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第6話

 7月に入っても相変わらず、私には雨が纏わりついている。  暑いよりはマシよ、と小雨の降る中、母は笑って墓掃除をしていた。とはいえ、私たちがここに来る時はいつも綺麗な状態なのだが。  私たちは井土さんの命日に近い休日を墓参りへあてていた。6月に行ったばかりだったが、シノさんに話してからどうしても、またお墓参りに行きたくなって、私は母にその旨を連絡した。ひとりで行くつもりだったが、母も着いていくと言って、今こうなっている。  どうやら私が珍しく、自主的に何かをしたがるのが嬉しかったらしい。そしてついでに、たまには一緒に外食でもしたい、とのこと。私も断る理由は無い。母もまた、あの事故を忘れられずにいるひとりなのだから。  暗い空の下、井土さんの墓を見る。井土家の墓、とは書いてあるけれど、ここに入っているのはただ一人、あの人だけらしい。そしていつ来ても、ここには枯れ草一本すらなく、定期的に清掃しているのか、墓石も澄んでいる。 「お子さんがね、毎月掃除に来ているんですって」 「毎月、ですか」 「そうなの。この間、住職さんが言っていたわ。きっと、今でもお父さんが大好きなのね……」 「それは……」  申し訳無いことをした。また胸が痛む。せめてもの罪滅ぼしにと、こうして墓参りをしているけれど毎月ではない。遺族の悲しみはやはり深く、どれほど詫びても癒せるものではないだろう。  私はただ、既に花の入れられた花瓶へ色どりを足し、線香を供え手を合わせる。それ以上、何ができようか。遺族にしたって、今更私に会いたいとも思うまい。  本降りになる前に、私たちは近くのレストランへと入った。  まだ昼食の時間には早く、客もまばらでありがたい。私たちは軽食とコーヒーを頼んで、しばらく涼んでいた。 「それにしてもタヅマさん、どうして急にお墓参りに行きたいなんて言い出したの?」  母は彼女の頼んだパンケーキを待つ間に尋ねた。私もその質問は想定していたから、静かに答える。 「最近できた友人と、井土さんの話をしたんです。それで、改めてお参りがしたいなと」 「あら! タヅマさんにお友達なんて、何年ぶりかしら! 小学生の頃からずっといなかったんじゃない?」 「まあ、ええ、まあ……」  あの事故の後、私はますます内に篭るようになったし、私には友人らしい友人もいなかった。シノさんが私にとってどういう存在なのかはまだわからない。けれど、母に説明するには「友人」というのがちょうどいい言葉だと思う。  週に一度会って。遊びに行ったり。秘密の話もする。きっとそれは、形はどうあれ深い関係なのだ。 「それはとてもいいことね。どんな人? どうやってお知り合いに?」 「同い年で、私の絵をとても気に入ってくれているんです。ほら、個展に来てくれて。それからずっと、話したり……時には外に遊びに行ったりしています」 「あら! あらあら、まあまあ」  母はそれは驚いたように瞬きをして、それから少し考え声をひそめた。 「もしかして、彼女?」 「い、いえ、シノさんは、」 「シノさん」  うっかり名前を出してしまった。私は慌てて「いえ違います」と訂正をする。 「ええと、シノさんは男の人です。彼女とかではありません!」  本当はもっとややこしい関係性なのだけれど。そのことを伏せていると、母は何か、気になることがあるのか首を傾げている。 「シノ……というのは、苗字なの?」 「あ、いえ。実は、本名は知らないんです。シノ、としか名乗っていなくて。どういう字を書くのかも……」 「……ふぅん、そうなの……」 「どうかしました?」  母の様子に思わず尋ねた。そんな私たちの前に、軽食が運ばれてくる。母は美味しそうなパンケーキに笑顔を浮かべていた。私はといえば、目の前におかれたサンドイッチとコーヒーには手をつけないまま、母からの回答を待っている。 「だってほら。あの子」 「あの子?」 「……ああ。タヅマさんは知らなかったわね。井土さんの、お子さんよ」  私は一瞬、何を言われたのかわからなかった。  井土さんの子ども。先程、墓掃除のときに出た人物だ。毎月掃除に来ているという。その子がどうしたというのだろう。  わからない。わからないけれど、ひどく胸騒ぎがした。  母がパンケーキを食べる為、カトラリーに手を伸ばす。カチャリという音、母の衣服の擦れる音まで、妙に大きく響いて聞こえた。 「だってあの子も「シノ」っていうのよ。井土シノ」 「……井土、シノ……」 「そうそう、タヅマさんと同い年だったのよ。毎月お墓掃除に来ているのは知ってるけど……今頃どうしているのかしらね――」  理解が、追い付かない。  それは一体、どういうことだろう。シノさんとは偶然、私の個展で出会った。それだけだったのに。もし、万が一にも、その「シノ」が私の知っている人と、同一人物だとしたら――。  全てが、変わってしまう。  私は震える手で、コーヒーに手を伸ばす。黒い液体には青褪めた顔が映った。  もしそうだとしたなら。シノさんには私と会う理由が有ったのではないか。最初から。そして彼が、親切にしてくれたのにも。  その時、私のスマホが通知音を出す。恐る恐るそれを取り出して見ると、例のメッセージが届いていた。 『どうしてお前はまだ生きてるんだ? お前のせいでどれだけ迷惑してると思ってる。早く死ね。早く。早く死んでくれ』  そういえばコレは、しばらく前、そう、あれは個展が終わってすぐ。その時期から届き始めた。最近は、届く量が増えてきている。そしてコレが届く時、私はシノさんと一緒にはいない――。  コレさえ偶然ではなかったとしたら。その恐ろしさに、血の気が引いていく。  もしも。もしも。  私が生きているだけで、シノさんを苦しませ続けていたのだとしたら。その末に、シノさんが私に接触をしてきたのだとしたら――。  私は、叫びそうになった。 「ところで、タヅマさん」 「――ッ、は、はい」  母の声で、私は現実に戻る。パンケーキをナイフで切りながら、彼女は静かに尋ねた。「他に、私に話すべきことや……隠していることはない?」  その言葉に、手が震える。しかし、どうにか笑顔を作って頷いた。 「はい、何も」 「……ふぅん、そう。ならいいのですけど」  母はそれだけ呟いて、この話題を打ち切ったようだった。長い間単身赴任している父の愚痴や、近所のかわいい犬の話などをしていたようにも思うが、ほとんど覚えていない。  私の頭の中は、シノさんとのことでいっぱいだった。  私は。シノさんは。私たちは――。

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