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第107話
秀一は唇を強く噛んだ。そしてエーレンフリートを見据えて交渉を開始する。
「エーレンフリートさん。奨さんが他人に害を及ぼさない霊であり、そして僕が自信に振り掛かかるリスクを受け入れるなら…寿命が縮んでもいいなら、奨さんを見逃してくれますか!?」
「僕は…いじめられっ子の不登校児です。だけど、自分を変えようとしてYouTuberを始めました。僕はまだ未熟で、子供で。やることは失敗ばかりで…」
自身の事を話すのは恥ずかしかった。それも、弱い部分を。
それでも秀一は話すのを止めない。
「だけど、奨さんに出逢ってから、やるだけやってみようって強く思えるようになりました。
奨さんが僕に自信をくれたんだ。こんな僕を認めて、愛してくれて」
隣にいる奨の手を秀一は握った。
信じよう、奨を。
信じてみよう、自分を。
「だからーー僕は、奨さんと一緒にいたいんだッ!
僕には奨さんが必要なんだッ!
僕も奨さんも、勝手かもしれない。我が儘かもしれない。だけど、僕は前を向いて歩いていきたいーー奨さんと、一緒に」
「彼は幽霊だよ、秀一くん」
「わかってますッ!でも僕は奨さんが必要だし、奨さんもーー僕を、必要としてくれているんだッ!」
奨が秀一の手を強く握った。
ずっと沈痛な面持ちだったが、口を開く。
『俺はシュウをーー秀一を愛している。この想いは何をしても消せない。
……たとえどんな手段を取られても、秀一の傍を離れない。秀一を愛し続ける』
固い決意と愛情を示す二人に、エーレンフリートは落ち着き払った態度を棄てた。
表情には悔しさが滲んでいる。
「何故…何故私の時にそう言わなかった?私を愛さなかったくせに、そんな子供には愛を注ぐのか、奨!」
『俺は君を愛していたよ、エーレンフリート。それを信じきらなかったのは君なんだ』
「嘘だッ!」
エーレンフリートは懐から十字架を取り出した。
『君と秀一は、何処か似ている。自分に素直じゃなくて、怖がりで。でも、一生懸命自分でなんとかしようとするところが』
奨はソファーから立ち上がり、エーレンフリートの元へ近づく。
一歩奨が踏み出すと、エーレンフリートは後ずさった。
十字架を手にした彼なら、術法さえ唱えたら奨を消滅させることはいとも簡単であろう。
女幽霊、美代をそうして葬り去ったのだから。
しかし、エーレンフリートは怯えたように奨を見つめ、その頬には赤みがさしている。
奨はずかずかとエーレンフリートの間近まで接近した。
『俺の伝え方が足りなかったのかもしれない。あの時俺は、君と一緒に霊たちを天国に送る仕事を出来たらと夢を見た。それは本当だ。だから……今は秀一とその夢を叶えているんだ』
奨が霊を天国に送ることに拘った理由はここにあった。
『エーレンフリート、すまない』
奨は十字架を握るエーレンフリートの手を握った。
十字架には聖なる力が宿る。奨の手はまるで鉄ごてに触れたように焼け焦げ、嫌な匂いを発した。
「……離せ!」
『離さない。君が思い出してくれるまでは。俺は嘘などついてこなかったことを』
「……奨!!」
エーレンフリートは震えた。真っ直ぐに奨に見つめられて思い出す。あの時の事を。
駆け出しの陰陽師ではあったが、エーレンフリートには奨を消滅させるだけの力はあった。
しかし、出来なかった。
好きだったから。
奨は自身を乗っ取り利用しようとしていると考えたのに、それでも好きだった。
その気持ちが甦る。
エーレンフリートの瞳から涙が溢れる。
どうして信じきれなかったのか。どうして拒んだのか。
子供の頃からエーレンフリートは孤独だった。家系を継ぐため、毎日厳しい修行に明け暮れた。
両親はただその結果だけでエーレンフリートを評価した。
愛情に飢えていた。愛情がわからなかった。だから、やるべき使命に必死だった。
そんな時に、突然愛を向けられて戸惑った。
自分なんかが愛されるはずがない、求められるはずなんかがない、と思った。
だけど、奨は真っ直ぐ想いを伝えていた。霊と人間という垣根を越えて。
「……私のことは、もう?」
ポロポロ涙を溢しながら、奨に訊ねる。奨は静かに首を振る。
『すまない』
今、奨が愛しているのはエーレンフリートではない。秀一だ。
エーレンフリートが奨の気持ちを信じようとせず拒んだ結果なのだ。
「うっ、…ああ」
エーレンフリートが泣き崩れた。奨はその肩に手を添えたが、抱き締めはしない。今抱き締めてはいけないと、奨は知っていた。
「奨さん!手が…」
『大丈夫だ、生命エネルギーを貰えば回復する』
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