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「しょうがない奴だな……、ほら、来いよ。……その代わり、キスだけだからな」
「えぇ……そんな……」
瀬名は不満げに口を尖らせたが、やがて諦めて理人に覆い被さるように唇を寄せてきた。
そんな彼の背に腕を回し、ソファに押し倒される形で口づけを受け入れる。
唇に、柔らかく濡れた舌が触れ、唇を薄く開くとそれは強引に割り込んできた。歯列を割られ、舌がからめとられると、身体の芯が震えて何とも言えない熱いものが込み上げてくる。
「ん…………っ……」
蠢く舌から吸い取られていくかのように、身体からうっとりと力が抜けていく。
深く差し入れられた舌が、ぐるりと口内を舐める。その感触の心地よさに、無意識にその舌を追いかけてしまった。
しかし、驚くほどあっさりと口付けは解かれた。
「あ……ふ……っ」
物足りなさを感じて瀬名の方を見ると、彼は何事も無かったかのような涼しい顔をして理人を見ていた。
「どうしたんです? 聞きたいことがあったんでしょう?」
「……っ、クソが……っ」
「キスだけって言ったの、理人さんじゃないですか。それとも、もっと先の事まで期待しちゃいました?」
耳元で囁かれた意地の悪い問いかけにカッと頬が熱くなる。何も言えずに視線を逸らした理人を見て、、瀬名は満足そうに微笑むと理人の腕と肩を掴んで半ば強引に起き上がらせ、自分の股の間に座らせ直した。
瀬名の腕の中にすっぽり収まるような体勢になり、理人は少し戸惑ったが瀬名は気にすることなく後ろから包み込むようにして肩と腰を抱き寄せてくる。
甘い雰囲気はどうにも苦手で落ち着かない。
文句を言おうと顔を上げると、困ったような表情を浮かべて眉を寄せている彼と目が合った。
瀬名は何かを言いかけては止めるのを繰り返していたが、やがて覚悟を決めたのか躊躇いがちに切り出した。
「理人さんが聞きたいことって、今日の事件の事、ですよね……」
瀬名の問いに、理人は静かに頷く。一体なぜ、瀬名は刺されそうになったのか。その女が何者なのか……聞きたいことは山のようにある。
「理人さんは、僕が以前の職場を辞めた原因って知ってましたよね?」
「あぁ、確か……女性関係のトラブルじゃなかったか?」
「そうなんです。前の職場にストーカー気質の人が居まして……。その人がいきなり僕が宿泊してたホテルに押しかけて来たんです」
そこまで言って言葉を詰まらせる瀬名だったが、すぐに気を取り直すようにゴホンと咳払いをして先を続けた。
「少し酔っているような感じもあって、飲みに行こうと無理やり誘われて。一度は断ったんですがしつこくて。それで、ナオミさんのお店ならきっと何かあっても大丈夫だろうと思って仕方なく連れて行ったんですが……」
そこで再び言葉を切ると、瀬名は言い辛そうに俯いて目を伏せた。
タクシーの中で見た男女は、やはり瀬名と真希で間違いなかったのだろう。自分が思っていた状況とはかなり違うようだが、瀬名が嘘を言っていない事だけは信じられた。
「彼女、何故か僕が喧嘩してフラれたのを知ってたみたいで、ずっと好きだったとか付き合ってくれとか言って聞かなかったんです。でも、僕は理人さん以外の人となんて考えられなくて、もちろん断っていたんですが、次第に彼女がヒートアップしてきてしまって、揉み合っているうちに刃物を持ち出して来たんです」
「アイツ、相当ヤバイ女じゃねぇか」
思わずそう呟いた理人の言葉に、瀬名は苦笑いを浮かべて首を縦に振った。
いくら酔っていたとはいえ刃物を向けるだなんて正気の沙汰じゃない。
「どうやらナオミさんの知り合いだったみたいなんですが……、鮮やかに刃物を取り上げて撃退してくれたお陰で事なきを得ましたが違う店だったらどうなっていた事か」
その時の光景を想像し、理人もまた眉間にシワを寄せて難しい表情を浮かべる。どうしていつも、肝心な時に自分は居ないのだろうか?
そう言えば真希は昔から思い込みが激しい一面を持っていた。一度こうだと決めたら周りが見えなくなるタイプだ。おまけに凝り性でハマったものは徹底的に調べないと気が済まない性格をしていた。
だが、まさかここまでとは思わなかった。例え瀬名の事を想っての行動だとしても、相手は凶器を持っていたのだ。一歩間違えば大惨事になっていたに違いない。
もしもの事を考えるとゾッとする。
「はぁ……ナオミには一生頭が上がんねぇな……」
「本当ですよ」
二人は同時に深いため息をつくと、どちらともなく顔を見合わせて小さく笑った。
「けど、お前に何もなくて良かった。……刺されたって聞いた時、生きた心地がしなかった」
「理人さんが駆け込んできたの、上まで聞こえてました。直接見たかったなぁ……どうせなら、一階で倒れたフリしておけば良かったかな?」
「馬鹿言え。もうあんな思いは二度とごめんだ」
「えぇー……残念だなぁ」
本気で悔しがる瀬名に呆れつつ、理人は背後から回されている彼の手にそっと自分の手を重ねた。
「もう……心配させないでくれ。頼むから」
直ぐ側に瀬名の唇が見えて、身体を捩って腕を首に絡めるとそのまま引き寄せる様に唇を触れ合わせる。瀬名は驚いたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうに細められ、理人の後頭部に手を添えると何度も角度を変えて口づけてきた。
「……そう、ですね。気を付けます」
優しく押し当てられたキスを、素直に受け止める。侵入して来た彼の舌を招き入れるように絡ませ、互いに吸い合う。
「……んっ。……っ、ん……」
夢中になって貪り合い、唾液が混ざり合ってどちらのものかもわからなくなった頃、ようやく唇が離された。
名残惜しげに銀の糸が引き、瀬名の唇がそれを舐め取る。その仕草にドキリとして思わず顔を赤らめた理人を見て、瀬名は妖艶な笑みを浮かべた。
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