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幸せを願った人(私)
おや……?
ギリルが……持ち直しましたね。
私の言葉に、酷く傷付いた顔をしていたのに……。
「なぁ、師範は俺がこの先もずっと師範のこと好きでい続けるって可能性は考えねーのか?」
ギリルに真っ直ぐ問われて、私は答えました。
「そんなことは……無理に等しいですよ。なぜなら、ギリルは私の見た目を好んでくれているでしょう? ですが私が人になったら、もうずっと若いままではいられませんから。ギリルはしわくちゃになった私より、若い人を選ぶに決まっています」
ギリルはなぜか不思議そうな顔で私を見ています。
分かりにくかったでしょうか? では実際の数字をあげてみましょう。
「人が美しくあれる時期なんてほんの一瞬です。私の身体は既に二十代半ばなのですから、まだ十八のギリルが今の私くらいの歳になった時、私は三十四歳になっているのですよ?」
これで分かってくれたでしょうか。
私を好きでい続ける事は、非常に困難だと。
「……そんなこと、気にしてたのか?」
ぇ?
「そ、そんなこととはなんですか。とても重要なことじゃないですか」
「まったく……何でそんな風にしか考えらんねーんだよ」
ギリルは頭をガシガシ掻いて、頭に巻いたままだった羽飾りを外して脇に投げると、私を半眼で見ました。
そんな乱暴に扱っては、羽根が傷んでしまうじゃないですか。
そう思いながらも、私はギリルの問いに答えました。
「……そんな目にしか遭ってないから、ですかね」
「俺はずっと、師範の側にいるって言ってんだろ」
「それは……」
そんな言葉には、なんの強制力もない。と、私には言えませんでした。
おそらくギリルは無意識だったのでしょうけれど、先の私への言葉には、誓約に匹敵するほどの力が込められていた事を、私は知っていました。
だからこそ、私はそれを受け取れませんでした。
「急に何を言ってるんですか」と笑って受け流すのが精一杯でした。
「ありがとう」なんて答えてしまえば、誓約が成立してしまいそうで怖かったのです。
こんな私の、残り少ない余生に、若い貴方の人生を賭けようとするのは間違っています。
私は貴方には……貴方にだけは、幸せに笑っていてほしいんです……。
自分勝手な願いだとは分かっています。ですが、私が貴方の元を速やかに去って、貴方は私の事を速やかに忘れて。
それが、ここまで貴方の人生を奪い続けてしまった私が、貴方にできる唯一の花向けだったはずなのに。貴方はどうして……。
「俺が本気じゃないなんて、師範は本当に思ってるのか?」
ギリルは真剣な瞳で、まっすぐ私を見ていました。
「……っ」
私は、首を振るしかありませんでした。
「貴方が、本当に私を思ってくれているのは分かっています。……ですが、人の心というのは、変わってゆく物なんです。ずっと同じでいようと思っていても、そうはならないものなのです……」
そう。私にとっての幸せが、いつの間にか死ぬ事ではなくなってしまったように。
貴方にとっての幸せが、私の側ではなくなる日が来るのでしょう。
「なんで皆そうだって決めつけるんだよ。世の中にはずっと仲良いじーさんばーさんだっていんじゃねーか。それも違うってのか?」
「それは……」
私だって、ずっと貴方と一緒にいられたら……。なんて。
そんな許されない事を、一瞬、願いそうになってしまうんです。
これ以上貴方に大切にされていると、私は貴方の一度しかない一生を、奪い尽くしてしまいかねないんです。
「それに俺は、ずっと同じでいようなんて思ってねーよ」
ギリルは、煌めく新緑の瞳に決意を滲ませて語ります。
「俺はもっと強くなる。師範をこの世の誰からも絶対守れるように」
彼に『強くなる事』が最上だと教えてしまったのは、私でした。
罪悪感に苛まれている私に、ギリルはふわりと微笑みました。
ああ、この顔は、私にしか見せない顔です。
「それに、師範もさ……、俺の為に、変わろうとしてくれてるだろ? 俺は、その気持ちが……すげー嬉しい」
照れくさそうにはにかんで、ギリルは鼻の頭を指先で掻きました。
『ギリルの為』に……?
残念ですが、それは違います。
私は、私の為に……。
人にさえ戻れれば、いつでも死ぬ事ができるから。
たとえ貴方に拒まれる日が来ても、そこで全てを終わりにできる。
たとえギリルに……。
想像の中で、ギリルが私に背を向けました。
それだけで、私の胸はくしゃくしゃに握りつぶされたようです。
……どうして……。
どうして私は、こんなに、ギリルに心を寄せてしまったのでしょうか……。
たった一人の、私の可愛い弟子だったのに。
世界でただ一人、幸せを願った人だったのに。
とめどない後悔と、どうしようもない悲しみが、胸に溢れて零れました。
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