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第112話

秀一たちが話している暇はなかった。美代が窓から室内に侵入してきたからだ。 髪の毛の束を伸ばして秀一の首に巻き付ける。 『奨を渡せッ!』 「くッ…!」 黒い束は鎖のように頑丈だ。秀一の首を締め上げる。 『シュウ!!』 奨が黒霧を発して秀一を助けようとするが、ふらり、と倒れた。 エネルギー不足で動けなくなったのだ。 一週間の断食が奨を弱らせている。 『坊や、奨は渡さないよ……私は奨と添い遂げるつもりで心中した……失敗して霊となり、この金髪男に封印されてからの10年間も、ずっとずっと、あの汚くて暗い場所で奨を思い続けたんだ!!』 凄まじく強い想いだ。長年の孤独が恋慕をここまで一方的なものに変えてしまったのだろうか。 「奨さんの気持ちはどうでも、いいのかッ…」 首を締め上げられながらも秀一は呻く。 「僕はッ…引かない…お前なんかに奨さんを譲らない…! お前はただの身勝手で奨さんの気持ちを無視している!奨さんを想うなら、奨さんの気持ちを一番大事にすべきだろッ!」 あのエーレンフリートが身を引いたのも、奨を愛するが故だ。 愛とは相手を思いどおりにする我が儘ではない、決して。 「僕は奨さんを護るッ!お前なんかに渡さないよ!」 叫んだ秀一は走り出す。逃げるのではなく、美代に向かってだ。 虚を突かれた美代は、髪の毛の拘束を緩めてしまう。 秀一はそのまま全身でタックルをかました。 『ゴフッ!』 美代が前のめりになる。そして抱えていたエーレンフリートの身体を手放した。 その美代の身体を秀一は押さえ付けた。背中に腕を回して拘束し、締め上げる。その手には御札が握られていた。 御札が触れると美代は苦しみ出す。 『な、なんだそれはッ!離せッ!餓鬼ッ!』 「離さない、死んでも離さない。なんなら僕がお前と心中してやるよ!お前の好きにはさせない!奨さんを諦めろッ!」 奨が体内にいない状態の秀一はただの高校生だ。そのか細い腕にさほどの力はない。 だが秀一は必死に有らん限りの力を振り絞りしがみついて、御札を美代に密着させた。 やれないと決めつけたら何も出来ない。 『グギギ…離せッ!!』 「いやだ!!」 美代の髪の毛が秀一の全身に巻き付いた。 「う、……!」 身体中ありとあらゆる箇所を締め付けられ、激痛が走る。 秀一は絶叫した。 「あああああああッ!」 『そんなに死にたいなら今すぐ殺してやるよ!バイバイ坊や』 美代がそう笑った瞬間。 白く輝く小さな塊が部屋に飛び込んできた。 「秀一さんッ!!」 階段から駆け上がってきたのは連である。エーレンフリートとの話し合いに彼も呼んでいたからだ。 「な、何がどうなってんだ?!ば、化け物?!」 宿主より霊であるブランカは野生の本能で敵を認識するのが早かった。爪を伸ばして美代に襲い掛かり切り裂く。 『ギャッ!』 ブランカの爪に引っ掛かれ、美代はエネルギーを失い秀一の締め付けを弱める。 だが秀一はもう、失神寸前だ。頑張って身体を張った。だがもう限界が近い。ブランカが助けてくれても、もうーー 「奨、さ…」 掠れる声を愛しい人の名を呼ぶ。 護れないのか、全力でも。 秀一が震える手を奨に伸ばした時。 鋭い一本の黒い触手が、矢のような勢いで美代に飛んでいく。 先端は切っ先。鋭く尖っておりーー美代の額を正確に貫いた。 倒れていた奨が、僅かな力を振り絞り触手を放ったのだ。 『グギャアアアー!!』 美代が有らん限りの声で悲鳴をあげる。触手が刺さった場所からエネルギーが漏れ出て、みるみる力を失っていく。 だが、それにより奨はすべての力を使い果たして全身が黒霧と化してしまった。実体を保てぬほどの力を使ったのだ。 「奨さん…!!いやあー!!」 「神代先生ー!!」 秀一が狂ったように泣き叫び、連も叫んだ。 美代が倒れ、秀一は解放される。 だが奨はーー 奨のいた場所には、ただ黒い霧が微かに漂うだけだった。

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