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あの頃少年だった子(私)

「……っ」 あんな事をされた後では、どうしてもギリルを意識してしまいます。 もう、小さな子どもではないのだと。 今の彼が私を求めているのは、あの幼い手で私を求めた頃とは、違う意味なのだと。 嫌でも理解させられてしまうようで、私は目を伏せました。 いつまでも返事をしない私の頬を、ギリルの指がそっと撫でてゆきます。 彼は怒っているのでしょうか。 それとも悲しんでいるのでしょうか。 静かな部屋には、先程と違って下からの喧騒が遠く届いていました。 一階は、もう昼ご飯を食べる人達で賑わいはじめているようです。 「なぁ、師範」 静かな声に、思わず上げそうになる視線を堪えます。 顔を上げてしまえば、あの新緑の瞳がまっすぐ私を見ているのでしょう。 私を包むように……私の内側までも見透かすように。 そうなってしまえば、私はささやかな抵抗すらできなくなりそうな気がするのです。 なんとしても、それは避けなければいけません。 私がまだ、彼の師であるために……。 「……俺のこと、もう嫌いになった?」 ぽつりと落とされたギリルの言葉があまりに信じられなくて、私は思わずギリルを見上げていました。 「そっ、そんなことありませんっ」 そんな事、あるわけないじゃないですか。 あなたを見つけたのも、あなたをさらったのも、私だというのに。 私があなたを、どうしても欲しかったから、自分勝手に盗んできてしまったんです……。 ギリルが新緑の瞳をゆっくりと細めます。 「そっか、よかった……」 さらりと揺れるギリルの赤い髪。それに彩られた鮮やかな緑に、私はやはり捕らえられてしまいました。 「……ギリル……」 私の口から、まるで息をするように彼の名が溢れました。 それほどまでに、私の目に映る彼は眩い命の輝きに満ちているのです。 「ん? 何? 師範」 にこりと笑顔を見せられて、私は息が詰まりました。 ギリルが普段からもっとニコニコしている子なら、こんな笑顔一つに焦ることもなかったでしょうに。 どうしてこう愛想のない子に育ってしまったんでしょうね。 ……いつも仏頂面のギリルが、こんな風に私にだけ笑ってくれるから……。 ギリルにとって私だけが特別で、ギリルに私以外の言葉は届かないものだとでも、思っていたのでしょうか。 いつの間にか心に広がっていた黒い霧の正体。 それが独占欲だと自覚して、私は足元が崩れるようでした。 私はなんて、狭量で……浅ましいのでしょうか。 ギリルとその仲間の信頼関係を、素直に喜べないなんて……。 今までずっと、ギリルの保護者として、彼の成長を喜んでいたつもりだったのに。 ギリルとの関係が……その土台が崩れてゆくようで、私はその場に立っていられませんでした。 「師範!?」 気付けば、崩れる私の身体を太い腕が支えていました。 「あ……ギリル……、私……私、は……」 私を心配するギリルの視線を感じつつも、罪悪感と羞恥心で顔を上げられずにいると、ギリルは私を横抱きにしてベッドに腰掛けました。 「……大丈夫だよ」 ギリルは何も聞かずにそう言って、私の肩を撫でました。 一体何が大丈夫だと言うのでしょうか。 ギリルにとって、昨日今日で知った事は全て衝撃の事実で、大丈夫なことなんて何一つなかったでしょうに。 「……ですが……」 私が言葉を探していると、ギリルの方が先に口を開きました。 「いいよ、俺は。どんな理由で師範が俺を拾ったんだとしても。俺を……どんな風に連れ出したんだとしても。師範を責めるつもりはないから」 ギリルはそう言うと、俯いたままの私の頭を優しく撫でました。 そっと伝えられたはずの慰めの言葉に、私は胸を叩かれたような衝撃を受けました。 激しい衝撃に、これまでずっと胸にしていた蓋にヒビが入ってしまったような気がします。 「……どうして、ですか……」 口にしてはいけない。 これを言ってしまっては、もう彼と今まで通りに過ごすことはできない。と、厳重に封じていたはずの言葉達が喉元まで迫り上がっている事に、私は恐怖を感じ、同時にそれを全て彼に叩きつけてしまいたい衝動がこんなにも膨らんでいたことに驚きました。 「俺は、師範に拾ってもらえたことが人生でいちばんの幸運だったと思ってる。それは、今も変わってない」 迷いなく、ハッキリと告げるギリルの声に、私の中で堪えきれなかった何かが弾けました。

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