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私は覚えている。
目を覚ました時、病室で泣きじゃくる母の姿を。無事でよかったと涙ぐむ父の姿を。彼らが「大丈夫」か尋ねたとき、私は彼らをこれ以上泣かせてはいけないと思った。私は、頷いたのだ。
井土さんは、車にはねられた直後。まだ意識が有った。急に倒れたから脳震盪でも起こしたのかグラグラする視界で、彼の言葉を聞いたのだ。大丈夫かと。尋ねられた気がする。私は頷いて、そして問い返したのだ。
お巡りさんは、大丈夫?
そして彼は、「大丈夫だよ」と返事をした。そこから私の記憶は途切れている。
葬儀が行われると聞いた時、私は行きたいと言えなかった。怖かったのだ。死んでしまったお巡りさんに向き合うのが。遺族に会うのが怖かった。お前のせいでと詰られる可能性から、私は逃げた。
いいや、それだけではない。私はあらゆる、私を傷付けることから逃げた。
辛いと言えば母がまた泣くかもしれない。私は口を閉ざした。
人と関係を持てば、また相手が傷付くかも、あるいは別れが訪れるかもしれない。私は人と関わりを持たなくなっていった。
今度こそ子を守るのだと過保護になる両親に抗わなかった。彼らを心配させるまいと涙を無くした。
笑って生きることが、誰かを苦しめるかもしれない。それに向き合うことから逃げた。全て自分のせいにして、自分を責め続けるのは、苦しいが楽だった。私はこれでいいと納得し、諦め続ければ誰も傷つけずに済むのだと思っていた。
なのに。
どうしてシノさんは、こんな。
私のせいで、泣いているのだろう。誰も傷つけないように、生きていたはずなのに――。
「……し、の、さん……っ」
「……はい、タマさん」
私は溢れる涙をどうしようもないまま、シノさんの手を握り返す。彼に泣いてほしくなどなかった。シノさんを悲しませてしまったのが辛くて、苦しくて、……いや、本当は何を感じているのだろう。ひどく胸が苦しくて、喉が焼け付いたように言葉が出ない。
頭の中ではグルグル何かが巡るのに、何ひとつ声にならない。ただ、情けない涙と嗚咽だけが溢れ出る。そんな私から片手を離し、シノさんは私を抱きしめてくれた。
「ごめんなさい、タマさんに辛い思いをさせて」
それは、こちらのセリフだ。シノさんは何も悪くない。あえて言うなら全て私が悪いのだ。首を横に振って、シノさんの肩に顔を埋める。
しかし、自分を責めることをシノさんは望んでいない。ではどうすればいいのか。私の頭は絵のように渦巻いて、ぐちゃぐちゃな色が混ざり何を伝えていいか、思っていいかわからない。
あるいは、それをじっと見つめ、感じたことを答えとするしかないような、そんな。
「タマさん、もしあなたが誰にも許されず、自分も許せないと感じて。それでも、誰かに許されたいと思うのなら……」
シノさんが、私の背を優しく撫でる。
「僕が、許します。タマさんにはどうしようもなかった。そしてあなたは、悲しんでもいい。自分を愛して、……人を愛してもいい、と」
「……っ、し、の、さん……」
辛うじて名前を呼んで。私はシノさんに縋りついて、後はもう、咽び泣くより他、何もできなかった。
絵を描くのは好きだった。
その時間だけ、私は私だけの世界にいられた。あのようなことも、父も母も、何もかもを忘れ、私自身と語り合い、そこから現れるものを筆に乗せることができた。
私の悲鳴、慟哭、喜び、痛み、そしてもう隠すこともできない愛しさ。それらを描いている間、私は救われていたのだ。
そう、シノさんと出会い、共にいることによって――。
私たちの関係は変わったかもしれないし、変わらなかったかもしれない。
泣き腫らした顔で、シノさんに謝り、彼は首を振って。それで私の告白は終わり、それをシノさんが受け入れるのも終わった。
シノさんは私を軽蔑するでもなく、過保護にするでもなく、なにごともなかったかのように私のそばにいた。それが私にとって、どうしようもなく救いになったことは疑いようもない。私は許されたのだ、少なくともシノさんからは。
それによって私がすぐ幸せに、前向きに生きられるようなことは当然ながら無い。今の私を作ったのは、あの事故とそれからの15年だ。すぐに変われるようなことなどありはせず、しかし変えようと思い続けなければ変わらないのもまた事実で。
私は努めて、自分の生きかたや未来へ思いをはせる。少なくとも、私はシノさんに存在を、生きることを許され、また家族からもそれを望まれているのだから。
少しだけ、心が軽くなった気がする。しかし、相変わらず中傷のメッセージは届き続けていた。読むたび、私の中に再び陰がさす。けれどそれも、以前ほど濃くはない。
万人に愛されるものも、万人に愛されないものも決して存在しない。ただそれだけなのかもしれない。そう、思えるようになっていた。
シノさんとの日々が、私を強くする。以前より笑うようになったと言われたし、素直に思ったことを口にできるよう、努力もしている。そんな私をシノさんは、やはり微笑んで受け入れてくれる。
私たちは、より深い信頼関係を築いている。少なくとも、私はそう思っていた。
そう、思っていたのだ――。
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