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第58話 『あかぎれ』

 寒風吹きすさぶ、厳しい季節に入った。    レヴィンは真冬になっても変わらずクオンの家に来ていた。しかし、変化はあった。    クオンに身分を明かしたのは一か月前。その後、レイトンの有力貴族にも身分を明かすことにした。    ロムウェルというのは母親の姓で、宮廷に縁のある貴族を装っていたが、いずれ露顕するだろう。    エリゼのときのように、思わぬ形で知れ渡るようなら、早いうちに伝えておいた方がいいと思った。    だが、一番の理由は堂々としていたかったからだ。    クオンに誇ってもらえる人になりたかった。    貴族であろうがお構いなしにエリゼからクオンを庇ったロッドは男前だった。    クオンに振り向いてもらいたいなら、今のままではダメだと思った。    レヴィンは有力貴族の屋敷を訪れて回った。身分を明かすと、彼らはひどく驚き、恐縮した。  隠していたことを詫びると、逆に明かしてくれたことを光栄だと言ってくれた。同時に御身のために、格式の高い家門以外には黙っておいた方がよいと進言された。  彼らは示し合わせたように、このことは内密にしておきます、と言った。    モーリスに話すと、護衛がいない中で庶民にまで広まったら、暴漢に襲われる可能性が高くなるので、そうしてほしいと言う。    皆の心配もわかったので、その忠告は受けることにした。    森の家に着くとクオンは調合の部屋にいた。家の中は暖炉の火で暖かい。  ふうと息を吐き、暖炉の前で少し暖まると、薬草洗いをするため、再び外に出た。    井戸水は刺すように冷たい。手がかじかんで、うまく動かなくなる。手先が真っ赤になり、痛みすら感じた。    風が吹いているので、洗った薬草はすべて二階に持っていく。乾いたものは回収して、調合の部屋に持っていくと、クオンが背伸びしたところだった。  その背に向かって話しかける。 「お茶にしようか」 「ん、頼む」  台所に行くと、何種類か茶葉がある。  そのときの気分で選ぶのだが、レヴィンは紅茶を選ぶことが多かった。特に花の香る紅茶はお気に入りだ。  元より香草茶より紅茶の方が好きというのもある。今日もそれを選びたかったが花の香る紅茶は茶葉が少なくなってきたので、香草茶にする。  選んだのは爽やかな香りで苦味のある香草茶だ。街の香草店で二番目に人気のものだ。  紅茶風味の香草茶もあったが、選ばなかった。  ロッドの好みに合わせて作られたと知ってから、なんとなく避けてしまう。  好きな味ではあるので、クオンが入れてくれれば飲んでいた。  茶葉と熱い湯を入れて持っていき、鞄から本日のおやつを取り出す。  菓子は小麦粉とバターで作られた生地の間に、林檎を入れて焼いたものだった。 「日に日に豪華になっていくな」  クオンは苦笑しながらもうれしそうだった。甘い物が大好きなのだ。 「この前モーリスが料理人と香草茶に合うお菓子の話をしていた。また新しいのを作りそうだぞ」  クオンが座ったところで、香草茶を入れようとしたら、中指がチクリとした。  レヴィンは痛みで顔をしかめ、持っていたポットを置いた。手を広げて見ると、指にあかぎれがいくつもできていた。その一か所から血が滲んでいる。 「割れたのか」  クオンはすぐに立ち上がり、練薬を持ってきた。レヴィンも作った切り傷用の薬である。  レヴィンの片手を取り、薬を塗ってくれようとする。 「自分で塗る」  恥ずかしさもあって、レヴィンは手を退こうとしたが、クオンはその手をギュッと握り、離してくれなかった。  とく、と胸が鳴ったが、クオンの手付きは優しくなかった。  切れたところを容赦なくグリグリ擦り込んでくる。恨みでもあるのかと思ってしまう。  ありがたいが痛いのだ。  レヴィンが顔をしかめて堪えていると、塗り込む手を止めたクオンがぽつりと言った。 「ごめんな」  極々小さな声だった。 「なにがだ?」  その問いに答えはなかった。薬の蓋を閉め、レヴィンの前に置いた。 「持って帰れ。家でも塗るといい。明日は来ないんだっけ?」  レヴィンは礼を言って、薬をズボンのポケットにしまった。 「ああ。顔を出さないといけない家があるんだ。明日と明後日は来れない」  レヴィンは貴族や商人たちと積極的に会うようにしていた。    これまでは屋敷の主人としての義務で面会していたが、今は自分のため、できることを探すために動いていた。  クオンは「いいことじゃないか」とカップにお茶を注ぎ、飲むとすぐに林檎の焼き菓子を食べた。  レヴィンもカップに口をつけたが、唸り声を上げそうになった。自分の入れた香草茶は蒸らしすぎて渋くなり、飲めたものではなかった。

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