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第46話 そのときは殺して

 立ち尽くす彼の体を引き寄せ抱きしめると、彼が大きく息を飲んだ。 「ひ、なた……」  自分の名を呼ぶ声が陽向の耳朶に沁み込む。陽向の腕から抜け出そうとする彼の体を腕の中に閉じ込め陽向は宣言した。 「もう、聞かない」  え、と楓が腕の中で呟く。その彼の髪に頬を寄せ、陽向は言い切った。 「楓がなんと言おうと一緒にここを出る」 「待っ……て。そんなわけにはいかない。僕にはまだ」 「聞かないって言ってるだろ」  鋭く遮ると彼が声をなくした。その彼の体を胸から引き剥がし陽向は訴えた。 「榊さんが言ってくれた。ここから楓を解き放ってやってって」 「榊、さまが……?」  驚きを隠せない様子で問うその楓の目が一瞬、ゆらりと揺らめいた。が、彼は即座に首を振った。 「駄目だ。もし僕がいなくなったら榊さまが役目を負わされる。あの方に力を使わせるわけにいかない」 「あんたがそんなにまでして力を使うのはなんのためだよ?」  声を荒らげるとぴくりと彼の頬が引きつった。楓は一度唇を噛みしめてからきっと目を吊り上げた。 「望む人がいるから」 「そんな顔のないような人間のためにあんたが壊れるなんて俺は許せない!」  明確な拒否の声を上げた陽向を、楓は当惑した顔で見上げる。その彼の両腕を掴んで陽向は揺さぶった。 「誰が幸せになったってあんたが壊れていくなら俺は絶対にそんなこと認められない」 「…………僕は、見せたいんだよ。君にも。星や太陽を。それはそんなに間違った望みだろうか」  かすかな声で彼が言う。その声に滲んだ確かな覚悟が陽向の胸を抉る。自分の望みは楓の覚悟を根底から否定するものだ。けれどその覚悟を自分は断じて認めるわけにはいかなかった。  あんな顔で笑わせるなんてもう耐え切れなかった。 「あんたがいてくれるなら星も太陽もいらない」  ふっと彼が呼吸を止める。その楓の目と目を合わせ、陽向は言った。 「楓しか、いらない」 「なんで……」  掠れた声が零れた。 「なんで、今、そんなこと……」  言いながら顔を伏せる。その彼の顎に手をかけ陽向は彼の顔を上げさせ、そのままその唇に口づけた。彼が口づけを拒むべく身を引こうとするのがわかったけれど、陽向はさせなかった。  本当に自分たち一族はどこまで邪悪なのだろう。それこそ悪鬼という名前にふさわしいくらいに。そしてその中でも自分はとりわけ最低最悪だ。唯一触れ合うことができる愛しい人に、呪いを分け与えてしまったのだから。そのことを今でも恐ろしいと思っている。震えるほどに。自分の身を燃やし尽くして消えてしまいたいほどに。  けれど、だからこそ自分は彼の傍にいたいと願ってしまう。  呪いを与えてしまった自分だからこそ、最後まで彼の傍で彼と共にあらねばならないと思う。  どれほど拒まれようとも。 「俺があんたに与えてしまった呪いのせいで、あんたの寿命が先に尽きるならそのときは」  唇を離し、陽向は楓の耳元で囁いた。 「楓の毒で俺も殺して」  楓の体が強張る。ゆるゆると陽向を見上げた彼は嫌だというように首を振った。けれどその彼に陽向は笑ってみせた。 「俺だって嫌なんだよ。俺のせいで楓の命が縮むなんて。けれど俺たちはもう進んでしまった。だったら俺はあんたと同じ時間を生きたい」  楓の唇がわななく。なにかを紡ごうとしてでも紡げない。わかった? と確認する陽向の前で彼は片手で目を覆ってうなだれた。 「どうして、揺らがせることばかり……」  ああ、困らせていると感じる。けれど陽向の中で答えは決まっている。楓がなんと言おうとだ。  だから陽向は、瞳を覆うその手をぐいと引いた。そのまま走り出し、榊に示された扉を押し開ける。そこは建物の外だった。

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