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第17話
鏡の中の男の姿が薄れ、消えた。
触手たちは黒い霧へと戻り、空気に溶けるようにはらはらと消えていく。
手足に巻き付いていた触手も無くなり、秀一は乱れた衣服のままへなへなとその場に座り込む。
目の前にあるのは、真っ暗になった鏡だけ。
『ありがとう、これで俺は君の中に入った。君の中に、満ちた』
男は、秀一の体内の丹田という場所に入った。
ここは気を練る場所といわれている。
気、とは生命エネルギーの象徴だ。瞑想によって生命エネルギーを高めるヨガでも、この部位に力を込めて呼吸を止めエネルギーの集約を目指すトレーニングがある。
丹田はヘソから数センチ下の奥にある。秀一は下腹になんとも言えぬ重みを感じた。
「う……」
よろよろと下着とズボンを持ち上げて肌を隠して衣服を整える。
足元を見ると、自身が放出した精液が踊り場の床を濡らしていたが、黒い霧がこびりついて吸いとっていた。
すっかり床が綺麗になると、霧は鏡ではなく秀一にまとわりつき、スッと消える。
そんな様子を黙ってぼんやりと見ていた秀一であったが、キッと顔を上げる。
「……こんなの、聞いてない」
涙が残る瞳に怒りの炎を宿す。
秀一は確かに女の子のような容姿だが、男だ。
知らない人間ーーではなく幽霊に勝手に性行為をされ、黙ってなどいない。
『すまない。しかし言ったら中に入れてくれなかっただろ?』
声は脳内に聴こえている。男は本当に秀一の体内に入ったのだ。
「当たり前だッ!あんなことーー知らない、好きでもない相手に許すか!」
『好きなら、いいのか』
「揚げ足を取るな!くそ、僕の中から出ていけ、出ていけってば!」
『断る。俺にはやらなくちゃならないことがある。俺はーー』
その時、遠くからけたたましいサイレンの音が響く。
ピーポーピーポー。
ウーウーウー。
救急車とパトカー、二種類であることはすぐにわかった。
恐らく配信を見ていたまともなリスナーが呼んだのだ。
秀一に何かがあったのを、危機を察して。
香典の文字を見た時は、リスナー全員に嫌気がさした秀一であったが、すべての人がそんな悪のりをしたわけではないのだ。
心配してくれた人が何処かにいる。
その事実は秀一の心をほんのりと暖めた。
しかしほんのりのんびりしている状況ではない。
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