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 まだ肌寒い3月の空の下、理人とケンジは卒業証書の入った筒を片手に笑い合いながら校門をくぐる。 「じゃぁ、またな。頑張って調理師の資格、取るんだろ?」 「えっ? あぁ、うん……。前に動物園に行った時二人が美味しいって褒めてくれたでしょう? 僕、今まで誰かに褒めて貰った事なんて無くて、凄く嬉しかったんだ。だから、ちょっと本格的に学んでみたいなぁって思って……」 「そう、か」 あの時のことがきっかけで、料理の道に進みたいと思ったのか。 そのきっかけを作ったのが自分達だという事に、妙なむず痒さと喜びを感じる。 「僕ね、いつか自分だけのお店が持ちたいなぁって思ってるんだ。その時は、リヒト君が一番最初のお客さんになってよ」  はにかみながらそう告げるケンジの目は、まっすぐに前を見ていた。出会った頃は弱弱しい印象しかなかった彼が、今は少し大人びて見える。 「あぁ、勿論だ。俺が一番の客で、常連になってやるよ。だから、頑張れ」  ニッと笑い返し、そっと手を差し出した。 「ありがとう。約束、だよ」  ケンジは嬉しそうな笑みを返すと、小指を絡めてくる。 「指切りとか、ガキみてぇじゃねぇか」 「えー、いいじゃん。約束の証なんだから」  照れくささを誤魔化すように笑うと、ケンジもつられて微笑む。  こうして、二人の少年のささやかな青春の一ページが綴られていく。 そして、それから約10年の月日を得て。 新宿二丁目にある路地裏にひっそりと佇む小さなバーがオープンした。 店名は―――BLACK CAT。 黒い猫のマークが目印の小さな店は、シックな内装で纏められており、半個室のボックス席がいくつかあるだけでカウンターもたったの5席しかない。 大きな特徴と言えば、店のオーナー兼マスターが一人の青年――もとい、オカマであるという事だろうか。 ふわっとした癖のある髪はあの頃のままだが、細身で可愛らしい体系は厳つい筋肉質の男へと様変わりしていた。 そのちぐはぐさが、なんとも言えない不思議な雰囲気を醸し出している。 「――お前、何がどうしてそうなった!?」 初めてその姿を見た時の衝撃は、今でも忘れられない。 思わず突っ込んでしまうくらいにインパクトがあった。  「うふふ、自分のやりたい事ぜーんぶ詰め込んだらこうなっちゃったの。でも、アタシは今、凄く幸せよ」 オーナーのナオミ……元ケンジはそう言ってにっこりとほほ笑んだ。 その笑顔からは、後悔や迷いなど一切感じられない。 「お前らしくて、いいじゃねぇか。でも、もうちょっと化粧が上手くならないとだな……元は可愛いのに勿体ねぇ」 「あらやだ、理人に可愛いって言われちゃった!」 「アホか。人の話を聞け! 化粧の勉強しろつったんだよ」 理人が苦笑交じりに言うと、 ナオミも満足げな笑みを零した。 「なにはともあれ、開店おめでとう。この店で一番高い酒もって来いよ。ボトルキープしといてやる。祝いの席だからな」 「理人ってば太っ腹~。サラリーマンってそんなに儲かってるの?」 「……実は今日、昇進が決まったんだ」 自分で言いだすのは少々恥ずかしかったのか、理人は若干視線を逸らすとボソッと呟いた。 「えーっ!? 20代で役職なんて、凄いじゃない。顔は高校生のまんまなのに」 「顔の事は余計だ! まぁ、元々大学の時に出した論文をうちの社長が気に入ってくれて、好待遇での就職だったんだ」 理人は大学卒業後、防犯カメラなどを扱っている中小企業へと入社し、そこで様々な知識を学び、技術を身につけた。その後、独自に開発したプログラムを武器に数々の実績を上げ、今では会社の重要な戦力となっている。 特にここ数年は業績を伸ばし続けており、社内でも一目置かれている存在になっている。 「たまたま性犯罪予防にも使える小型カメラとペン型の盗聴器のプレゼンが思った以上に上手くいったんだ。小型化が進むことで逆に犯罪に使われるケースだってあるけど、証拠が無くて泣き寝入りする被害者が少しでも減ればいいと思って」 「……そっか。理人も頑張ってるのね……。いいわ、アタシがとびっきり美味しいご飯とお酒準備してあげる。だから今日はWでお祝いしましょ」 パチンとウインクを飛ばしてウキウキとキッチンへ向かう彼の後姿を眺めながら、理人は小さく息を吐いた。 あの日ケンジと出会わなかったら今の自分はどうなっていたんだろう? あの時蓮に無理やり犯されなければ……? もしかしたら、自分もケンジも全く違う人生を歩んでいたかもしれない。そんなもしもの話をしても仕方がないけれど、考えずにはいられなかった。 ケンジとの出会いが、理人の人生を変えてしまったのだ。 そう思うと、なんだか不思議な気分だった。 「なーにニヤニヤしてるのよ? 気持ち悪いわね」 「おい!」 「嘘よ、冗談。 それじゃ、アタシたちの新しい門出を祝って乾杯ね」 グラスを片手にウィンクするナオミの姿に、理人はやれやれと肩をすくめる。 そして、目の前に差し出されたグラスを手に取り、コツンと軽く触れ合わせた。

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