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秀一の姉の後を気付かれないよう距離を取って尾行していく。
公園から500メートルほど歩いたところに住宅街があり、その一角に白い二階建ての家が建っていた。
表札には『佐藤』という名が刻まれており、姉は特に周囲を警戒することなく家の中へと入っていく。
広い駐車場には高級外車が停められていて、周囲の家と比べても明らかに裕福な家庭であることがわかる。
さて、どうしようか。家の前まで来たのはいいものの、そこから先は何も考えて居なかった。
姉の様子を見る限り、チャイムを押したとしても秀一に会わせてもらえるとは限らないし、下手すると警察に通報されてしまうかもしれない。
それだけは、避けたかった。
「――お兄、さん?」
不意に、庭の方から小さく聞きなれた声がしてハッとして顔を上げる。そこには、驚いた表情をした秀一が立っていた。
まさかここで会うことになるとは思わなかったので理人は咄嗟に声が出なかった。
「……ゴメン、お兄さん。今日、行けなくなっちゃったんだ……」
庭のフェンス越しに辛そうな声が静かに話しかけて来る。俯いていて表情までは読めないが、声でわかる。
本当は凄く楽しみにしていたのだと。
「また、いつか誘ってよ」
「わかった。また今度行こうな。……それと、俺の名前は理人だ」
「理人……さん。ゴメンね、僕行かなきゃ……」
理人が名乗ったのと同じタイミングで家の中から彼を呼ぶ声がして、秀一は軽く会釈をすると、そのまま走って家の中へと消えていってしまった。
「……あの子の手首、見た?」
「……あぁ……」
去っていく後姿を眺めながら重苦しいため息を吐き出すと、ケンジが遠慮がちに問いかけてきた。
薄っすらではあるが手首に細いものが巻き付いていたような赤い痕が残されていた。
そう言えば以前、理人の腕に付いた後を縛られた跡だとハッキリと指摘してきたことがあった。小学生でこんなことがなぜわかるのかと疑問には感じていたが、恐らくもう何度も縛られた経験があったのだろう。
父親が家にいると嫌な事ばかりが起こると言っていたから、きっとそれは父親の仕業に違いない。
「チッ、胸糞悪い……」
家庭内の問題にはどうやったって割り込めない。何もしてやれない自分が歯がゆくて、悔しくて、腹立たしかった。
理人は拳を強く握りしめると、怒りをぶつけるように強く地面を踏みつけた。
「……リヒト君……今日はもう、帰る?」
心配そうに覗き込んでくる視線を感じ、理人はハッと我に返った。
確かにいつまでも人の家の前に居座るわけにもいかない。
それに、これ以上ここにいたらケンジに要らぬ迷惑をかけてしまうかもしれない。
「悪い。せっかく誘ったのに……」
「僕は平気だよ。動物園は逃げないからまた今度行けばいいし」
ケンジはそう言って笑うと、ポンッと理人の肩を叩いた。
確かに動物園は逃げはしない。だが確か、ケンジの目的は推しのイベントを見る事じゃなかっただろうか?
「なぁ、お前が行きたがってたイベントとやらはいつまでやってるんだ?」
「えっ!? あー、いいんだ。気にしないで」
「何時だ?」
「……実は、調べたら今日までだって……」
ケンジは気まずげに頬を掻いた。当然、ケンジだって行くのを楽しみにしていた筈だ。
「そうか……じゃぁ、行くか?」
「えっ!? でも……っ」
「動物園は逃げねぇけど、お前が見たいものは今日しか見れないんだろう? だったら、行くっきゃねぇだろ」
理人がそう告げると、ケンジは目を丸くした。本当にいいのだろうか?と、その目が雄弁に語っている。
「アイツは、いつか絶対連れて行ってやる。 だから今日は……お前に付き合ってやるよ」
「……リヒト君って……カッコイイね。チビなのに」
「くっ、チビは余計だ馬鹿!」
ニヤリと笑みを浮かべるケンジに理人が噛みつく。
全く、コイツは一言多い。でもまぁ、元気が出たならそれで良かった。悲しそうな顔を見るのは、一人で充分だ。
待ち合わせ場所だった公園に辿り着き、もう一度秀一の家があった方角に視線を向ける。
いつか、行けるチャンスが来たらきっと連れて行ってやるから――。
誓いを立てるようにそう呟いて、理人はケンジの手を握り駅の方角へと歩き出した。
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