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「なんだよ、鬼塚。もう帰るのか?」
一次会を終え、帰宅準備をしていると不意にほろ酔い気分の数人に声を掛けられた。
「あぁ。家に仕事を残して来たんだ。期限が近いから明日までに片さないといけなくて。それに、一人で少し考えたいことがあるんだ」
「ふぅん。若くして出世すると色々大変なんだな」
「まぁ、好きでやってる仕事だから仕方がないさ」
「そっか。……たく、折角会えたってのに残念。真紀もケンジも付き合い悪いし」
ケンジは、店があると言って早々に切り上げて行ってしまったし、幹事である真紀は二次会に誘われたが「今日は、彼にもう一度アタックするから」と言って断っていた。
昔から決断力があって、頼もしい女だとは思っていたが、こんな所まで昔と変わらないとは。
「思い立ったら即行動に移すあたりがアイツらしいな」
「他の女子達に焚きつけられてたからなぁ。そんな事よりさ、鬼塚。戻るんだったらあの人、送ってってくれない?」
「あ?」
バツが悪そうに、指さす先には壁際に設けられたソファで置物のようにくったりと凭れて座っている蓮の姿があった。
「いやぁ、あの人そんなに酒強くないのな。ちょっと飲ませ過ぎたみたいで潰れちまってさ」
「……なんで俺が」
理人は眉間にシワを寄せて不満げに言うと、友人は困ったように笑って見せた。
「お前、家近いだろ? なぁ、頼むよ」
自分で強引に連れてきたくせに、酔いつぶれたからと言って責任を放棄するなんてなんて酷い男なんだ。
蓮が可笑しなことを言い出さないか不安で、他の奴らと会話しているのを聞いていた時に話題に上った住所は確かに自分のマンションからそこまで遠くないものだったが、出来ればあまり関わりたくない相手だ。
だが、このまま放置しておくわけにもいかない。
「チッ……仕方ねぇな」
理人が溜息交じりに言うと、友人はパッと笑顔になり「サンキュー」と礼を言った。
「じゃぁ、俺行くわ。後は頼んだぞ!」
「……たく、調子のいい……。さて、とどうすっかな……」
ぐったりとしている相手は意識はあるものの、まともに立てそうにもない。
全く、潰れるまで飲むなんて何をやっているんだと呆れつつ、仕方がないのでおぶって帰ることにした。
自分より一回り大きな男は鍛えているせいもあり随分と重たい。だが、なんとか引き摺るようにして外に出て、待機していたタクシーに押し込むと運転手に行き先を告げる。
放っておくわけにもいかずに自分も乗り込むと、シートに深く沈み込んで窓の外を流れる景色を眺めた。
自分にくにゃりと凭れかかる蓮からはアルコールと汗とコロンが入り混じった匂いがした。
その香りを嗅いでいるうちに何とも言えない気持ちになってきて、落ち着かない。
それに気付いているのか定かでは無いが、蓮の鼻先が首筋にあたり吐かれる熱い呼気にくすぐったさが入り混じり、理人は身を捩った。
「あー、いい匂い。懐かしい……理人の匂いがする……」
「っ、何言ってんだ……たく、酔っぱらいが」
肩を掴んで押し返すと、蓮の潤んだ瞳と視線が合う。
紅潮した頬に熱を帯びた視線。どこか扇情的なその表情はまるで別人のようで、ドキリとし、慌てて窓の外に視線を戻した。
こういう時に限って、道が混んでいるのか中々進まない。
ソワソワしながら窓の外を眺めていると、見覚えのある女性が少し前方に見えた。それは紛れもなく真紀であったが、何故か彼女は一人で歩いているわけではなく誰かと一緒だった。
隣にいるのは背の高い男性で、真紀と親しげに腕を組んでいる。
そう言えば、思い人にアタックすると言っていたから、きっと上手くいったのだろう。
特に興味も無かったが、何気なく相手の男の顔を見た。
その瞬間、驚きの余り心臓が止まりそうになった。
何故なら、真紀と一緒にいたのは瀬名によく似た男だったからだ。
他人の空似にしては、あまりにもそっくりで言葉を失う。
まさか、そんなはずはない。だって瀬名は――。
ふと、同窓会の席で真紀が言っていた言葉を思い出した。
『昨日、恋人にフラれたみたいで、落ち込んでたからもしかしたらチャンスあるかも――』
もし、もしも本当にそうなら……。出来れば見間違いであって欲しい。
でももし、あそこにいたのが瀬名だったら……?
いや、大丈夫だ。きっと……。
信じて貰えないのは辛い。そう言って瀬名に悲しそうな顔をさせたのは自分じゃないか。
自分が信じてやらなくてどうする。
でも、もし……自分の言動が原因で、自暴自棄になった瀬名が彼女を選んだら?
瀬名の隣で幸せそうに微笑む彼女の姿を目の当たりにして平静で居られる自信が無い。
そんなのは嫌だ。やっぱり瀬名を渡したくない。
これ以上判断を間違う訳にはいかない
きっと、別人だ。瀬名なはずがない――。
腹の中で暗澹たる想いが渦巻くのを感じながら、小さく震える手を強く握り締めた。
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