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第26話

八月上旬、佐沼文彦ならびに藤代小百合の合同葬儀が日水村公会堂にてしめやかに営まれた。 「本日は誠にもってご愁傷様です」 「お悔やみ申し上げます」 「文彦さんには生前大変お世話になりました」 「清美さんも気を落とさずに……」 葬式後、村人たちが清美さんを取り囲む。それを遠巻きに眺め、囁く。 「いい葬式だったな」 「松竹梅でたとえると?」 「たとえねえよ不謹慎な」 「昔は野辺送りしたみたいやけど、さすがに時代遅れやな。フツーに霊柩車呼んで麓の火葬場に送るらしいで、Uターンめんどそ」 人が刷けた頃合いに青年団の団長と仲間たちがやってきた。茶倉と目配せを交わして歩み寄り、鯨幕越しに聞き耳を立てる。 「本日はわざわざお越しいただいてありがとうございました」 「文彦さんの事は残念だった。小百合さんも」 「はい……」 「青年団の代表のくせに、何もできなくてすまん」 「ご自分をお責めにならないで。人の力で天災は左右できません」 「だが」 「文彦は……義父は、安らかな顔で死んでいました。それが全てです、苦しまず逝けたのが救いだわ。貴方がたは公会堂にいらした村の人たちを立派に守り抜いたじゃありませんか、胸を張ってください」 未亡人の激励に言葉を詰まらせた団長が、先陣を切り頭を下げる。 「あんたんちにゴミを撒いたのは俺だ、すまねえことをした。こんな時だが、一度きちんと謝りたかった」 団長に続けとばかり、大の男たちが頭を下げる。 「東京もんを色眼鏡で見ちまったのは認める」 「佐沼の倅がお山を切り崩したせいで祟りが起きるとか、年寄り連中の言い分真に受けて恥ずかしいぜ」 「アンタ、頑張ってたのにな」 「かっちゃんだけじゃねえ、俺とまさやんとトビオもだ」 「てめえ告げ口すんな!」 「ンだよシラ切り通す気か、五十路すぎて往生際悪い野郎だ」 「ちげえよ、自分で言おうと思ったんだよ!」 「めえら時と場所考えろ、葬式の後だぜ!」 真っ赤な顔で小突き合いを始める仲間たちを団長が一喝し、こらえきれずに清美さんが吹き出す。 「男の人って本当、どうしようもないのね」 青年団の面々がきょとんとし、バツ悪げに互いを見交わし、釣られるように笑いだす。葬式の後だってのに、不思議と場違いじゃない笑い声が青空の下に弾ける。 「和解できたみたいだな」 「これにて一件落着大団円」 太いため息に振り向けば、すぐ後ろで沖田が胸を撫で下ろしていた。清美さんが心配で様子を見に来たらしい。 「付いてなくていいの?」 「彼女が一人で仕切ると言ったんだ。それが佐沼の嫁として、最後の務めだから」 なるほど、駐在が睨みを利かせてたら青年団も委縮しきって謝罪どころじゃねえ。 「籍入れてへんうちから亭主面もできんひんしな」 面白そうにニヤ付く俺と茶倉を三白眼で見比べ、制服のポケットからファンシーな封筒を取り出す。 「何?」 「えりなちゃんから。お前らに渡してほしいとさ」 えりなちゃんは先日迎えに来たご両親と帰って行った。病院の検査の結果、光に過敏になってる以外特に異常はないそうだ。 親子の再会に立ち会った俺はまんまと貰い泣きし、茶倉の顰蹙を買ったのである。 「日常に復帰すりゃ目はすぐ治る。ただまあ、閉暗所恐怖症にならないか心配だな」 声を潜めて話す様子には、えりなちゃんを案じる本心が滲んでいた。 茶倉が話題を変える。 「佐沼尚人の誘拐の件は?藤代は監禁罪に問われるんちゃうか」 「被疑者死亡により書類送検、本人に事情聴取できないんじゃどうしようもない。親御さんは娘の心身の回復を一番に考える方針だ」 「清美はんは無関係てハッキリしたんか」 「彼女は何も知らなかった。地下牢の存在もな。押収したパソコンを鑑識にかけたら色々証拠が出たよ、誘拐は尚人の単独犯で間違いない。藤代さんは従犯、巻き込まれた形だな。たぶん尚人さんが泣き付いたんだよ」 沈黙が落ちる。 「やっぱ藤代さん尚人さんて親子だったの?」 「家系図で確認済み」 「お腹を痛めた息子をお手伝いさんとして育てたのか……切ねえな」 着付けの際に尚人さんの幼少期を懐かしんでた藤代さんを思い出し、胸が痛む。清美さんは気付いてたのだろうか。しずしず帰ってきた彼女に聞いてみた。 「薄々と。確証はありませんでしたが、本人たちは気付いてたんでしょうね」 「女の勘ってヤツっすか」 「俺達に言わなかったのは」 「告げ口するようなまねできません。そもそも聞かれませんでしたし、今回の件には関係ないと思ってました」 「さいですか」 両手を挙げ降参する茶倉。沖田さんが慎重に口を開く。 「誘拐の件は聞かれました?」 「遠回しに尋ねてくる方は何人か。話せる範囲で正直に申し上げましたよ」 「それでいいんですか」 「女房が石女だから子供が欲しくてさらったんだ、なんて言うひとはさすがにいませんよ」 本人が死んだ今、真相は闇の中。わざわざ暴き立てる必要もない。 警察は尚人の精神状態を疑ってるらしい。再開発計画の中止と資金繰りの悪化で追い込まれた彼が、村に語り継がれるおきゅうさまの祟りを真に受け、えりなちゃんをさらったというのが県警の見解だった。 俺と茶倉も事情聴取をうけた。頭からインチキ霊能者扱いされ、胡散臭い目で見られたのにちょっぴり傷付いたのはヒミツ。存外あっさり解放されたのは茶倉のコネのおかげだろうか? 「茶倉さん、長野の小学生誘拐事件を解決した名探偵としてネットで持ち上げられてるそうですね」 知らねえあいだに話がでかくなってた。反射的にスマホをとってSNSで検索する。マジじゃん。 それはまあおいとくとして、優秀な助手に言及するツイートがさっぱりねえのはどういうわけだ? 世の中の不条理を噛み締める俺をよそに、元のスーツに着替えた着替えた茶倉が肩を竦める。 「で、強姦魔の処遇は?」 沖田さんの顔が強張り、清美さんが冷ややかに微笑む。 「人間誰しも魔がさすことはありますでしょ」 私もあなたも。 尚人も文彦も藤代も、この村の人たちも。 「沖田さんの半殺しに続いた私のビンタで手打ち……というのもおかしいですが、あなたがいなければここにいる者皆死んでたかもしれません。それどころか、最悪村が滅んでいた。命の恩人とは呼びたくないけど、実際そうなのだから渋々認めざるえませんね」 「回りくど」 「本当の事を聞かせてください茶倉さん。貴方、私を逃がす為に抱いたの」 茶倉の笑顔が薄まり、清美さんが小首を傾げる。 「沖田さんが昼に来ること知って、わざと押し倒したのかしら」 「せやったら寸止めにしとくわ」 「タイミングが合わず、引き下がれなくなったんじゃありませんこと?」 茶倉が自分を抱いたのは駆け落ちをけしかけるためだというのが、未亡人の推理だった。 清美さんが寂しげに微笑む。 「……もとよりあなたを訴える気はございません」 「清美さん!」 「軽蔑しないでね沖田さん。私、拒まなかったのよ。最後はこの人に縋り付いてた」 「……ッ」 「着替えに立ち会ったんなら気付いたでしょ?それ込みで浴衣を運んでもらったのに」 婀娜っぽくほのめかす清美さんと仏頂面の沖田さんを見比べ、茶倉に聞く。 「どういうこと?」 「背中の爪痕のこっちゃ」 「ふざけるなよ、あんなのが合意の証拠になるもんか!」 「なら改めて申し上げますね、この件は和解が成立しました。被害届を出す気はございません、安心してお引き取りください」 未亡人が面と向き合い、告げる。 「そして二度と、来ないでください」 これが清美さんのけじめ。 茶倉がいなけりゃ大惨事が起きていた。彼女自身はもちろん、沖田やえりなちゃんまで巻き添えになった可能性は十分ある。 それでコイツの仕打ちが相殺されるわけじゃねえけど、日水村の住人として旧家の嫁として、一族の罪を清算してくれた男に礼を尽くす。 「何から何までありがとうございました」 結論から述べれば、別れを一番惜しんでくれたのはゴンだった。 日水村を去る日、バス停には大勢が見送りに来てくれた。桑原のじっちゃん、菊池さん夫婦、青年団のみんな。清美さんと沖田さんは仲良く寄り添ってる。 「烏丸さん、おみやげです」 「わ~嬉しい、なんすか?」 「糠漬けです。随分気に入ってらしたでしょ、タッパーに詰めてきたの」 「マジで?白飯と相性サイコーなんすよね、遠慮なくいただいてきます」 「新幹線の中糠臭くなるんちゃうか」 「るっせえ」 ハンカチに包まれたタッパーを押し頂いてリュックにしまい、聞く。 「その、お屋敷の方は?」 「瓦礫の撤去作業は皆さんが手伝ってくれたので早く済みそうです」 「住まいはどうなさるんですか」 「しばらく藤代さんの実家にご厄介になる予定です」 「え?」 「認知症のお母さまを一人っきりにしておけませんし……意外ですか?」 「いや、てっきり沖田さんと同居するのかと。駐在所って自宅を兼ねてるんすよね」 「勝手に決めるな」 沖田さんが不機嫌げにそっぽをむき、清美さんがちょっと笑って付け足す。 「おもえば藤代さんには甘えていました。家事も介護も頼りきりで、知らない間に依存してたんでしょうね。ご自分だって認知症のお母さまを抱えて大変だったろうに、舅の面倒を見させてしまって……その罪滅ぼし、というわけでもありませんけど、幸いご本人のお許しも得ましたし、今度は私が家事手伝いとしてお世話をしたいんです」 藤代さんは好きで文彦さんの面倒を見てたんじゃねえかな、と思ったが口に出すのはやめといた。我ながら賢明。 「よろしくお願いしますね」と会釈する清美さんに、藤代さんの母親がふがふが返す。娘が死んだことを理解してるかも怪しい。 「せいぜい親孝行したれ」 「はい」 お袋さんの手を握る清美さんを、駐在が愛しげに目を細めて見詰める。 「沖田さん、お世話になりました」 「痴話喧嘩はほどほどにな」 「だから違うっての」 「アイツは論外だが、また遊びに来い。次はもっと歓迎するよ」 「考えときます」 蝉の鳴き声が降りしきり、渓流のせせらぎが響く峠道をレトロなバスがのぼってきた。 『終点日水村~日水村~。折り返し麓の駅に向かいます、足元に気を付けてご乗車ください』 間延びしたアナウンスと共に蛇腹のドアが開き、ステップを上った矢先にゴンにとびかかられた。 「ワンワンッ、ワンワンッ!」 「ちょっ、よせ、ははっ」 「こらっ離れなさいゴン!すまないねえ、余ッ程アンタが気に入ったと見える」 「なんだよ寂しいのかー?そうかそうかモフらせろー」 俺の顔中盛大に舐め回すゴンをなでさすり、耳元でこっそり囁く。 「南京錠お手柄だったぞ」 「ワンッ!」 「落とし物集めはほどほどに。あんまし迷子になってじいちゃん困らすんじゃねーぞ」 忠犬認定は難しくても、日水村の番犬になら認定できるかもしれねえ。 俺のシャツを咥えて引き止めるゴンをなんとか宥め、これにて一件落着と思ったらズボンの裾に小便ひっかけられ、しまいにはレッツ発情期で腰を振り出しやがった。やっぱバカ犬かもコイツ。 「畜生にモテモテ」 「うらやましいだろ」 「犬くさ。寄んな」 やっぱり世の中不条理だ。 バスが緩やかに走り出し、村人たちがだんだん遠ざかっていく。ゴンは途中まで追ってきた。 最後列のシートに陣取り、みんなが見えなくなるまで手を振り続け、体の向きを戻す。 バスには俺と茶倉しか乗ってねえ。開け放した窓から気持ちいい風が入り込み、髪をかきまぜていく」 「お前、何見たん?」 「ンだよやぶからぼうに」 「ネタは割れとんのやで、ガバガバ入れ食い霊姦体質」 「全部まるっとお見通しかよ」 俺は俺が見たこと聞いたことを委細漏らさず茶倉に話した。佐沼家の地下牢で起きた出来事、縣の事。茶倉は茶倉で俺の知らないことをたんまり話してくれた。 だらけきってシートに寝そべり、ぼやく。 「アイツの目、どっかで見た」 ずれた目隠しから覗いた縣の素顔が、既視感を刺激する。肘掛けに頬杖付いた茶倉が退屈そうに返す。 「そらそやろ。縣は俺や」 「はい?」 「正確にはおとんの姓、縣練が本名。ババアと縁組して茶倉練になった」 「え?意味わかんねーんだけど、待て待てどういうこと」 「俺が見たんは萩原えりなの生霊、お前が見たんは俺の分身。それぞれ別のガキ見とったって話」 急展開に付いていけねえ。 「なんでお前が出てくんだよ、子供の頃の姿で」 「幻。タルパ。イマジナリーフレンド。呼び名はなんでもええ。俺が切り離したガキの俺が、うっかり迷い出てきたんや」 「いくらなんでも偶然がかぶりすぎだ、生贄の呼び名が縣でお前の旧姓も縣ってそんなの」 「運命みたいで気色悪いか。同感」 起伏に乗り上げた車体が弾む。 「おとんの先祖はもともと日水村の出身で、関西に落ち延びてきたんかもわからん。逃亡に成功した縣がおってもおかしゅうない。ババアは知っとったんか?おかんは?きゅうせんさまや日水村の事調べとって、偶然おとんに行き着いたんかな。できすぎやな。仕組まれたんか。通りがかりの坊さんも茶倉の……」 「お前んちで祀ってた神様、おきゅうさまの同類なのか。今どこに」 だしぬけに手首を掴まれ、背広の胸に押し当てられた。 「ここ」 口元だけに笑顔を浮かべ、真剣な眼差しで。 「俺ん中」 鼓動に鼓動が被さる。茶倉の中に息衝く生命を感じる。 怖い。 どけたい。 なのに痺れたように動けねえ。 俺の腕を小揺るぎせず掴んだまま、目の前の男が身を乗り出す。 「これからこっぱずかしいヒミツ言うで。笑わへんて約束せい、理一」 「わかった、笑わねえ」 「十三までおねしょしとった」 「強烈」 「まだある」 耳朶をくすぐる吐息がこそばゆく、ヒク付く頬を慌てて引き締める。 「……オレンジの豆電球点けな寝れへん」 懺悔するように打ち明け、悪夢を払うように目を瞑り、数奇な生い立ちを語り始める。 じっと耳を傾けた。 お世辞にも上手な語り口とは言えねえ。 時に突っかえ、時に早口になり、俯いて呼吸を整え、上向いて目を閉じ、語る。 「親が車の事故で死んで茶倉んちに引き取られた」 「おとんは即死おかんは瀕死。シートベルトに逆さ吊りで、おかんが息引き取るん見届けた」 「勉強はようできた。ええ子やねて褒めてほしかったんや。誰に?クソババアに決まっとるがな」 「おかんがことよういうとった、おばあちゃんはホンマは優しいええ人やねんて。初めて会うたんは葬式ん時。ババアが喪主……やったんかな?ひとりでボーッと突っ立っとったら名前呼ばれて、おかんに似てるて言われて、頭をなでられた」 「嬉しかった」 「おかんの実家が拝み屋てその時まで知らんかった。ババアは俺を後継ぎにするため引き取ったんや、おかんが死んだら他におらへんもん、仕方ない、消去法や」 「必死に媚びた。頑張って勉強した。気に入られよ思て……ババアの好きな筑前煮、のこさずたべた」 「無駄、全部無駄。ちゃぶ台返しで穴蔵送り」 「俺んちで飼っとる神様きゅうせんっちゅーねん。字は九の泉、おきゅうさまとルーツは一緒。管狐みたいに分かれたんかな?見た目もほぼ一緒、でっかいミミズ。ぎょうさんおんねん、蠢いとんねん」 「毎度毎度目隠しされた。見たら気が狂ういわれた。組紐の結界。アレな、閉じ込めるんは化け物ちゃうで。人間の……俺の方や。生贄が出れんようにする仕掛け。気付いた時には遅かった、まんまとはめられてもた」 「ババアが言うたんや。苗床て、実の孫に」 もういいと、辛いならやめていいと言ってやりたい。でもできない、しまいまで聞き届ける義務がある。 だってこれは、俺が望んだことだから。 何度も何度も吐き気がした。 目と耳と口を塞いで石になりたいと願った。 茶倉の二十六年の人生は壮絶すぎて、あんまりにも苦しすぎて、俺はなんにもわかっちゃいなかったと思い知らされた。 「牢ん中でなんべんも思た。茶倉なんていやや、もとの縣に戻りたい、おとんの名前に戻りたいて。きっとその時に分かれたんや」 俺が会った縣の正体は、子供の頃の茶倉練だった。 恐らく俺と出会うまえの、一番孤独でしんどかった頃の。 真っ暗な牢で膝を抱えた茶倉。 祖母の姓を捨てたかった少年。 誰にも助けてもらえなかった男の子。 「……というのが、茶倉練改め縣練くんの壮絶な半生でした。暇潰せたか」 「お前がヒミツ暴露したんなら、俺も言わなきゃフェアじゃねえよな」 「ん?」 「お前でヌいたことある」 沈黙。 「……知りとうなかった」 「ほら言うと思った!除霊のタイミング合わずモヤモヤしたら自分でヌくっきゃねーじゃんしかたねーじゃん不可抗力じゃん」 「ジャンジャンうるさいわ鉄鍋のジャンか、ドシリアスにきめて損したわアホらし。ちなみに回数は」 「週……ニ?」 「週単位かいド淫乱」 「お前が絶倫テクニシャンで俺をトロトロに蕩かすのが悪い」 まるで恥じずに開き直り、真っ赤に腫れた目を荒っぽく擦る。 「思うんだけど。縣って、お前の子じゃねえかな」 「正気か?」 「ありえねー話じゃねえだろ?あいのこは人の形をしてた」 「お前かて見たろ、俺が使役したのは」 「生霊?守護霊?みてーな……そのへんはお前のが詳しいか」 「聞けや」 「縣の正体はきゅうせんさまとお前の霊力捏ねまぜた落とし子。お前が切り離したガキのお前が、縣って呼んでほしがってた男の子が、俺を見込んで来てくれたんだよ」 そうであってほしい。 そうであると信じたい。 茶倉の目が冷え込んでいく。 「ドえらいエグくてエゲツない話したけど、引いてへんの」 「逆に聞くぜ、お前はゲイの悪霊に突かれて絶頂してカラスにモツ食われて絶頂した俺に引かねえの?」 「……ちょっとは引いた」 「だよなー」 「一番引いたんは悪霊に突かれたんが癖になってゲイに目覚めた経歴」 「お前はかっこいいよ」 「……」 「かっこいいからいいんだよ。てか、かっこ悪い所に惚れ直した」 数珠を巻いた拳でダチの胸を小突く。 「お前ん中に何が巣食ってようが関係ねー。こっちは今も昔も助けられまくって、お前ナシじゃもたねー体に調教されちまってんの。昔の事忘れろとは言わねーよ、忘れられるわけねえもんな。でもさ、勝ったじゃん。いま自分の足で立ってんじゃん。真っ暗も怖ェのも痛てェのも忘れらんねーなら上書きしようぜ」 自分でも最低の励まし方だとあきれちまうが、物事はなるようにしかならねえ。 「渡さねえ。絶対に」 茶倉の胸に五指を広げ置き、宣戦布告。 過去は変えられない。 俺はどうあがいてもガキの頃の茶倉を救えねえし、あったことをなかったことにしてやることもできねえ。 だからこそ 「!ッ、」 胸ぐら掴んで唇を奪った。 最初は閉じていた唇がおずおず開かれ、舌と舌が遠慮がちに、次第に大胆に絡み合い、気付けばぼすんと押し倒される。 「煽っとるん?」 茶倉がうざったげにネクタイを緩め、シャツの襟元を開く。 「さすがにバスん中はちょっと―……」 「アホか、せんわ」 「東京帰ってから」 「新幹線のトイレは?」 「バレたら捕まるっての」 ひび割れに乗り上げてバスが弾み、危うく舌を噛みかけた。揺れた拍子に背広の懐から組紐が零れ、咄嗟にキャッチする。 「まだ持ってたのか。俺にくれたのとは別の?」 「道祖神に結界張ったんや」 「利いたの?」 「地震が村ん中だけですんだ。最悪道路が分断されとった」 「大惨事じゃねーか」 えりなちゃん発見の連絡を入れた時間帯と茶倉の証言を踏まえりゃ、警察車両が向かってた頃だ。 ホッとした反動でちょっとした悪戯を思い付き、五色の組紐を自分の左手薬指に結んだのち、茶倉の左手薬指に巻き付ける。 「運命の糸、改め運命の組紐」 「赤くない」 「こまけえこと気にすんな。こっちのがいろいろ雑ざってて贅沢で綺麗じゃん、なにより丈夫で切れにくい」 試しに薬指を曲げると茶倉の薬指も引かれ、楽しくなってきた。 『ゥお客様にお願いがございます。バスの車内でふざけるのは大変危ないのでゥおやめください』 反射的に跳ね起きて背筋を伸ばす。運転手が前を向いたまま咳払いし、バックミラーをいじりだす。 俺と茶倉の左手薬指はまだ組紐で繋がれたまま、端と端に離れてもまだ長さに余裕がある。 先に吹き出したのは茶倉。 「しょうもな」 続いて俺。 「だな」 しばらく日水村の事を話す。 「清美さんだいじょぶかな」 「屋敷が潰れても土地株証券残っとるよって安泰」 「誘拐に関与疑われたり」 「金あるさかい示談に持ち込むやろ。駐在が間に入って上手くやるて祈っとけ」 「また遊びに来いって言われちまった。お前は出禁だっけ」 「頼まれたって二度と行かんわあんな村、ド腐れ先祖の後始末やらされただけやんけ」 「報酬は振り込まれたんだろ?前向きに」 もうこりごりといった感じで肩を回す茶倉に苦笑を禁じ得ず、リアガラスの彼方に視線を放り、遠ざかりゆく日水山を仰ぐ。 「……藤代さんが目隠ししたの、えりなちゃんの目が怖えからじゃねえか」 あるいは、被害者の瞳に映る自分が。縣たちが目隠しされたのも同じ理由かもしれない。 「文彦さんは息子と家政婦の犯罪知ってたのかな」 「どうだかな」 「認知症を装ってたとか」 「それはない、診断出とる。あの時はたまさか正気に戻ったんやろ」 「愛が起こした奇跡か」 藤代さんの手に手を添え、息子の仇を討とうとした文彦さんに感慨を抱く。 「戦ってる時にごにょごにょ言ってたの、やっぱ能のセリフ?」 「『土蜘蛛』っちゅー室町時代の鬼退治もの。アレンジしたけど」 「蜘蛛もミミズも土属性だもんな」 「賢い」 「おきゅうさまときゅうせんさまが同じもんなら、子どものナリが違うの変じゃねえか」 「別の進化を遂げた、とか」 「神様とか化け物も進化すんの」 「土地に適応して性質が変わることはあるやろ、人間と同じや」 「屁理屈っぽい」 「テレゴニーて知っとるか」 「何語?」 「日本語訳は先夫遺伝、または感応遺伝。雌が前に交わった雄の性質が、別の雄の子に遺伝するっちゅーけったいな迷信。未亡人や再婚した女の子は前の夫の容姿や性格を帯びるて言われとって、自然界の動植物の一部に実際この傾向がある」 「おきゅうさまもそうだって言いたいのか」 「化け物は人の体を通って受肉する。人間の精液と霊気を捏ねたら人もどきができあがるっちゅー、いわゆるホムンクルス理論。あっちは人間の精液を四十日密閉して腐らせるか、フラスコに三日月の夜露と青年の血液を混ぜて作るらしいで。メルヒェンか」 佐沼の当主が道を付ける事にこだわったのは、「型」を作るためか。 「その点俺もおかんも初物さかい、まねようなかったんやろな。ざまみさらせ」 縣の霊は佐沼一族の終焉を看取り、成仏した。 縣たちが離れた事でおきゅうさまが弱り、それが勝機をもたらしたのだ。 「清美さんが見逃されたのは跡継ぎ産んでなかったから?」 「テレゴニーがホンマなら尚人によォ似た子産まれるで」 「可愛がるよ。きっと」 ……だよな? 少しだけ不安がぶり返し、メールを打とうと思ってやめとく。 「寝た子を起こさんとええな」 茶倉の目は笑ってない。 不吉な予言に慄くも、すぐさま矛盾に気付く。 「待て待て待て、テレゴニーならお前に似るんじゃねえの」 「中出ししてへん」 「そーゆー問題?」 「見られて萎えた」 「もういっこ気になってんだけど、屋敷の地下に縣たちの霊がうようよしてたの気付かなかったの?」 「ミミズの腹ん中おったらそらわからんて、俺かて万能ちゃうぞ」 「そういうもん?」 「気配の見極めは難儀やねん、年月たっとると人も化けもんに寄ってくる」 スマートに足を組んで嘯く横顔に一抹の疑念が掠める。 本当は全部知った上で、日水村を滅ぼそうとしたんじゃないか。 日水村の過去を見通して、こんな村滅んじまえばいいと思ったんじゃないか。 まさか。 どうかしてる。 俺がコイツを信じなくて、誰がコイツを信じるんだよ。 「終わりよければすべてよし、か」 しらけて結ぶのに胸騒ぎがし、強引に話題を変える。 「百日紅も埋まっちまった。もったいねえ」 「屋敷の庭にあった?」 瞼の裏に描くのは、濃紅に燃える百日紅の下にたたずむ少年。なんで蔵に導いたんだ?情事の真っ最中だったのに……口には出さず考えを巡らし、ある可能性に行き着く。 俺たちの左手薬指を繋ぐこの組紐みてえに、本体である茶倉と分身である縣の精神が繋がってんなら、茶倉が助けを求めた時に出て来るんじゃないんだろうか。 それを本人に問うのは気が引けて、どうでもいいことを聞いてみた。 「花言葉詳しい方?」 「ものによる」 「百日紅の花言葉は」 「Siriにパス」 「尻はアス」 「喧嘩売っとんのかい」 「iPhoneじゃねえもん」 いかにも面倒くさげに舌打ちし、美しい組紐で運命みたいに結ばれた男がゆっくり振り向く。 「雄弁。愛嬌。不用意」 「ワー俺二ピッタリ」 「あなたを信じる」 「…………」 無造作に放たれた言葉が心臓を殴り付け、耳までみるみる熱くなってく。 「熱中症?」 「ッひ!?」 頬にラムネ瓶が押しあてられた。茶倉の仕業だ。 「なっ、なっ、なななななん」 「バスに乗り込む前に駄菓子屋で買うたのド忘れしとった、ちょいとぬるゥなっとるけど炭酸死んでへんなら飲めるやろ」 「なんでそういうことするの!?嫌い!!」 「なんやねん大袈裟な……ドッキリにビックリしすぎで引くわあ、打ち上げ兼ねて祝杯上げよて俺のサービス精神むげにすな」 「バスん中で?」 「人おらんし」 「……間違ってたら悪ィんだけど。俺と沖田さんがサシで飲んでんの見て、うらやましくなったりした?」 「上書きしたくなった」 「もっと早く言えよ」 「ええ大人がラムネ瓶ぶらさげて人前出歩けるかい、二十万やでこのスーツ」 「スーツはいま関係ねえ」 「大アリクイじゃボケ」 実に嫉妬深くて面倒臭い上スーツは断じて関係ねえ。けどまあそこまでいうなら付き合ってやるかハブんのは可哀想だしと開栓、互いの瓶をかち合わせる。 「「乾杯」」 瓶を傾けて嚥下。喉の奥で炭酸が弾け、五臓六腑に染み渡る。茶倉はまだ口を付けず、ガラス瓶のくびれに嵌まったビー玉を眩しげに眺めていた。 「あのさ。別に割らなくてもとれるぜ、ビー玉」 「知っとる」 「あっそ、じゃあ言わねー」 「言えや教えたがり」 「ねじ式と打ち込み式でやりかた違うの」 「え、種類あったんか」 「これだから素人は」 世にもくだらねえ馬鹿話の最中、えりなちゃんに貰った手紙の存在を思い出し、リュックのポケットから引っこ抜く。 緊張と期待が綯い交ぜの気持ちでいざ開封し、次の瞬間には没収されていた。 「返せよ」 「礼状は上司に譲るんが社会人のマナー」 水色の便箋を開いて素早く目を通し、盛大にニヤ付きはじめる。 「ふぅん。へぇー」 やな感じ。痺れを切らして奪い返しにかかるも連続で空振り、完全に行動を読まれた悔しさにイライラが募りゆく。 「俺が貰ったんだぞ茶倉ッッ!!」 「俺たちな。宛名よく見てみぃ、『TSS様御中』て書いてある。小4で末恐ろしわ、授業でビジネス文書の作例やるんか」 「ウォンチュー?乗っ取り?」 「会社に手紙出す時に付ける敬称」 「て事は残留決定クビ撤回って解釈でオーケー?」 しまった、って顔しても遅い。サンキューえりなちゃんと心ん中で礼を述べ、もったいぶって片手をさしだす。 「給料上げろよ社長」 「働き次第で応相談」 茶倉がしかめっ面で俺の手を握り、それが照れくさげな苦笑いに変化していく。 「蔵で調べものしとった時、なんでか急に手がぬくくなった」 地下牢で縣の手を掴んだ。 「真っ暗闇から引っ張り上げてもろた気がした」 ずれた目隠しから覗く目を、どこかで見た気がした。 「おおきにな」 窓の向こうを延々流れる白いガードレール、夏の陽射しを照り返す翡翠色の渓流。 膝に置かれた便箋を捧げ持ち、おっかなびっくり読み進め、茶倉がいやらしくニヤけた意味を完璧に理解した。 「初恋ゲットおめでとさん」 組紐をぐるぐる巻きにした薬指の根元が甘く疼き、この腐れ縁はまだ当分切れなさそうだと空を見上げて達観する。 次に縣に会ったら、こんな大人になるなと言いたい。

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