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第81話 『エリゼ=スタンフォード』

 宮廷からの使者が帰って行ったのと入れ違いに、予期せぬ来客があった。    エリゼ=スタンフォードである。    前回のようにずかずかと踏み込んで来ることもなく、家令のモーリスを通していた。    王家離脱の書類に署名し、身軽になったレヴィンは浮かれていた。  応接間に通された彼女の元へ行くと、エリゼは声をわななかせた。 「レヴィー様、なんてことをなさったのですか」  王位継承権の放棄に留まらず、第六王子の王家離脱の話は宮廷を席巻し、大騒ぎだったという。  エリゼの責めるような視線をレヴィンは受け止めた。  可憐な顔をレヴィンが黙って見ていると、モーリスが紅茶を持ってやってきた。淀みない動きでレヴィンとエリゼの前にカップを置き、退室する。  レヴィンは扉が閉まるのを見てから言った。 「私は宮廷には馴染めなかった。ここに来て自由を知った以上、戻るつもりはない。ハーゼリアの名は重いだけだ」  エリゼは眉間に皺を寄せた。膝の上で握った拳をじっと見ていたが、顔を上げ、レヴィンを見据えた。 「……わたくし、婚礼の日が決まりました」  唐突に話しが変わり、内心面食らう。  だが、彼女の挑むような目を見ても、心は凪いでいた。 「いつだ?」 「次の春です」 「そうか。幸せにしてもらえ」  第二王子の企みはどうであれ、彼女を愛していることは間違いないと思っている。  レヴィンの淡々とした応対に、エリゼは唇を噛んで、首を振った。 「レヴィー様! わたくしは子供の頃からずっと、今でもレヴィー様のことが好きなのです! 結婚なんてしたくありません! レヴィー様のおそばにいたいのです!」  エリゼは目尻を光らせながら訴えてきた。  勇気を振り絞っているのだろう。声も唇も震えている。    レヴィンも誰かを想う気持ちは痛いほどわかった。どんなに想っても、受け止めてもらえない辛さも、身をもって知っている。  レヴィンはゆっくり目を閉じ、開いた。 「ではエリゼも庶民になるか?」  その一言に彼女は固まった。 「それ……は……」  エリゼの目が泳ぐ。レヴィンは酷だなと思いながらも言った。 「エリゼ。私には想う人がいる。きみの気持ちに応えることはできない」  彼女は弾かれたように顔を上げた。 「それは、リウのことですの?」  レヴィンはふっと笑い、首を振った。 「前にも言ったが、彼はリウではないよ。クオンといって、リウとは別人だ」 「信じられません」  即座に否定したエリゼに、レヴィンは思わず苦笑した。  レヴィンも彼のことをずっと疑っていたし、緑の石のペンダントを出されたときは、まんまと引っ掛かった。  レヴィンは笑みを消し、エリゼに言った。 「きみにわかってもらえなくてもかまわない。だが、これだけは伝えておく。私は彼のそばにいるために、名を捨てた」  エリゼは大きく目を見開いた。今にも涙が零れそうだ。  だが、意地でも泣くまいと堪えているように見える。  彼女は細い肩で大きく息をしたあと、モーリスが出してくれた紅茶を手に取った。  香りを嗅いで、囁くように言った。 「この紅茶は宮廷の御用達です。お好きだったと聞いたので、お持ちしました」  言われて、レヴィンもカップを手に取った。たしかに以前はよく飲んでいた紅茶の香りだ。  だが、クオンが作った花の香る紅茶に慣れてしまったので、物足りない香りだった。  この紅茶も、もう飲むことはない。口をつけると、蒸らし過ぎたのか苦味があった。   レヴィンが飲み干すと、エリゼはカチャンとカップを鳴らし、立ちあがった。 「さようなら。レヴィーナード様」  見下ろして別れを告げたエリゼは、怖ろしく冷たい微笑を浮かべていた。

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