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第53話 『あなた、まさか』

 不躾に部屋に入ってきた少女の後からモーリスが入って来た。 「申し訳ございません、レヴィン様。お止めしたのですが……」  家令の言葉に、エリゼはモーリスを振り返った。 「あなた! 使用人のくせに『レヴィン様』だなんて! 殿下とお呼びすべきでしょう⁉」  声高な怒りの声に、クオンとロッドが目を見合わせた。  レヴィンはあまりのことに眩暈(めまい)を起こしそうになりながら、なんとか言葉を発した。 「エリゼ、いまは来客中だ。控えてくれ」  亜麻色の髪を上品に垂れ流した少女は、小顔のわりに大きな目を見開いた。 「まあ、来客といってもこの下町の方でしょう? わたくしずっとレヴィー様にお会いしたいとご連絡していたのに、お返事をくださらないから来てしまいましたの」  彼女は白い手を胸元にあて、訴えるように言った。  二人の服装から取るに足らない相手と判断したのか、庶民よりはるばる来た自分を優先しろ、と言ってのける。    レヴィンが口を開く前に、彼女は半身を向けているクオンに目をやった。    とたん、エリゼの顔が険しくなる。 「あなた、まさか……リウ?」  リウ、と呼ばれてクオンの目がスッと細められた。その黒い瞳には冷たい色を浮かべていた。 「エリゼ、彼は」  レヴィンは止めようとしたが、エリゼは憎々し気に黒い瞳をにらんだ。 「いなくなって清々していたのに、こんなところでまた付きまとってるなんて。宮廷から逃げ出したくせに、なんて図々しい」  その言葉にクオンがギッとにらみ返した。挑み返すような目の色に、レヴィンはどきっとした。  しかしエリゼは怯まない。  胸を張り、あごを突き出すようにして見下ろした。 「あら? ペンダントはどうしたのよ。あなたの大事な大事なペンダントは。まさか、なくしたの?」 「…………」  クオンは黙したまま、しかしエリゼから目をそらさなかった。 「ほんと生意気。よくもそんなみすぼらしい恰好で、レヴィー様のお屋敷に来れたわね。恥を知りなさい。あなたなんてどこまでいっても所詮庶民よ。さっさと出ていきなさい」  ふん、と鼻を鳴らした彼女に、レヴィンは怒りの声を上げた。 「エリゼ‼」 「ふざけんなよ」  と同時に地を這うような低い声が重なった。  レヴィンはハッとした。  ロッドがゆらりと立ち上がり、エリゼの前に立った。 「馬鹿にするのもいいかげんにしろ」  エリゼは頭ひとつ分身長の高いロッドを侮蔑した目で見上げた。 「なによ。本当のことを言っただけじゃない。みすぼらしい負け犬だって」 「こいつを侮辱するな!」  ロッドの怒声が響いた。エリゼが瞠目して固まる。  庶民と貴族。立場では貴族が上といっても、大人の男に力づくでこられたら、勝てるものではない。エリゼは本能的な恐怖を滲ませた。  それを見てとったロッドはレヴィンに体を向けた。 「俺たちは帰る。文句はないな?」  レヴィンは奥歯を噛んでうなずいた。  ロッドはひとり座ったままでいるクオンの腕をとった。 「ほら、帰るぞ」  引っ張られてクオンが立ち上がる。  ロッドの迫力に怯んでしまったエリゼは、悔しさで負け惜しみを吐いた。 「王子殿下に対して、なんて口の利き方。これだから庶民は嫌いなのよ。汚らしい」  ロッドも鼻で笑った。 「あんたも。どこのお嬢様か知らないけど、そんなんだから、王子様に相手してもらえないんだよ。女磨く前に、その性格直してから来いよ」  エリゼの頬がカッと赤くなる。彼女の手が怒りでぶるぶると震えた。  クオンの腕をひいて、ロッドが応接間を出る。レヴィンも追うように続いた。  扉を閉めると、ロッドが振り返った。 「ここでいいわ。ずいぶん怒らしちまったから、あと大変だろうけど」  レヴィンは首を振った。 「二人とも、本当にすまない」  深々と頭を下げる。廊下に出ていたモーリスも(こうべ)を垂れた。  二人は何も言わなかった。    ロッドはポンとクオンの頭に手を置いて、帰りを促した。モーリスが玄関まで先導する。    ロッドの後ろをとぼとぼついて行くクオンを見て、レヴィンは引き留めたい気持ちを必死で抑えた。     応接間での光景が脳裏によみがえる。    ロッドは友人を侮辱され、本気で怒った。相手が貴族であろうがお構いなしだ。    それに引き換え自分は何もできなかった。クオンを擁護することすら、ままならなかった。    情けない自分に唇を噛む。    クオンがロッドに惚れている理由がわかった。    苦しくなる気持ちをレヴィンは抑え込んだ。今はやらなければならないことがある。    扉に向かい、目を閉じ、深く息を吸う。    目を開けたとき、レヴィンは感情を消していた。

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