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あの方の面影を探して(私)
もう少しであの方の村かと思うと、あの方にお会いできるかも知れないと思うと、私は自然と早足になっていました。
「んもぅ、師範ぇ〜? そんなにとばすと後でバテちゃうって言ってるのにぃ」
「ぁ。ご、ごめんなさい……」
呆れ気味のウィムさんの言葉に、私は慌てて歩を緩めます。
この注意はもうこれで三度目でした。
「師範、大丈夫か? 疲れたんじゃないか? 一回休憩しようか?」
隣を歩くギリルが、私を気遣います。
「大丈夫ですよ。もう少しで村が見えてくるはずですからね」
ギリルに心配をかけないよう、なるべく元気に答えたつもりですが、ギリルは「そっか」と視線を落としました。
どうしたのでしょうか。
もしかして、あの方にお会いするので緊張しているのでしょうか。
私も、あまりに久しぶりなので少し緊張はしていますが、それよりも早く会いたい気持ちでいっぱいでした。
あの方に会ったら、まずはギリルを紹介しないといけませんね。
まだあの方には、一度もギリルを見せていませんから。
あの方は何ておっしゃるでしょうか。
きっと目を細めて、ギリルを眩しく見つめてくれるのでしょうね。
私がこの立派な青年を育てたと言ったら、どんな顔をなさるでしょうか。
きっと随分びっくりされるでしょうね……。
「……嬉しそうだな」
ギリルの声に、私は慌てて口元を隠しました。
もしかして、私はニヤニヤしてしまっていたのでしょうか……。
「い、いえ。そんな事ありません、よ……?」
思わず否定すると、ギリルは冷たく目を細めました。
「……ふぅん?」
うう、そんな目で見ないでください。
恥ずかしすぎて、いたたまれなくなります……。
赤くなる顔を隠すように俯いていると、ウィムさんの明るい声がしました。
「二人とも〜、見えてきたわよぅ」
「ほ、本当ですかっ!?」
私は慌てて駆け出しました。
後ろから感じる、ギリルのムスッとした気配に気付かないフリで。
「もぅ、師範ってば慌てて走ると転ぶわよぅ?」
ウィムさんもギリルも、私がまるでよく転ぶかのように接するのはやめてください。
私はあなた方よりずっと年上なんですよ?
文句を言おうと口を開いた途端、つま先が硬い石に当たりました。
「ぁ」
口から出たのはそれきりで、あっという間に地面が眼前に迫ります。
「だから、ウィムも言ってんだろ。慌てんなって」
私の身体を支えたのは、ギリルの逞しい腕でした。
「……す、すみません……」
私は、ただただ小さくなる他ありませんでした。
***
村には、以前訪れた時とまるで変わらない、ゆったりした時間が流れていました。
「あらぁ? ここも国境に近いのに、この村には争いの跡が全然ないわねぇ?」
村をざっと見て回ったウィムさんが、そう呟いて首を傾げます。
言われてみれば、一つ前の村もその前の町でも、多少なりいざこざの跡は見受けられましたね。
それらより規模の小さい村とはいえ、全く無いというのは確かに……。
「なんか妙に平和すぎるっつーか。……ちょい不自然な感じするな」
ギリルの言葉に、私も同意しました。
あの時、私がもっと落ち着いてこの村を観察できていれば……。
この村の、あまりにも平和な姿に違和感を感じることもできたでしょうに。
あの時の私はきっと、それほどに動揺していたのでしょうね。
不意にあの時の、行き帰りの馬車の中で、隅に蹲る私をずっと心配していた小さなギリルの姿が蘇りました。
『せんせー、だいじょうぶか? 具合、悪いのか?』
大丈夫だと答える私の隣に、幼いギリルは膝を抱えて座っていました。
『俺が、いるからな。辛くなったら、俺が馬車を止めてやるからな』
私が馬車に酔っていると思ったのか、ギリルはそう言って私を励ましていましたね。
今思えば、初めての旅でギリルも不安だったでしょうに。
もしかしたら、ギリル自身も馬車の揺れが辛かったのかも知れませんね。
あの時、私にもう少し余裕があれば、小さなあの手を握ってやれたのに……。
「師範?」
間近で聞こえたギリルの声に顔をあげると、ギリルの鮮やかな新緑の瞳が私を映していました。
気付けば、ウィムさんとティルダムさんは随分離れたところにいました。
どうやら私が思い出を蘇らせている間に、皆からはぐれかけていたようですね。
「んもう、困ったわねぇ。はぐれないようにギリルちゃん師範と手繋いどいてくれるぅ?」
言いながら、ウィムさん達がこちらに引き返します。
「ん。師範、俺と手繋ぐか?」
ギリルが、言われた通りに私に手を差し伸べます。
すると、私の心にモヤっと闇が生まれました。
ああ、またですか。
ギリルが私以外の人の言う事を聞くのが、嫌だなんて。
どうして私はこうも心が狭いんでしょうか。
私の反応が無い事に、ギリルが首を傾げます。
ウィムさんが足を止めてギリルの背を指すと、ティルダムさんだけが近づいてギリルの背をポンと押しました。
「おわっ」
押されたギリルが、私を抱きしめます。
おそらく、ぶつからないよう踏ん張るには距離が足りなかったのでしょう。
せめて私にかかる衝撃が少ないように、と、私をその腕に包み込んで、私ごと一歩移動したようです。
「急に押すなよ!」
無事着地したギリルが、後ろを振り返って文句を言います。
ティルダムさんは、ウィムさんの元に駆け寄ってから、こちらを振り返って「ごめん」と謝りました。
ギリルの香りに包まれると、なぜだかとてもホッとします。
頬に当たったギリルの胸は温かくて、あの時、私の隣にピッタリ寄り添っていた幼いギリルの体温がとても温かかった事を思い出しました。
そして、私が本当はあの時、小さなギリルの温もりに支えられていたという事も。
「ギリル……。ありがとうございます」
私の囁きに、ギリルは照れながらも笑顔を見せてくれました。
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