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第109話
まず、秀一の両親が海外から帰宅した。
「秀一ただいまッ!ごめんなさいね、長く留守にして。寂しかったでしょう?」
玄関先で母親に抱きつかれ、秀一は恥ずかしさに真っ赤になった。
奨は今、秀一の体内にいる。この光景を見ているはずである。
両手いっぱいに持っていたお土産の紙袋を投げ出して秀一の首に抱きついた母親は、秀一の頬にキスしようとした。
「か、母さんやめて!」
慌てて離れる秀一。
夏休み前までは、母親にベタベタされてもこんな気持ちにはならなかった。多少ウザいとは思ったが、仕事が多忙で家にいる事が少ない母親のスキンシップだと思えばしょうがないと考えていたから。
「秀一、なんだか顔つきが変わったな?」
母親の後ろにいた父親がそう言う。
「もしかして、彼女でも出来たのか?」
「えッ!」
ドキッとして口から心臓が出そうになる。
「か、彼女なんかいないよ!」
慌ててそう言い放つと秀一は階段を駆け上がり自室に逃げる。
『大丈夫か?秀一』
奨が心配そうに声を掛けた。両親が家にいる間は今後、二人が話せるのは自室のみだ。
「…大丈夫だよ。母さんはいつもああだし。僕もう、子供じゃないのに」
呟いて秀一はハッとする。
そうだ。秀一はこの夏休みで大人になったのだ。
色々な経験を経て。父親にはそれがわかったのかもしれない。
彼女はいないが彼氏はいる。
要するに性的な体験をして、秀一が大人の階段を上ったことを勘づかれたのか…
『優しそうな良いご両親だな。ご挨拶出来ないのが残念だよ』
寂しそうに呟く奨の言葉に、秀一は俯く。確かに恋人が霊だなんて言えるわけがない…
エーレンフリートが言った「地上は霊のいるべき場所ではない」という言葉が思い出された。
しかし、秀一は強くかぶりを振る。
「それでも僕は、奨さんがいい。奨さんじゃなきゃ、嫌なんだもん」
下腹部を抑える。奨が出てきて抱き締めて、キスしてくれたら。
そう思ったが今は、色々な事を独りで堪えるのだ。
『ありがとう、シュウ』
奨が秀一を選んだのと同じように、秀一も奨を選んだ。
困難のない道などはない。
それでも。
***
学校が始まった。両親は秀一に「無理に登校しなくとも良い」と言った。
しかし秀一は自ら制服に着替え、朝ごはんを食べて学校へと向かった。
学校の校舎を見ると身震いするかと思ったが、そうでもない。
考えてみたらあの廃校舎に挑む時の方が余程怖かったではないか。
「奨さん、僕、学校にいくよ」
『ああ、頑張るんだぞ』
奨は体内にいるが、ここからは頼らない。
教室に入ると同級生たちの視線が秀一に集まる。
大半は「久しぶりに来たんだ?」という興味を示されただけだったが、いじめっ子たちは違う。
まるで玩具を得た時のような顔をしてニヤニヤしながら近づいてきた。
「秀一、久しぶりじゃないか」
いじめっ子のボスは太った背の高い久藤という同級生だ。後の二人は島田、奈倉という名前の男子だ。
三人は席に着いた秀一を囲むように位置する。逃げられないようにだ。前の秀一ならこの時点で震え上がったが、今は違う。
「僕に何か用?」
さらりと言い返すと三人は秀一の雰囲気が変わったのに気が付いた。戸惑いが伝わってくる。
その態度に秀一は悟る。そうか、秀一は彼らがとても怖くて最初から怯えていたが、だからつけこまれたのだ。
こうして毅然とした姿勢を見せると相手の反応も変わる。
それでもボスの久藤は臆さず話し掛けてきた。
「…また、可愛がらせろよ、お前のこと」
久藤の手が延びてきて秀一の顎に触れた。無理やりぐいと上向きにさせる。
下品な笑いがしたっぱ二人から漏れた。
……なんだ、こいつら。
死狂に比べたらなんの恐ろしさもない。
「触るな」
秀一は久藤の手を払い除ける。
「お、お前ッ!」
一瞬驚きを見せた久藤だが、すぐに怒りで顔を真っ赤にし秀一の胸ぐらを掴もうとする。
その動きは猫の霊より遅い。
こんなにも緩慢な攻撃を当てるつもりか?
秀一はひょい、と上体をずらすだけで避ける。そして前のめりになった久藤の脚に自身の脚を引っ掛けた。
「わッ!」
バランスを崩した久藤が倒れる。
秀一が脚を出したのを見られた者はいたろうか。きっと、ただ久藤が無様に転んだようにしか見えないだろう。
秀一は椅子から立ち上がり、背筋を伸ばして堂々と言い放った。
「いい加減にしろッ!僕はお前たちの言いなりにはもうならないッ!」
生徒たちがざわめいた。突然休みがち、不登校の生徒がそんな風に声を荒げる光景にみんなが釘付けになる。
「生駒だよなあれ?」
「あんな風に堂々としてたっけ?」
そんな声が聞こえた直後にチャイムが鳴った。担任教師が教室に入ってくる。
「どうしたんだ、そこ?久藤?」
転んだまま呆然としていた久藤に担任が声をかける。その様子を見て秀一はニッコリと笑い、手を差し伸べる。勿論、久藤を立ち上がらせるために。
「久藤くん、大丈夫?」
なんて声を掛ける秀一の笑みは久藤にはさぞかし恐ろしいものに映っただろう。
転ばせた張本人は秀一なのだから。
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