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第47話 只人

 待って、と楓が背中で言うのが聞こえたが、陽向は聞かずに駆けだした。ここが里のどのあたりかはわからない。だが飛び出したそこは高台になっており、見下ろすと松明の明かりが集まって明るくなっている場所が見えた。少なくともあちらに逃げるのは得策ではない。  楓の手を引いて陽向は駆け出した。できるだけ暗がりに。里から離れる場所へ、と。  里のあちこちには武器を手にした人間の姿があった。洋装の者が多い。おそらく只人の里の者だろう。彼らは圧力をかけるように里のあちこちでたむろしている。ところどころでは和装の者との間で小競り合いをしている姿も見える。  楓がその様子を険しく見つめる。今にも仲裁に走り出しそうな楓の手を陽向は乱暴に引き戻した。人目につかぬよう建物の影から影へと身を潜めながら移動する。 「陽向。やっぱり」 「黙って。あいつらが行ったら外に出る道が無人になる。それまで静かにしていて」  里はずれの櫓の影で陽向は楓を小声で叱る。その陽向の袖を楓が引く。 「こんなのはやっぱり駄目だ。僕には責任が」 「だったらどうして呪いを受けようなんてする。それは責任逃れじゃないのかよ。あんたは本来生きられる命数より命が短くなってしまったんだろ。それは長としてあるまじき行為じゃないの」  叱りつけると、楓が唇を閉じる。だけど、と楓の目が戸惑うように揺れた。 「それでも……そうすれば役目を続けられると信じたから。それに」  躊躇いがちに陽向から目を逸らし、楓が言葉を継ごうとしたときだった。 「おい!」  頭上から声が響いた。櫓の上、無人とばかり思っていたそこに人影がある。その声に引かれ人が集まってくる気配がする。里のはずれ、間もなく山に入れるはずのその道を塞ぐように人の壁が築かれ、陽向は舌打ちした。  洋装の者が大半、しかし和装の者も見える。どうするか、と歯噛みしたとき、すっと楓が立ち上がった。  止める間もなく陽向の横をすり抜けて前に進み出た楓の姿に、集まった人間たちが一斉に驚いた顔をする。 「あんた……黒鳥の! なんで」  言いかけた男の一人が背後にいる陽向に気づき、ひっと短い悲鳴を上げた。 「悪鬼……」 「武器を下ろしなさい」  硬い声で楓が命じる。ざわざわとさざめく群衆に楓は鋭い視線を投げた。 「言ったはずです。今は話し合いをしている。それまで待機してほしいと。それがなんですか。武器を携帯して里を占拠し、私の里の人間にまで危害を加えようとしている者もいる。それは断じて許すことができない」  楓の声に群衆が鎮まる。だがそれは一瞬ですぐに何倍もの音量となって声が襲い掛かってきた。  「あんたが悪鬼を引き入れたからだろう! こんな凶悪な害虫を!」 「そうだ! 悪鬼は俺たち人間にとって害にしかならない! 大体、あんたたちだって悪鬼の力は恐れているんだろうが!」 「ちょっと力があるからって威張りやがって! 大体あんたたちは俺たちに感謝すべきだろう! この里に近づこうとする悪鬼を俺たちは排除してきた! あんたは知らないだろう! 数か月前にもここに近づいてきた悪鬼がいた。そいつを崖下に葬ったのはこの俺なんだぞ!」  塊となって声が楓に襲い掛かる。その声で陽向は悟った。自分の命綱を切ったのがこいつらだったことを。  それくらい、自分は、自分達一族は憎まれているということなのだ。闇人にだけではなく、力のない人間にも。 「あんたたちは黙って地上を住めるようにすればいいんだ! 邪魔な悪鬼なんか殺せ!」 「悪鬼を殺せ!」 「殺せ!」  叫ぶのは洋装の者達だ。彼らの言いぐさにこの里の者たちは一様に不快感を顔に滲ませてはいる。だが、湧き上がる怒号を止められない。彼らはただ混乱しながら楓を見ている。楓とそして陽向を。その目が言っている。  本当に自分たちの長は悪鬼に与してしまったのかと。  その彼らの不信感に満ちた眼差しを見ていたら我慢できなくなった。

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