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第100話

男子トイレの前まで来た。まるで前回の騒ぎなど嘘のように静まり返っている。 奨は実体化し既に黒霧を纏っている。臨戦態勢だ。 『死狂化した彼女は俺の姿を見たら更に暴れ狂う可能性がある。シュウ、気を付けろ』 秀一はこくりと頷いた。 あの時は、秀一が背中を向けている時に背後から襲われた。足首に長い髪の毛が巻き付いた恐怖をよく覚えている。 霊体は自身をイメージで象る。実際は黒霧のような形ないもので、生前の自分や戦闘を頭に描くことで形成している。 何にでもなれるわけではないのは奨と実験で確かめている。だが、イメージであるが故、想像が及ばない部分はある。 髪の毛だけが武器とは限らない可能性を考え、二人は警戒を強めた。 トイレ内に脚を踏み入れる。奥にある小さな窓から光が差し込んでいるので、暗くはない。 奨が触手を伸ばして扉のドアノブをゆっくりと引く。 ギィ… 薄汚れた床、割れた便器。あの時と変わらない。誰も、いない。 「奨さん、ねえーー」 秀一が声を上げた瞬間だった。 天井から何かがするする降りてきて、奨の首に巻き付いた。 黒い髪の毛の束だ! 見上げると、天井に女の幽霊、美代が器用に張り付いていた。 トイレの個室の仕切りを足掛かりにしている。 『ぐッ!』 「奨さん!!」 伸ばした髪の毛を今度は縮め、奨の身体を宙吊りにする美代。 『奨……やっと逢えたわね……!あなたに逢うまで死んでも死にきれなかったわ!』 おぞましい形相の美代は舌舐めずりをし、奨をずりあげて引き寄せようとする。 その姿はまるで、獲物を補食せんとする女郎蜘蛛か。 「やめて!」 『ぐ、…!』 「奨さんを離せ!」 秀一は便座の蓋を閉めるとその上に乗り、高さを利用してジャンプした。背の低い秀一でもこれならギリギリ美代の身体にしがみつくことが出来る。 『なんだお前は!邪魔するな、離せ!』 「離すかよ!僕は…」 美代の片足を掴んでぶら下がりながら秀一は叫ぶ。 「僕は奨さんの恋人で、バディだッ!」 『なッ…!!』 美代が一瞬秀一に気を取られる。その隙に、奨は触手を伸ばして女を攻撃する! 女の腕に触手が巻き付いた。下に引っ張る力に美代がバランスを崩す。三人はもつれあいながら落下する。 奨と秀一は床に、美代はなんと便器に落ちた。スポッと身体がハマったのは女性の細身だからだろう。 「今だ!」 秀一は便器の蓋を閉めて美代を閉じ込めようとする。 が、すぐに女は便器から這い出て髪の毛がうねうねと蠢き、今度は秀一を襲う! 最初に不意打ちを食らったことにより、秀一たちは完全にイニシアチブを取られている。 『シュウ!』 奨の触手が間一髪秀一をガードする。弾き返された髪の毛は蛇のようにとぐろを巻いて秀一と奨を狙っている。 『お前が奨の恋人?』 秀一を睨み据える美代。 「そうだ、奨さんは僕に取り憑いた。僕を選んだんだ…!」 『誰にも渡したくなかった…誰にも奪われたくなかった。あなたの視線が他人に向くのが許せなかった。あなたを殺せば私だけのものになる!そう思ったのに』 ざわ、と秀一は鳥肌がたった。美代から感じる霊波動が強くなっている。 「ひっ」 美代の口が耳まで裂ける。目はつり上がり血のように真っ赤でギラギラしている。 なんて恐ろしい形相だろうか。 『奨は渡さない!!』 霊波動は怨念の深さでここまで強くなるのか。 今までの髪の毛の攻撃など、可愛いものだった。彼女は完全に人の形を無くす。手足がいびつに伸びる。関節がおかしい。 化け物だ。死狂そのもの、恨みの権化に変化した美代は、秀一に襲い掛かる。長い手足が秀一の四肢を捕らえた。それは物凄い力で締め上げながら四方に秀一を引っ張る。このままなら秀一の身体は引き裂かれてしまうだろう。

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