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第26話 もう、黙って
楓の肩がわずかに強張る。その彼の髪に頬を押し当て陽向は呻いた。
「憎い、よな。俺たちのこと。憎くて憎くてたまらないよな。俺たちがいるからあんたは苦しんでる。いなくなればいいって思うよな」
涙が滲みそうになる。それを陽向は必死にこらえた。
自分が泣くわけにはいかない、と思った。辛いのはきっと自分じゃないのだから。
「俺はあの里の人間だよ。なのにあんたは俺を助けた。今も優しくしてくれる。それって一体どんな気持ちなの。俺のこと憎いって、思わないの。なあ、楓。あんたは、なにを考えてるの」
楓は答えない。陽向の頭にそっと頭を当てるようにしたままの彼に陽向はなおも言い募った。
「教えてよ。俺はちゃんと受け止める。憎いならそう言ってくれていい。あんたが望むようにしてくれていい」
「殺してもいい、ってこと?」
ぞっとするような低い声が囁く。一気に体温を下げるほどの禍々しさに満ちたその声に陽向は腕を強張らせた。その陽向に抱きしめられたまま、楓が掠れた声で笑った。
「大丈夫。そんなことはしない。そんなことのために君を助けたわけじゃない」
「じゃあ、なんのためだよ」
叫んで陽向は楓を肩から引き剥がし正面から目を合わせた。
「あんたになんの得がある? 俺を助けてもあんたにはなにもない。俺はろくでもない一族の末裔でしかないんだから。そうだよ。あの地下投獄の日に皆殺しにされていても仕方なかったはずの凶悪な一族だ。なのにあんたらは俺たちを殺さず、あんたは俺を助けた。意味がわからないよ。わからなすぎて心も乱れて。でも一番わからないのは俺自身だ」
声が滲む。必死にこらえながら陽向は言葉を絞り出した。
「俺はあんたを助けたいと思ってしまう。一族に知られたら裏切りと言われてしまうだろうに。あんたを安らがせてあげたいと思ってしまう。そんなこと望んではいけないのに。あんたの気持ちもなにも、わからないのに」
おかしな話だと自分だって思う。
自分が生きてきたのは間違いなくあの里。自分と同じ髪と瞳を持ち、同じ血の呪いにかかった人間が集う集落。自分はあそこを厭っていたわけじゃない。生まれたときから地底に生き続けてきた自分にとってはあそこが生きてきた場所で、周りにいる人たちも自分と近しい人だったはずだ。
両親はすでに亡かったけれど祖母だけはずっと自分の成長を見守ってくれていた。
愛してくれていた。
少女を殺してしまったあのおぞましい記憶ゆえに、素直に心を開くことはできなかったけれど、それでも祖母が、里の皆が自分に向けてくれていた感情が、愛情じゃなかったなんて思わない。
人を殺してしまった自分が生きていていいのか。そんな風に思い悩みながらも、孤独を思うこともなくここまで長じてきた自分はおそらく幸せだったはずなのだ。
だから自分にとって立つべき場所、位置はあちら側のはずだ。
けれど今、自分はこの人を助けたいと思っている。会って間もなく、名前くらいしか知らず、その思考もなにもかも読めないこの人を。
自分達一族が長年、憎んできた者たちの一人、いや、それどころか現在の長であるらしいこの人を。
自分の呪われた力を受けても、生きて笑って傍にいてくれたこの人を。
自分は。
「俺は、あんたを守りたいんだ。あんたを俺は」
「もう、黙って」
言い募る陽向の声を遮ったのは少し震えた彼の声だった。瞠目する陽向から顔を逸らし、彼は掠れた声で続けた。
「それ以上は言わない方がいい。君と僕は違う。いるべき場所もなすべきことも。だとしたらなにも知らないでいた方が」
いい、言いかけたその言葉ごと陽向は彼の口を塞いだ。驚いたような息がふっと陽向の中へ流れ込んでくる。その息すらも閉じ込めるように陽向は口づけを続けた。
彼の唇はやはり冷たくて、けれど冷たさの向こうにかすかに温もりがあった。
彼の、彼だけの体温だった。
いつまでも感じていたい。そう思う気持ちを押し殺しゆるゆると唇を離すと彼の黒い瞳がゆらりと波打ってこちらを見た。その彼に向かって陽向は囁いた。
「今のは、俺があんたにしたいと思ったからしたことだ」
無言のまま、彼はこちらを見つめ返す。その彼の目を陽向はまっすぐに覗き込んだ。
「あんたは、あのときどうして俺にしたの」
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