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第40話 ありがとう
楓、そう名前を呼ぼうとしたとき、外から足音が聞こえてきた。するり、と楓の腕が陽向から解かれる。それを待っていたかのように、扉の向こうから若い男性の声が聞こえた。
「長。東雄の長と御剣の里、小金の里の長がいらしてます」
「そろいもそろって」
吐き捨て、楓が衣の裾を正す。立ち上がりざま手の甲でさっと涙を払い、背筋を伸ばすと、彼は扉に向き直った。
「すぐ行く。そう伝えて」
扉の前から足音が遠ざかる。楓はその音を聞き届けふうっと肩で一息ついた。そして。
「本当にありがとう、陽向」
背中を向けたまま一言そう言った。そのまま扉を開け出て行く。
その彼を陽向は見送るしかできないでいた。
…………ありがとう。
彼の声が繰り返し耳の中に轟く。
「なんで、あんな言い方するんだよ」
あんな言い方、まるでもう会えないかのようだ。
そう心の内で思ったとたん、耐え切れなくなった。必死に床に手を突き立ち上がる。ふらつきながら扉に向かって歩く。格子戸に手をかけ思い切って引く。だが動かない。
扉は施錠されていた。
「くそ!」
思い切り格子を叩き、陽向はずるずると格子にすがって座り込んだ。
彼は言った。自分を憎むなと。君の力に僕は救われたと。
毒で死ぬ未来じゃない未来をもらえた、と。
ゆらり、と波打つ彼の瞳が頭の中を過る。脳内の彼に向かって陽向は怒鳴った。
「そうじゃないだろ! そういうんじゃないだろ! そんなの絶対、おかしいだろ!」
どうしてそんな方法を取ることしかできなかった? もっと他の方法を選ぶことだってできたはずだ。
でも彼は選んだ。
死に方を選んだ。
でもそんなのはやっぱりおかしい。
「おかしいだろ。そんなの、馬鹿野郎!」
怒鳴ったが返る声はない。格子を揺さぶったが頑丈な造りゆえにびくともしない。それでも陽向は扉を揺さぶることをやめられなかった。
どれくらいそうしていただろう。遠くこちらへ向かって走ってくる足音に気づき、陽向は扉を叩いて怒鳴った。
「開けろよ! ここ! 楓に会わせろ! おい!」
足音はどんどん近づいてくる。格子を透かし、廊下らしいそこを覗いた陽向は驚いた。
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