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第53話 目覚め

「陽向!」  瞼の隙間を通し差し込む光に目を閉じる。眩しくて開けていられない。その閉じた瞼の向こうから自分を呼ぶその声が最初、誰のものか陽向にはわからなかった。 「良かった。良かった、あんた……一か月も眠り続けるなんて……。本当に……もう駄目なんじゃないかと思ったじゃないか」  がさがさした声が耳元で自分を責める。眩しさをこらえ開けた視界に飛び込んできたのは、懐かしい顔だった。 「ばば、さ」  呟こうとしたところで急激な喉の痛みを覚え、陽向は咳き込む。陽向を覗き込んでいた祖母が慌てたように枕元の水差しから水をカップに注いで陽向の口元にあてがった。  冷たい水が喉を滑り落ちていく。それでも視界がはっきりしない。瞬きをして陽向は違和感を覚える。  見え方がおかしかった。いつもより視野が狭い気がする。なんでだ、と首を傾げてわかった。  左目が、見えていなかった。 「あれ……」  瞼の上から左目を撫でる陽向の手を祖母が押さえた。 「あまり触らない方がいい。義眼を入れたばかりだから」 「義、眼、て」  鸚鵡返しに呟いて陽向はさらなる異変に気づく。全身が痛くて動かすことも叶わない。けれど痛みだけではないものがある。  たとえるならそれは、不足感とでも言おうか。  痛みに顔を歪めながら身を起こした陽向は自分の体に掛けられた布を取り払って絶句した。  左足の膝から下がなかった。 「こ、れ……」 「もう切るしかなかったんだ。左目も……もう戻せる状態じゃなかった」  悲しげに言い、祖母が陽向の体をそうっと横たえる。深い深いため息を落とし、祖母が吐き捨てた。 「まったく恐ろしいものさ。闇人なんて。たった二人にこれだけやられるんだ。地下投獄もそりゃあできたろうよ。本当に恐ろしい。今回もあいつらのせいで随分、死んじまったんだから」 「しん、だ? ごめん……なにがどうなってるのか、俺、よく……」  声を絞り出す陽向に向かって、祖母は苦い顔をしながら語りだした。 「あんたが鉱物採取に行って帰ってこなくなってから、随分谷を探したんだよ。けどあんたは見つからなくて……。そんなときだったんだ。闇人の里に私たちの仲間が捕らわれているらしいって地上人が知らせてきたのはね」  祖母は顔を歪めながら、ぼそり、ぼそり、と言葉を紡いだ。 「聞いてみりゃ、その地上人たち、もとは闇人の里に与してたってやつらじゃないか。当然、信じられないって話にもなったんだけど……。奴らは言ったんだ。闇人が私らの町に攻撃を仕掛けようとしていると。そのコマとして私たちの仲間を捕虜にしていると」  祖母の口に憎々しげな色が滲む。朦朧とした頭で陽向は祖母の声を聞いていた。 「だが、奴らの言葉に乗って捕虜を取り返しに行って得たのは、とんでもない数の人の死と、五体満足とはいかない孫の悲惨な姿だった」  そう言う祖母の目には涙が浮かんでいる。手近な布で目元を押さえる祖母をぼんやりと眺めながら、陽向はのろのろと右手をかざした。  片方の目によって形作られた視界の中で、陽向の右手はちゃんと動いた。ゆっくりと親指から順に握りこみ、小指から再び開く。その無意味な動きをしている陽向の脳裏に、ふっと過ったのは禍々しい色彩だった。  たまらず陽向は目を閉じる。瞼に刻まれた赤と黒の向こう、襲い掛かってきたのはあまりにも惨たらしい光景だった。  転がるおびただしい死体。度重なる破裂音。千切れ飛ぶ人の体。黒く染まった地面。瘴気に霞んだ広場。悲鳴に支配された世界。  差し伸べた自分の手が、流れ出した血にぬるり、とぬめった。  赤と黒に閉ざされた世界に吐き気を覚え、蘇ってくる光景を首を振り追い払おうとしたその陽向の脳裏にふいに過ったのは、銀色の軌跡だった。  あれはなんだったか。  額を押さえ、陽向は眉を寄せる。もやもやとした煙のように揺らめいていた銀色のそれがじわりと像を刻み始める。  銀色のそれを誰かが携え、白い首に当てる。そしてそれを横一文字に引く……。 「かえ、で……は!」

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