尚人を可愛がっていたらしい。世間体を考え、表向きには本妻の子としたのだ。されど正確さを期する家系図は偽れない。 愛人の名前欄には「小百合」とあった。どこかで聞いたような…… 「詮索は後回し」 目を瞑り深呼吸、ゆっくり瞼を上げ蔵の中を見回す。片隅に立てかけられた木製の梯子が、蠟燭の炎にぼんやり浮かび上がる。 あそこだ。 名状しがたい直感に突き動かされ、片手に皿燭台を持ち移動する。 不吉に軋む梯子に手と足をかけ上り終えれば、一階の半分ほどの面積の二階に到着した。 こちらにも行李や長持が犇めいている。鎧兜や日本刀、奥の壁には弓矢まで飾られていた。 見た所随分古い。江戸時代……否、それ以前の作か。興味を覚えて歩み寄り、しなやかな弧を描く弓をひとなで。 「樒やな」 樒は美しい緑色が特徴の香木で、猛毒・援助する・甘い誘惑などの花言葉を有す。とても独特な香りを放ち、これが故人を獣や邪気から守ると信じられ、古くから仏式の葬儀に用いられてきた。 一方、神道の葬儀には榊が捧げられてきた。両者に共通するのは、先端が尖った葉に神が宿ると信仰されてきたこと。見分け方は簡単で、漢字にした際木へんに佛(仏)とも書くのが樒、神が下りるのが神社に植えられている榊だ。 樒は葉や実、花全体に至るまで毒を持っている。故に悪しき実から転じて樒と名付けられた説もある。 また、昔の日本は土葬が一般的だった。香りが強い樒を故人の枕元に置くのは、屍肉を食い荒らしに来る獣や、悪霊を遠ざける目的もあった。 「佐沼家は日水村の守り人……裁きと仕置きを担当しとったんか」 ならば物騒な武具がしまわれてるのも納得。刀も弓も単なるお飾りじゃない証拠に使い込まれていた。 火影が妖しく踊る弓矢を眺め、考える。 おきゅうさまが元の土地神だとしたら、仏の教えは後世に入ってきたのだろうか? 藤代の母親は念仏を唱えていた。 未亡人は四十九日を喪服で通す。 現代においては珍しいほど、信心深い人間が揃っているのは確か。 仏の教えを尊ぶ村人が多いのは、おきゅうさまの抑止力として担ぎ上げたからではなかろうか。 あるいはおきゅうさまを調伏した、旅の僧侶が広めたのか。 手あたり次第に行李を開け、中身を検めていく。一階の冊子に比べ二階の本はなお古い。入りきらなくなった分を移したのだろうか、殆ど原形を留めてないものもまじってる。 小一時間が経過した頃……。 「よっしゃ!」 これぞ探し求めていた物だと、中を見る前から確信を持った。五色の組紐で十字の封印が施されていたからだ。 「けほけほっ」 ふたを上げた拍子に舞った埃を吸い込み、噎せる。出てきたのは一冊の古書。表紙には何も書いてない。無題。用心深く床に寝かせ、蝋が溶け落ちる皿燭台を横に据え、表紙を開く。 ――――――――――――――――――――――――――― 当主を継いで初のお役目が回ってきた。辛いお役目だ。日水村は水捌けが悪い。苦労して田畑を開いてもすぐぬかるんで沼と化したと、生前の祖父が言っていた。 今はそんなことない。おきゅうさまのお陰だ。 我々が飢えずにすむのは偏におきゅうさまのご利益によるもの。わかっている。わかっているが…… ほかならぬ佐沼の当主がお役目を拒むなどもってのほか、村人たちに示しが付かんと親父に説教された。 何のために十三人もうけたのか、とも。 当代の縣は末娘。今年で七歳、可愛い盛り。 哀れな娘はなに知らず、意味も解さないわらべ唄を歌っている。それを見て女房は泣く。俺も泣く。 辛いのはお前だけじゃないと親父は諭す。自分も祖父も曾祖父も辛かった、だから耐えろと説く。 まことだろうか? 幼心に覚えているのは夜な夜な牢に通い詰める親父の背中、耳を塞いでもなお聞こえてきる悲痛な慟哭、破瓜の痛みに泣き叫ぶ声……親父は当主の務めを、役得として楽しんでいたのでないか? おきゅうさまは日水村の土地神。 その正体は日水山の益虫である。 旅の僧侶に力を奪われたのちは、眷属を使い土を肥やし、村人たちに実りを齎す守り神に転じた。 おきゅうさまが齎す実りは皆に平等に配られ、末永く平和が続くはずだった。 佐沼の初代が良からぬ企みをしなければ。 おきゅうさまがまだ暴れていた昔、佐沼の人間は縣を耕す役目を仰せ付かった。 生娘は孕みにくい。 故に道を付ける。 狭苦しい針孔はおきゅうさまとて嫌うと、我々の先祖は牢に囚われた贄を犯してきた。 平和が訪れたのち縣の因習は廃れたはずだった。 それを勘兵衛が甦らせたのである。 勘兵衛は欲深な男であった。 我が子を縣として捧げ、おきゅうさまの庇護を受け、他より多く富を得ることに成功した。 地主の地獄は底にある。 佐沼の牢には縣が繋がれてる。 その縣は一族の穀潰しか、よその村から拐かしてきた娘である……。 近頃不愉快な替え歌が流行り始めた。地蟲を地主に替え、我ら一族を当て擦る歌。 親父は大変に怒り狂い、村人たちが唄うのを禁じたが、末の娘だけ憑かれたように口ずさむのをやめない。 まるで呪いだ。 娘は先代、先々代の縣の生まれ変わりなのだろうか? 何故佐沼の一族にお役目が与えられたのか、親父に聞いたことがある。 曰く、佐沼の屋敷がある場所は九番目。 嘗て存在した九の泉の中で、最も黄泉に近い場所だった。 我々一族は何代も掛けておきゅうさまに阿り、分かち難く結び付き、大地の力を汲んできた。 地面を掘れば井戸が湧き、稲はよく育って実り、家はどんどん栄えていった。 全ておきゅうさまのお陰、おきゅうさまの返報。 今では村の田畑の半分を所有するに至り、名実ともにお偉い地主様だ。 笑止。 これが勘兵衛の望み、我々の幸せか? 縣は神に献上する田の意。 捧げたものは忘れよ。 最初からいなかったものと、生まれてこなかったものとそうおもえ。 村の衆は我ら一族を妬む一方、非道な行いを忌み嫌い、地蟲と呼んで蔑んでいる。 牢から逃げた娘が近くの農家に匿われていた事すらあった。 娘の世話を見た百姓には先々代が仕置きしたらしいが、俺や倅に同じ事を繰り返せというのか。 妻や子を連れ村を出ようかとも考えた。 だができぬ。 俺はこの村で生まれ育った。この村の事しか知らない。 おきゅうさまと番った人間は気が触れる。運よく生きて出られた者も、その頃には狂っている。 地蟲に孕まされ、その仔を産む苦しみに耐えられる人間はそうはいない。 俺はおきゅうさまに捧げるためだけに末娘を育て上げた。化け物の苗床として。 許せ縣。 名付けすら許されなかった娘よ。 ――――――――――――――――――――――――――― 「身勝手な懺悔録」 ちらほら出てくる名前から推し量るに、手記の主は五代目当主の久作。 事のあらましは大体わかった。 「寝た子を起こすなんてアホがするこっちゃ。化けもんは祟り神にしかなれへんのやで」 久作も祟りを恐れ、実の娘を犠牲にした。血は争えないということか。 『誰が一度だけと言った?昨日は道を付けただけじゃ』 近親相姦すら辞さない鬼畜の所業が一族の存続に拘り続けた祖母にだぶり、嫌悪と憎悪が膨らむ。 天井を支える梁から粉塵がぱら付き、皿燭台の炎が激しくブレる。 代々当主が生贄を与え続けたとして、歴代の縣が生んだ異形の仔たちはどこへ行った? 『きゅうせん様は我ら一族の体を通ることで受肉するんじゃ』 反射的に床板を見下ろす。正確には蔵の地面の遥か下、嘗て泉が湧いてた場所を。 日本の姓の多くは土地柄に由来する。佐沼の「佐」は他者の仕事の介添の意で、「沼」は泉のほとりに居着いた事をさす。 この家の地下で行われていたのは、歴代当主による破瓜の儀式。 開墾の際に石をのけて草をむしるように、末通女の苗床を耕す役目を担ってきたのだ。 「地獄て呼ばれるわけやな」 練も嘗て、同じ所にいた。同じ地下牢でさんざん辱められた。四肢に絡み付く触手。上の口と下の口を同時に犯される苦しみ。忌まわしい記憶の嵐が荒れ狂い、体内の魔性が目覚める。 「ッ、は……」 こんな時に。 熱を持ち疼く体を持て余し、浴衣の胸元をかきむしる。悩ましい火照りを帯びた肌が着物と擦れ、甘い吐息をもらす。 「おとなしゅうしとれ」 小声で諌めれど無駄だ。 同胞の存在を近くに感じ高揚したか、練の肉に根を張った異物の動きが激しさを増す。 「ぁ、ふ」 脂汗にしとどにまみれ、しまいには手を噛んで喘ぎ声を殺す。 「んッ、ぐ、んん゛ッ」 キツく手を食い締める。瞼の裏の闇が深まり、忌まわしい穴蔵に引き戻される。 過呼吸の発作に陥りそうなほど呼吸が速まり、浴衣を掻きむしる手がじっとり汗ばむ。 闇の中を忍び寄る触手。湿っぽく這いずる音。体に絡み付く組紐が抵抗を封じ、化け物がのしかかる。 無理矢理こじ開けられる痛み。 播種される恐怖。 嘔吐。失禁。 踏み躙られる尊厳。 「ぁ、ぐ」 不浄な牢にたった独り、醜くおぞましい異形に凌辱される絶望が心と体を引き裂き、精神年齢の退行を招く。 もういやや。うち帰りたい。茶倉んちの子はいやや。おとんの名前に戻りたい……。 「……は?」 しどけなくたれた前髪の奥、頬を伝うしめりけに瞬く。 透明な雫が睫毛を濡らし、光る弧を描いて滑り、ぱたぱた床を叩く。 「何やこれ」 泣いてる理由がわからない。 なのに涙が止まらない。 ただただ胸が一杯で、左手が力強いぬくもりに包まれて、暗闇から引き上げられた気がする。 「理一?」 すぐそばにいる気がして。 報われた気がして、名前を呼ぶ。 幻のぬくもりに満たされ、幻の感触に勇気を貰い、一度は絶望に挫かれた気力を奮い立て、誰かが右手を重ねた左手で邪な衝動を抑え込む。 蔵の方に軽い足音が走ってきた。子どもだ。 「でかした」 友人の手柄を褒め、皿燭台を持って梯子を下りる。裸の爪先が床に着くと同時に、切羽詰まった声が響く。 「すいません、お兄さんの友達の人はいますか」 「どのお兄さんや」 「おでこの広いお兄さん」 「それなら俺の助手」 「よかった」 「俺は茶倉練。お嬢ちゃんは誘拐された子か」 「はい。お兄さんが助けにきてくれたんだけど代わりに閉じ込められちゃって、ムカツクけど頼りになる友達が蔵にいるから呼んで来いって」 「ムカツクは余計」 足音が一人分しか聞こえない時点で察しは付いた。子どもを助けるために体を張るとは、いかにも理一らしい。 「はよ逃げ」 「茶倉さんたちは?」 「大人の事は大人がどうにかするよって、ガキが気ィ回すな」 踵を返す気配がした。それでいい。五分後、天窓に嵌まった鉄格子の向こうにおかっぱ頭の女の子が現れる。 「お庭にあったリヤカー借りてきました」 「いや逃げろて」 「ちゃんとお礼言いたくて……ありがとうございました」 ちょこんと頭を下げる少女は間違いなく生霊の本体だった。声を潜めて聞いてみる。 「牢の中でなんかされた?」 「ずっと目隠しされてたけど、それだけ。おばあちゃんが時々ご飯運んでくれた」 「藤代か」 「目隠しのせいでお箸が上手に使えないから、代わりに食べさせてもらったの。お客さんがいる間は大人しくしててねって、ここ何日かはご飯の時以外猿轡もされた」 「俺たちのこっちゃ」 「何者なんですか?」 「茶倉スピリチュアルサービス、いわゆるゴーストバスターズ」 「おばけ倒してくれるの!?」 鉄格子を掴んで身を乗り出す少女。赤と泥にまみれた顔が希望に輝く。 藤代は少女を地下牢に閉じ込めたが、殺しはしなかった。誘拐の首謀者が尚人なら、成り行きで後始末を任された従犯かもしれない。 いずれにせよ無事でよかった。 この子は手遅れじゃないのだ。 「きゃあっ!?」 再び地震。これで何度目だ。足元を激しい揺れが突き上げ、たまらず尻餅を付く。転倒のはずみに蝋燭の火が消えて皿燭台が転がり、女の子がフェードアウト。 「いたたた……」 「大丈夫か」 「うん……あっやばっ、帰ってきた!」 「藤代か」 「おばあちゃんじゃない。着物の女の人とおまわりさん。こっちに走ってくる、どうしよ」 「隠れろ!」 間をおかず地震が襲いかかり、太い梁や柱が軋んで揺れる。土蔵の壁にひびが入り、ピシピシ亀裂が広がっていく。 「やだーっ、おかーさーんっ!」 地面が裏返るような揺れに足元をすくわれ、もんどりうって行李の山に突っ込む。続けて金属音が鳴り、分厚い鉄扉がゆっくり開いていく。 「すごい音」 「死んでないな?」 怪我の有無を確かめるべく扉の隙間に半身をねじこむ沖田。 今だ。起き上がりしな全力疾走、沖田にタックルした勢いで転がり出る。 「お前、手錠は!?」 完全に不意を衝かれ、太い声で喚く沖田に手錠と鍵を投げ返す。すかさずしゃがんだ清美が駐在を庇い、柳眉を逆立て抗議する。 「いきなり何するんですか!」 「藤代はどこや」 「さっきから姿を見てません、屋敷にいるかと思って帰ってきたのに」 「くそったれ強姦魔でも見殺しにすんのは寝覚めが悪いから迎えにきてやったのに、お前なんか意地悪ばあさんリスペクトででっけえ葛籠の下敷きになりゃよかったんだ!」 「舌切り雀かい」 「待って、あの子は誰?茶倉さんの隠し子?」 「ちゃうわ、藤代や」 「は?」 土蔵の裏手から観念しきって出てきた少女に、清美と沖田が絶句する。 「尚人が一か月前誘拐してきたのを、藤代が地下牢に閉じ込めはったんや」 「なんでそんな……」 「おきゅうさまの生贄にするためや。尚人は工事の頓挫やその後のツキのなさを全部おきゅうさまの祟りと思い込んで、新鮮な縣を狩りに行った。せやけど帰り道に土砂崩れに遭うて、間一髪この子だけ逃げのびたんや。途中で捕まってもたけど」 「信じられない……地下牢なんてどこにあるんです、尚人さんやお義父さんには何も聞かされてません」 「よそ者やろアンタは」 真っ青な顔で崩れ落ちる清美を、今度は沖田が支えた。 「あの人がそんな恐ろしい事を……」 「お嬢ちゃんの名前と年は?」 「市立折原小学校四年一組萩原えりな、十歳。お父さんは萩原透、お母さんの名前は萩原麻衣子」 「間違いない、一か月前に起きた誘拐事件の被害児童だ」 無線に掛けた沖田の手に、清美の白い繊手が被さる。 「待って、待ってください。尚人さんが誘拐犯だとばれたら佐沼の家は終わりです、その上藤代さんが共犯だなんてお義父さんがにどういえば……もうすこしだけ時間をください」 「できません」 「私の時は待ってくれたじゃないですか」 「貴女のお願いだから」 沖田が苦渋に歪んだ顔で呻き、清美の手をそっと離す。 「今回は見逃せません。この子は何も悪くない、ただの被害者ですよ。親元に帰すのが警官の職務です」 駐在の指摘に目を見開き、恥じ入るように俯く清美。 「こちら日水村駐在の沖田巡査。本日午後9時10分に村内の佐沼邸土蔵付近にて、一か月前に発生した誘拐事件の被害児童、萩原えりなちゃん十歳を保護しました。少し窶れてますが外傷は特に見当たらず、健康状態に異常なし。県警に至急応援と護送要請」 緊急連絡を遮るようにまた地震が来た。大きくよろめいた清美が近くの柱にしがみ付き、沖田が女の子を庇って丸まり、練だけ辛うじて踏みこたえる。 「村の連中は!?」 「公会堂に避難させた!」 「仕上げに思い出してくれはっておおきに」 「嫌味を言ってる場合かたわけ!」 「お義父さん!」 男二人の口論をよそに清美が走り出す。まとめて滑落した屋根瓦が割れ砕け、母屋の軒を支える柱が順にへし折れ、低い地響きを伴い地面が陥没する。 「危ない、戻れ!」 泥流が渦を巻いてすり鉢状の穴に収斂していく。狂おしく制す沖田の視線の先、玄関のすぐ手前で草履を飛ばして転ぶ。嫁の叫び応じて縁側にさまよい出た文彦が、裸足で庭に下りる。 刹那。 大雨にぬかるむ地面が瀑布の如く盛り上がり、巨大な異形が姿を現す。触手の先端に吊られているのは気を失った理一だった。

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