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第89話

秀一が目覚めるとベッドの上だった。きちんと部屋着を身に付けている。 『気が付いたか?』 体内にいた奨がすぐ実体化し、秀一の手をしっかりと握った。 「奨さん、僕、倒れた?」 『嗚呼、浴室で激しい運動をし過ぎたからな。立ち眩みを起こしたんだろう』 「……ごめんなさい、運んでくれたの、奨さんだよね」 『謝ることは何もない』 全裸で倒れた秀一をタオルにくるみ、奨は姫抱きにした。細身の秀一を運ぶのは全く大変ではなかった。 『無理をさせてすまなかった』 「ううん、ちょっとお腹がすいてたから倒れたのかも…」 『そうか、なら、起きれるようになったら食事を作ってやろう』 「ありがとう…」 ギュッと手を握ってくれる奨の優しさが染み入る。 お風呂でのエッチは刺激的でとても良かった。初めての口淫も喜んで貰えた。 倒れてしまったが、体調が優れなかっただけだろう。 二人の間に問題はない。 秀一は身体を休めようと眼を閉じた。 *** 二時間ほど寝てから秀一は眼を覚ます。起き上がれるほどに回復したというか、酷くお腹がすいている。 「……奨さん、お腹すいた」 『起きたのか?じゃあ、食事にしよう』 二人は階下のキッチンへと向かう。 『すぐに食べられるものがいいな。そうだ、シュウ。今夜は鍋にしよう。俺が好きなとっておきの鍋を紹介するよ』 「お鍋?わ、どんなのだろ」 席についた秀一はワクワクして眼を輝かせる。 奨はそんな秀一の前に卓上コンロと一人用の土鍋を用意した。 土鍋には水が張られている。 『まず野菜からだ』 そこへ、奨は人参、玉葱、じゃがいも、キャベツ、トマトを入れる。 「え、お鍋なんだよね?」 鍋と言ったら白菜や椎茸、長ネギなどでは? 後は豆腐を入れて豚肉や鶏肉、または魚介などを入れるイメージだ。 『洋風だからな。肉はこれだ』 次に奨が鍋にぶちこんだのは、なんとソーセージと生ハムである。 ドボンドボンと投入する様に秀一は眼を丸くする。 「え、え、ポトフ?」 ポトフは、野菜と鶏肉を煮込んだスープである。 『そう、味付けもコンソメベースだからそうなるな。しかし一番の味のポイントはこれだ』 じゃーん、と奨が取り出したのはなんとくし切りにしたレモンだった。鮮やかな黄色。 「絞るの?」 おずおずと聞く秀一。すると奨は、レモンをまるごとドボン!と鍋にぶちこんだ。 「えー!」 『シュウ、これがレモン鍋だ!』 レモン鍋。確かにレモンがまるごとドボンならそうだが… 奨は最後にすぐ煮える葉物、クレソンを入れた。もうもうと湯気がたち、もう具材はいい感じに煮えている。黄色いレモンもプカプカしていた。 「え、これ僕一人で食べるんだよね」 わかりきった質問だ。奨は霊であるから、人間の食べ物を口にはしない。 『騙されたと思って食べてみろ』 「は、はい…」 レモンの黄色、トマトの赤、人参のオレンジ、クレソンの緑。色鮮やかな鍋だ。 やはり主役のレモンから食べるべき? 恐る恐るお玉で掬おうと。 『シュウ、レモンは味を出すためだけに入れてあるから、食べなくていい』 「な、なんだ…」 びっくりした。 小皿に野菜とソーセージを取り分ける。ほくほくに煮えたソーセージをまず、ぱくり。 「わ、美味しい!」 お湯からあげてすぐだから?プリッとした歯ごたえがいい。肉汁が溢れる。 野菜も食べてみる。すると、レモンの爽やかな香りが口一杯にまず広がる。野菜自体はコンソメ味の優しい薄味で、しつこくない。 「さっぱりしてる!」 『うまいだろう?』 「うん、美味しい!」 ポトフのようで、ポトフではない。レモンの酸味でソーセージも軽い口当たりで何本でもいけてしまった。 気が付くと秀一は鍋を完食していた。お腹をさする。 「おいしかった…」 『それは良かった。しかしシュウ、この鍋はまだ終わりじゃないんだ。〆、食べられるよな?』 「しめ?」 普通のお鍋ならうどん、ラーメン、ご飯を入れて雑炊などだが。 奨は解凍した冷やご飯をお茶碗に持ってきた。それを具がなくなった鍋に入れる。 そこへ加えるのはオリーブオイル、バター、そしてとろけるチーズである。 完全に洋風だ。 『レモンリゾットだ。うまいぞ』 「うわあ、お洒落…」 鍋なんて和風しかないと思っていた秀一には衝撃である。お腹は膨れていたが、うまそうな匂いにごくりと喉が鳴る。 秀一はリゾットに口をつけた。 こ、これは…! 「げ、激うま…!」 レモンのさっぱりとオリーブオイルとバターのこってりが絶妙だ。とろけるチーズが米に絡んで最高のハーモニーを生み出している。 うまい…! 秀一は夢中でスプーンを使い、あっという間に平らげてしまった。 「ふう、美味しかった…!ご馳走さま。奨さん、こんな料理知ってて流石だなあ」 『同僚に教えて貰ったんだ』 「ふうん。…僕だけお腹一杯食べてなんだか申し訳ない」 俯く秀一の頭を奨が撫でる。 『忘れたのか?俺は浴室でたっぷり秀一を食べたぞ』 「あ、そうか…」 思い出して赤面する秀一であった。

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