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「で、……では、どうして、その……」 「なんでしょう?」 「……わ、私と、その……肉体関係を……?」  僅かに顔を赤らめて、タマさんは小さく尋ねた。僕はその様子にくすりと笑い、そして自分でも考える。 「どうして、でしょうね。あの日はそういう気分だったのかもしれません」 「は、はぐらかさないでください。シノさんは、その……そういう気分で、言い出すような人じゃ、ないと、思います……」 「なるほど。タマさんには僕がそのように見えているんですね」  僕の言葉に、タマさんは不安そうな顔をした。その表情が言葉よりも如実に心情を語るのだから。僕のほうは、タマさんの言葉などを聞き出さずともすんだのだ。  タマさんは、僕に色々な表情を見せてくれていた。彼は気付いていないのだろうけれど。端的に言えば、だからセックスをしたのだ。けれどこの説明では、タマさんは納得しないだろう。 「僕はね、タマさんと話しているうちに、わかってきたんです。あなたは、自分のことを責めていて、愛していない。自分の置かれた状況を幸福だと感じていないって。それは僕にとって衝撃的でした。なにしろ、父と僕の犠牲の上に、あなたの幸福が有ると考えていたのですから。これまでの十年が覆されるような思いでしたよ」 「す、すいません……っ」 「謝らないで、タマさん。僕の勝手な思い込みだったんです。でも、だからこそね。僕は、あなたを幸せにしなければいけないと思ったんですよ」 「はえ……?」  タマさんは困惑した声を出す。それは、そうだろう。彼にしてみれば、僕が何を言っているのかわからないに違いない。けれど、僕には僕なりの理由が有ったのだ。 「だって、そうでないと困るでしょう。父が死んだ理由も、僕がああした幼少期を送ったのも、あなたの為だったと考えればこそ、納得もできた。そうでなかったなんて、今更僕には耐えられなかった、というわけです。あなたを幸せにするため、なにが必要か。色々考えた末に、あなたの最大の理解者となり、そばで過ごすことにしたんです」 「そ、そんな、そんなのは、歪んでいます……!」 「そう、かもしれませんね」  動揺するタマさんに頷いて、思い出す。タマさんと過ごした、あの日々を。 「僕はあなたの目線や空気を感じて、話を振ったり、あるいは黙っていたりしました。仕事柄、そういうことには慣れていたので。それにタマさんは言葉よりも表情や身振りのほうがよほど素直でしたから。あなたの懐に入るのにはあまり苦労しませんでした。ただ、……そうして仲を深めてから、困ったことが起きたんです」 「……それは……?」 「……最初は。あなたが満ち足りて、幸せになってくれればそれでよかったんですよ? なのにね、タマさんがあんまり純朴で、優しい人なものですから。……僕自身、なんと言いますか。まあ、簡単に言ってしまえば、そばにいたくなったと、言いますか……」  言っているうちに、どうしてだかむず痒い心地になって、言葉に迷う。それでも、タマさんには僕の言いたいことが十分伝わったらしい。「えぇ?」と妙な声を出して、彼はさらに頬を赤らめた。 「そ、それというのは、つまり……」 「さ、察しはつくでしょう?」 「いえ、いえ。シノさんの言葉で聞かないことには」 「言葉なんて、どうとでも取り繕えます。あなたの理解したことが正しいし、僕もその答えに従いますから」 「つまり、私のことが好きになってしまったと⁉」 「…………」  はっきり言われて、今度は僕のほうが困惑する番になってしまった。この人はどうして、自分の意見を言うのには奥手なのに、人の考えを推測し言葉にすることへ躊躇いが無いのか。  そしてどうしようもないことに、タマさんのそれは、正しい。  僕は彼を幸せにしようとしたはずだ。そうすることで僕も報われる。それだけだったのに。  いつの間にやら、僕は。 「……自分の気持ちを確かめるために、セックスを提案しました。あなたは知らないでしょうが、僕はあのとき、本当に緊張していたんです。なにせ初めてでしたし……」 「はっ、は、初めて……?」  タマさんが目を丸めている。なんだろう、その反応は。 「初めてに決まってるでしょう、先ほどからの話をまとめれば」 「いやっ、え……っ、え、シノさん……えっ」 「それとも僕が誰とでもああいうことを提案する人だと思っていたんですか」 「あっ、いえ、はい」 「どっちなんですか。……まあ、いいんです。あれは僕にとっても賭けでした。言って嫌悪感が有るなら僕の気持ちは勘違いなのだろうと思っていましたし、あなたに拒否されたらどのみち終わる話だったんです」  ……なのに、あなたは僕を受け入れた。そう呟いてから、僕は首を振る。この言い方では、まるでタマさんを責めているようだ。 「いえ、それで僕はあなたから離れがたくなった、というわけです。ところが、そうなるといよいよ僕の正体が明かせなくなった。だって……気にしちゃうでしょう? 優しくて、あれほど傷付いて苦しみ、悩み続けていたあなただから」 「それは、気にしないほうが無理です。今でさえ信じがたいんですから。あなたが私のことを責めていないだなんて……」 「責めていませんよ。恐らく、一度たりとも。この世界には、人間の力ではどうしようもないことがある。ただ、それだけです。あの時、タマさんへ言ったことに嘘偽りはありません」 「……シノさん……」 「僕は誰の特別でもなく、愛されるべき存在ではない。そんな僕が、父の守ったあなたという人を、幸せにしようとした。自分の利益のために。ただそれだけなんです。……それが、僕のすべてですよ、タマさん」  そう、呟いて。部屋には沈黙が落ちた。  ガタゴトと電車の走る音や、外の道で騒ぐ人の声ばかり聞こえる。随分時間が経ったのかもしれない。しかし、スマホの時刻を確認する気にもならなくて、僕は俯いて床を見ていた。  もしかしたら。  もしかしたら、タマさんが次に何を言うのか、怖いのかもしれない。ぎゅっと手を握りこんで、その時を待つ。その時間が、妙に長く、冷たく感じられた。  タマさんは長い時間黙り込んでいて、僕もなんと言っていいかわからなくて。先に何か切り出すべきかと考えた時。 「……それが、シノさんから見た、あなたなんですね」  タマさんの言葉に、顔を上げる。彼は、僕を見つめていた。その純粋な瞳は、いつも僕をじっと優しく見返している。 「……? はい。そう、なりますね」 「なら、私はあなたに伝えなければいけないことが、まだあります」  タマさんの言葉に、僕は動揺ながらも「聞かせてください」と頷いた。  

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