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第5話

今の秀一に配信についたコメントを読む余裕はない。 ただただ、自身の身に起きたあり得ない現象に混乱している。 「そうだ!ナイフーー」 秀一は、ポケットに折り畳みナイフがあるのを思い出した。 ナイフは護身用だ。対幽霊というよりはむしろ、人間に対して。 世の中恐ろしいのは幽霊だけではない。いや、むしろ幽霊なんかいないと考えるなら、怖いのは人間だから。 いじめられた際に、ネットで見掛けて購入した品だ。 勿論これで人間を刺そうなど思っていない。 ただ、力が欲しかった。強さが欲しかった。ナイフは男らしさや強さの象徴に見えた。 秀一にそれがあれば、からかわれたり苛められたり、性的な悪戯もされなかったはずだから。 ナイフは護身用以外にも邪魔な草を刈るとか色々役立つ。 が、まさか得体の知れない髪の毛を切るのに使うとは思わなかった。 懐中電灯とカメラで両手は塞がっているため、懐中電灯の方を床に置いてナイフを手にする。 ナイフは折り畳み式だ。 普段なら簡単に刃が飛び出るのに、焦りのせいか上手く開かない。 指先が震えている。 「くそッ、開け、開けよ!」 漸くパチンという音がしてナイフの刃が飛び出ると、暗闇でキラリと光った。 身を屈め、ナイフの刃を当てて足元に絡み付く髪の毛を無我夢中に切る。 ぷつっぷつっ 何本かが足から剥がれる。 「やった!」 思わず声を上げる秀一。 一気に切ってしまえ! もう一度ナイフを振い、邪悪なオーラを放つ黒い塊を勢いよく切り裂く。 すると髪の毛の束はバサッと床に落ちた。 同時ーー個室から人のものとは思えない唸り声が。 『何すんのよおお!』 男のような、女のような。 すさまじい怒気を帯びた叫び。 『あたしの髪の毛えぇぇ!』 それが獣じみた咆哮に変わるのに時間はかからなかった。 恐怖に真っ青になる秀一。 逃げなくては。 あの声の主は、人なのか? いや、どう考えてもそうじゃない。 だったら何?それはーー 髪の毛による足の拘束は解けたのに、今度は恐怖で身体が動かない。尻をぺたんとついて、床に無様に座り込む。 個室の扉がギィ、と音を立てて開く。誰かが、何かが、床にひたりと身体をつけて這って出てくる。 長すぎるストレートの髪の毛、血走った目、剥き出しの歯。 その恐ろしい形相に秀一はゾッとした。 女だ。年齢は三十歳ぐらいだろうか。長袖の白ブラウスに紺のスカートという服装か。スカートをズルズル引きずりながら床を這い、秀一の方に向かって来た。 「く、来るなっ!」 来るなと言われてはい、と引き下がる存在には見えないが叫ぶ。 花子さんなのか?いや、花子さんは小学生のはずだし髪はおかっぱだ。スカートも赤くない。 違う、今はそんなことを気にしている場合ではない。間違い探しじゃないんだ! 女が花子さんだろうが良子さんだろうが、秀一に害をなそうとする怪異なのは間違いない。 「助けてっ…!」 ナイフを放り出して懐中電灯を掴む。こんな時でも左手に握るカメラだけは決して離さないのは、駆け出しでも自分はYouTuberであるという自覚があるからであろうか。 女は個室からはみ出るような形で秀一の方に腕を伸ばす。 駄目だ、このままだときっと此方にやってくる。気力を振り絞り、床に張り付いた尻を引き剥がす。震える脚で立ち上がり、その場から一目散に逃げ出す。 『まてえぇぇ』 女の声が無人の校舎に怒涛のように鳴り響いた。

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