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第10話

秀一は命からがら踊り場に到達した。心臓が早鐘のようだ。 『出来たじゃないか、やるな』 「はあ、はあーー」 息を整えながら、命がけに拾ったナイフを折り畳みポケットにしまう。そして秀一は辺りを懐中電灯で照らして見渡した。声の主がいるはずだから。 しかし、そこであり得ない光景を目にするーー 大きな鏡がある。 さっき通った時もあった、秀一よりも背の高い大きな鏡だ。 あの時は秀一の姿が映し出されていた。 今だってそのはずなのだが。 映っているのはーー見知らぬ長身の男。 一瞬目をぱちくりする。暗がりだからよく見えないのか。 しかし、鏡の中の姿は明らかに秀一ではない。 急いで後ろを振り返る。誰もいない。踊り場には秀一しかいない。声の主の姿もないーー 『ここだ。俺は鏡の中にいるんだよ』 その声は言葉通りーー鏡の中に立つ男から発せられていた。 「わ、あああああッ!」 あまりの驚きに秀一は懐中電灯を投げ出してその場にへたり込む。 『なんだ君は。さっきまでの度胸はどうした?随分臆病だな』 鏡の中に立っている男が嗤う。 その男の年齢は、三十代位に見える。ウェーブがかかった黒髪短髪は前髪が長めで片目を隠すように垂れている。 見える方の目は切れ長だ。鼻筋は通り、その下にはキリリと結ばれた形良い唇がある。 容姿端麗。簡単に言えばイケメン。 服装は長袖のYシャツに灰色のスラックス、黒の革靴とサラリーマン風だが、アイドルですと言われても驚かないほど美しい。 そんな見目麗しい男が、まるで氷付けにされたみたいに鏡に囚われている。 「にん、げん…?」 『人間だ。元人間、かな。今はーー幽霊?怪異?知らないけどそんなものか。生きてないからな』 生きて、いない。 さらりと言う男に秀一は目を見開いた。 しかし、本当に幽霊なのか? 「話してるじゃないか。人間だろ?」 『理屈は俺もよくわからん。意識もあるし話せるがーー死んだ記憶があるし、死んでるんだろう』 「死んでる人から死んでますって自己紹介されるのってなんだか……」 死んだら人は動かないし話さない。 秀一の常識はそうだ。 しかし、幽霊に人間の常識は通用しないし、人間の常識に当てはめ考えるのがおかしいのかもしれない。 幽霊には幽霊の常識や法則があり、秀一はそれを知らないということか。 『逆に聞くが、君は人間がどういう仕組みで話したり歩行するか理解してやってるか? 産まれた時にオギャアと言うのに考えたか』 「それは理屈も知らないでしたと思うよ、確かに」 『俺は死んだ。気が付いたら人間の時とは異なる状態になっていた。 囚われた磁場から独りで移動できない。俺の姿や声は大半の人間に見えない、聴こえない』 「僕には見えてるし、遠くからも声が聴こえたよ?」 焦っていたからおかしく思わなかったが、踊り場に人がいたとして、廊下にいる秀一と話をするのは無理がある。 人間同士、なら。 しかし彼と自分はーー 『恋人になる運命……だからかな』 「はい?!」  『冗談だ。君と俺は相性がいい、波長が合うんだろう。所謂霊的な。兎も角』 鏡の中の男はスッと秀一の方に腕を伸ばすポーズをした。まるで王子様が恭しく姫にダンスを申し込むように 『俺はずっと待っていたんだ、君に逢えるのを』

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