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第39話 祝福

 …………間違っていることをしていると思い知らされて、辛くなる。  楓が陽向に初めて口づけたとき、彼が言った言葉が脳裏に蘇る。  間違っていること。それはなにを意味していた?  自分の命を削るとわかっていながら、悪鬼である陽向を助け、呪いの炎をもらおうとしたこと……。 「そんなの!」  怒鳴ったとたん、喉がひりついた。たまらず体を折る陽向の肩を黒い衣に覆われた細い肩が抱き起こす。 「あまり興奮しない方がいい。毒は消したけれどまだ……」 「俺のことなんてどうでもいいんだよ!」  怒鳴り、陽向は楓の体を押しのけた。 「あんたは俺に自分を殺させたかったの? この、俺に? あんたを愛している、この俺に?」  楓は答えない。ただ暗く沈んだ眼差しで陽向を見つめ続けている。その彼に向かって陽向は声を荒らげた。 「どうして?! どうしてそんな残酷なことできるんだよ? 今が辛いなら逃げればいい! 命をそんな……」 「そうだね」  静寂にも似た声で彼が囁く。涙に滲んだ目を上げた陽向の前で彼は微笑んでいた。夜毎草に似た微笑だった。 「本当にどうしようもないくらいひどい。僕は自分の望みのために君を利用したのだから。こんなにも自分の力を呪っている君をね。でも」  すうっと細い手が上がる。その指先で陽向の額に張り付いた髪をかきあげながら、彼は言った。 「僕にとっては君が持つ呪いの力は祝福だった。僕自身が自分の力を呪い続けていたから。だってこのまま行ったら多分、僕は毒に殺されるだけだろうから」 「毒に、殺される?」  彼の言うことがわからない。わからないけれど彼のその言葉はどっぷりと闇に沈んで聞こえた。呆然と彼の言葉を繰り返す陽向に向かって静かに微笑んだまま、彼は頷いた。 「黒鳥の力は毒を制する力。毒を吸い、それを操る力。毒から薬を作ることも、毒を消すことも僕らにはできる。ときには毒そのものを使うことも。けれどその力は無限じゃない。黒鳥の力を持って生まれた者の末路は決まって同じ。毒に飲まれて、終わり。取り入れきれなかった毒に侵され死ぬ。先代の長とその妻もそうだった。僕もきっとそう」 「逃げればいいじゃないか! 毒消しなんてしなくていい! そうすれば」 「それはできない。力が受け継がれていることには意味があるから。事実、僕らの力があれば、時間をかけて地上を少しずつ清浄に戻せる。それを望む人も、いる」  けれど、とふいに彼の声が揺れた。 「僕は怖かった。毒に殺されるその死にざまはあまりにも惨いから。体を毒に溶かされ、もがき苦しみ、発狂しながら息絶えていく。そのさまを僕は見ている。だから、僕は怖い。でも、僕はやめられない。やめるわけにいかない。それが僕の役目だから。…………君は言ったね。僕の心が限界だったから、と」  彼は泣き笑いのような顔で笑って言葉を継いだ。 「あれは当たっている。僕は限界だった。このまま毒に殺されるくらいなら、いっそ自分で自分を殺してしまおうか、なんてそんなことを思ってしまうくらいに。そんなときだったんだよ。君を拾ったのは」  細い手が伸び、陽向の頭をそうっと撫でる。 「君を見て思い出した。悪鬼の身の内にある炎を分け与えられることで命を削ることができるという言い伝えを。だから、僕は君を助けた」  黒い瞳の中でゆらり、と涙が波打つのを陽向は気を飲まれたまま見つめる。その陽向の髪を撫でながら彼は続けた。 「本当にひどい話だと思ったよ。君は誰も殺したくないのに、僕は君に殺されたがっているのだから。でもわかってほしいのは、君に僕は救われているということなんだ」  瞳の中、たゆたっていた涙がさらり、と零れ落ちた。 「毒に殺されるしかなかったはずの未来に、君からもらった炎で死ねる未来ができた。それは僕にとって救いなんだ。君の力は決して誰かを不幸にするだけのものじゃない。その力にも意味はある。望まないものかもしれない。それでも君の力は、君は、誰かを救う力になり得るんだ。少なくとも僕にとっては確実にそうだ」  彼の腕が陽向の頭をそうっと包む。壊れ者のように抱きしめ、彼は囁いた。 「だからもう、自分を憎まないでほしい」

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