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エピローグ+【おまけ】ウィムリドの場合(アタシ)

「それでぇ? 今朝も師範は起きてこれないって言うわけぇ?」 三日続けてのギリルの報告に、温和なアタシのこめかみにも流石に青筋が浮かんだ。 ここは宿の廊下。ギリルの部屋の前だ。 食堂で待っていたアタシとティルは、約束の時間になっても降りてこない二人を迎えに来ていた。 「アンタねえ。もうちょっと加減ってモンを覚えなさいよねぇ!?」 アタシに叱られて視線を逸らすギリル。 その様子が昨日と変わらないだけに、もう一言踏み込む必要性を感じる。 「こんなの毎晩続けたら、師範が身体壊すわよぅ!?」 ギクリと肩を揺らすギリルの顔色が変わって、効いたようだと判断したアタシはフォローとまとめにかかる。 「まあねぇ、ギリルちゃんがお盛んなお年頃ってのはわかるけどぉ。相手の事ももうちょっと考えてあげなさいよねぇ?」 「いや、それは……そーなんだけどさ……」 「やめてって言われたら、そこでやめるのよぅ?」 「……」 ギリルが何やら物言いたげに口を噤んだ。 「なによぅ。なんか言いたいことがあるんなら、遠慮なく言いなさいな」 尖らせた唇と半眼があまりに分かりやすくて、アタシは苦笑を隠して促してやる。 「……だって、師範が」 「師範が?」 「……もっと……って、ゆーからさ……」 拗ねたような言い方だけど、ギリルの周りには嬉しくてたまらないって空気が漂ってて、なんかもう、叱り辛いわねぇ……。 「それにさ、師範……最中にしか言わねーんだよ」 「?」 「……、俺の事、好きだって……」 うっわ……。 なんなのそれ? 師範はそれ、無意識なわけ? そんなの、ギリルが聞きたくなるのも当然じゃない。 こんな純粋な子相手に、全くタチの悪い大人ねぇ。 もしかして、師範自身も気付いてないのかしら? アタシは引き攣りそうな頬をむにむにと指で捏ねながらため息を吐く。 「あぁもぉ〜……。師範が煽ってどうすんのよぅ。こっちは師範の体を心配して、ギリルちゃんを叱ってるってのにぃ」 ぐったりと呟けば、ギリルは苦笑して言った。 「悪いな。今夜はホント、気をつけるから」 「気を付けるんじゃなくて、今夜はもうしないのよぅ、いいわねぇ!?」 「ん。分かった」 ギリルはそう答えて頷く。 いやダメだわ。これは全っ然ダメだわ。今夜もやるわね。間違いなく。 だってギリルが断ったところで、師範にねだられたら、イチコロ間違いなしじゃない。 これは夜までに、師範を捕まえてしっかり注意しておかないと。 此の親にして此の子あり、って言うのかしら? 結局、あの師範にして、この弟子ありってことよね。 「もぅ、手が焼けるわねぇ。こんなんじゃいつまで経っても安心して二人と別れられないじゃないのよぅ」 頭を抱えて愚痴をこぼすと、大きな手がアタシの背を撫でた。 チラと見上げれば、髪の合間から小さな赤い瞳がアタシを見守っている。 「どうする?」 落ち着いたティルの声に尋ねられて、アタシは答える。 「仕方ないわぁ。明日までここに滞在しましょう。まずは連泊できるか聞いてみないとねぇ」 「お金……」 「そうねぇ。お祝いのつもりでちょっといいとこ選んじゃったからねぇ。まさかこんなに続けて泊まることになるとは思わなかったし」 「ゔっ」 あら、ギリルが罪悪感から呻いてるわね。可愛いこと。 「……移動、する?」 「ううん、今はもう少し、師範が安心して過ごせる空間を確保しておくほうがいいでしょうから、移動は連泊が無理だったらねぇ。ティルちゃん、今日はちょっとお使いクエストに付き合ってくれるかしら」 私の言葉に「ん」とティルが頷く。 これは「もちろん」の『ん』ね。なんて思っていると、ギリルが「俺も行くよ」と言った。 「ギリルちゃんは師範についててあげなさいな。あの人一人にしてたらまた攫われちゃうわよぅ?」 「それは、確かに……」 ギリルがひくりと顔を引き攣らせる。 この数日、宿から出ていないにも関わらず、食堂で、廊下で、師範はナンパされまくっていた。 声をかけられ慣れてない師範はその度おろおろするし、ギリルはギリルで師範のこととなると好戦的だから、その都度アタシが間に入って場をおさめたけど……。 まずは軽いナンパくらい、うまく躱せるようになってもらわないと困るわね。 「けど、二人にばっかり仕事させらんねーだろ。交代してくれれば、俺もなんか探しに行くよ」 アタシは苦笑して返す。 「んもぅ。気持ちはありがたいけど、師範が今そばにいて欲しいのはギリルちゃんでしょ?」 ギリルはぱちくりと目を瞬かせて、嬉しさを隠しきれないまま、ぎこちなく苦笑した。 「そか。……ありがとう」 「ふふ、どういたしまして」 アタシはギリルを部屋に戻すと、ティルと一緒に二人分の朝食を部屋まで運ぶ。 元から危なっかしかったけど、あの二人、師範が人に戻ってからは危なっかしさに拍車がかかっちゃってるのよねぇ。 これはやっぱり、師範の家とやらまでアタシ達が送っていく方がいいかしらねぇ……? 「ウィム……?」 あら? アタシ難しい顔でもしてたかしら? 「まあ、しょうがないのかしらねぇ。なにしろ念願叶ってだもの。その上師範があの調子じゃ、ギリルちゃんには断り切れないわよねぇ?」 肩をすくめて苦笑して見せれば、コクリと同意が返ってくる。 いつだって、この子はアタシの欲しい答えをくれる。 ……だからって、この居心地の良さにいつまでも甘えてちゃいけないわよね。 アタシだってもういい大人なんだから、そろそろ分別をつけないと。 「アタシはあの二人を家まで送ろうかと思うんだけど、ティルちゃんはどうする?」 「行く」 「……もう闇に侵される事もないから、アタシ一人でも大丈夫よ?」 ふるふる。とティルは首を振る。 顔の下まで伸ばされた猫っ毛がさらさらと揺れて、焦茶の髪の合間から、小さな赤い瞳がアタシを見つめている。 「そう。じゃあ一緒に行きましょうか」 ギリル達を家に届けたら、この子をどうしたものかしらね。 多分このままアタシについて来てくれるつもりなんでしょうけど、アタシはまたしばらくは中央で情報収集でしょうし、その間ティルが暇になっちゃうわよねぇ。 ついつい反応が可愛くて、色々開発しちゃったから、この先身体の相性が合う相手を探すのも苦労しそうよね。 これは本当に……、ええ、ちょっとやりすぎたって、反省してるわ。 しかし、一回りも年の離れたアタシが、遊びのつもりでちょっかいかけといて、いつの間にか本気になってるなんて、まさかこの子も思ってないわよね。 アタシのこと大事にしてくれるのはわかってるけど、この子根が優しい子だから、誰に対しても本っっ当に優しいのよ。 だから、アタシにだけ特別かっていうと、ちょっと疑問なのよねぇ。 多分肉体関係があって、恋人っぽい接触が許される相手には皆こうなんじゃないかしらねぇ。 まあでも、アタシについてきたってこの先いい事もないし、むしろしんどいばっかりでしょうからねぇ。 うっかり何かひとつ間違うだけで旅先でコロッと死んで終わるだけの、こんな人生に付き合わせるのは、酷ってものよねぇ。 ティルは優しい子だけど自己肯定感が低めだから、アタシが「アナタの力が必要なの、一緒に来て」って頼めば、多分いつまでもついて来てくれちゃうと思うのよ。 そんな子に「好き」だなんて言った日には、もう地獄の果てまでついて来てくれそうじゃない? 責任感だけは無駄に強いしねぇ……。 ほんと、どうしようかしらねぇ。 ギリル達と別れたら、中央の少し手前くらいで、ちょっとキツめに突き放すのがティルのためなんでしょうけど。 それが分かっていながら悩んじゃうなんて、アタシもまだまだ未熟だわぁ。 「ウィム?」 優しく名を囁かれて、アタシは顔を上げた。 あら、いつの間に俯いちゃってたのかしらね。 『どうかした?』と尋ねるように赤い瞳がアタシを見つめている。 「なんでもないわよ」 ニコッと笑って答えれば、つられるように赤い瞳が細められた。 なんて素直で可愛いのかしら。 こんな風に子犬みたいに懐かれたんじゃ、捨てようにも、捨てにくいじゃない。 八つ当たり気味に焦茶の髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫で回すと、ティルは一瞬キョトンとした顔をして、それから嬉しそうにはにかんだ。 アタシの心臓がギュンと音を立てる。 っ、もうっ!! 本っっ当に可愛いんだから!!

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