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願い

それから更に数週間。理人は、朝から晩まで黙々と仕事に打ち込んでいた。 何もしない時間が出来ると、彼の事を思い出して苦しくなってしまうので、必死に仕事をすることで忘れようと努力した。 最初は瀬名はどうしているのかと聞いて来ていた藤田も流石に空気を読んだのか、理人に話しかける事はしなくなっていた。 あの手紙はどうなっただろうか? 瀬名は読んでくれたのか。 姉が付きっきりでいると言っていたし、もしかしたら瀬名が読む前に姉の手に渡りビリビリに破かれてしまっているかも。 そう考えると胸が張り裂けそうになる。でももう、やれることはやったのだから後はもう……。 今日は7月7日。以前瀬名と一緒に行こうと約束していた七夕祭りが行われる日だ。 理人はチラリと時計を見た。終業時間まであと3分を切っている。こんなに就業時間が終わるのが待ち遠しいと思った事は一度もない。 「鬼塚部長、すみませんこの資料なんですが――」 「すまない。デスクに置いていてくれ。明日目を通しておくから」 「えっ、あ、はい。わかりました」 まさか、理人が断るとは思っていなかったのだろう。 部下は一瞬驚いたような表情を見せたが、素直に返事をするとそそくさと自分の席に戻っていった。 理人は、再び視線を腕時計に向ける。 早く帰りたい。帰って瀬名に会いたい。 今、理人の頭を占めているのはただその事だけだった。 定時を知らせるチャイムが鳴ると同時に、理人はカバンを引っ掴んでオフィス飛び出していた。 足早で廊下を駆け抜けて、エレベーターに乗り込む。数階分乗っているわずかな間も一分一秒がもどかしい。 エレベーターが1階で止まると同時に駆け出し、ビルのエントランスを出ると、理人は祭りの会場である神社を目指した。 花火大会が始まるのは7時過ぎ。今から行けば余裕で間に合う。 もし、今日祭りが終わるまでに彼が来なかったら……? その時は、それが答えなんだと諦めるしかない。 電車を乗り継ぎ、やっとの思いで神社へ辿り着いた頃にはすっかり息が上がり、全身汗だくになっていた。普段運動不足のせいか、少し走っただけでこれかと情けなくなる。 長い石段を登りきると、狭い参道に屋台が連なるように並び、等間隔に吊り下げられた提灯が煌々と辺りを照らしているのが見えた。 周囲は高揚したざわめきに満ちて、耳を澄ませば遠くの方で祭囃子が聞こえ、石畳を駆ける人々の軽やかな下駄の音色が空に響く。昨日まで降り続いていた雨もやみ今日は絶好の花火大会日和だった。 やはり、一度戻って着替えてきた方が良かっただろうか? 色とりどりの浴衣を着た妙齢の女性たちがチラホラ視界に入り、自分が酷く場違いな存在に感じてしまう。 だが、ここまで来たのだ。今更引き返すことなど出来はしない。それに、もしかしたら彼が既に来ている可能性だって0では無いのだ。 理人は、沿道に整然と並ぶ屋台を横目に雑踏の中、彼の姿を探しながら境内へと続く道を歩いていく。 ざっと辺りを見渡してみたが、彼と思しき姿を見付ける事は出来ず、理人は落胆の溜息を吐いた。 やはり、もう彼はここに来るつもりはないのかもしれない。 あんな酷い別れ方をしてしまったのだ。当然と言えば当然か……。 だが、まだわからない。もしかしたら人混みのどこかにいるだけかもしれない。理人は気を取り直すと、ゆっくりと歩を進めた。

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