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第56話 あなたはいないのに
闇人の里では、死は穢れ、と考えられていると以前、楓から聞いたことがある。
「他者の死は、悲しみや苦しみをもたらす。そうした重い感情は良くないものを引き寄せる。だから死は穢れとして恐れられているんだ。だから墓も居住区からは遠い里のはずれにもうけてある」
あのとき、そう語りながらも寂しげに楓が付け足した言葉を思い出す。
「ただ思うんだ。それはとても悲しいことなんじゃないのかと。死者だってもとは生きていた人なんだから。死してなお残る思いもあるかもしれない。そんなとき、穢れだと遠ざけてしまったらその思いを生きている者は受け取ることもできない。死者が抱くその感情は生きている者を包む優しいものかもしれないのに」
楓。
あなたは今、なにを伝えようとするのだろう。
こんな寂しいところに葬られ、今、どんな思いでいるのだろう。
あなたは。
「お前……」
背後から聞こえてきた声に陽向は緩慢な仕草で振り向く。
黒鳥の里の者があてがわれたその集落はまだ建設途中で、掘っ立て小屋のような住居ばかりが並ぶ。その簡素な町すら臨めない場所に墓所は用意されていた。
手ごろな石に名前が刻まれただけの墓所の中、その墓石はあった。
黒光りする石には「氷見家之墓」とあった。
「お前がなんでこんなところにいるんだよ」
くっきりとした憎悪が滲んだ声を上げる彼、馬酔木の顔は青白かった。それは彼が抱えた夜毎草の花束のせいばかりではなかったのだろう。
「お前が、ここに来ていいわけねえだろ! この悪鬼が!」
怒鳴る声と共に陽向に向かって花が投げつけられる。陽向の胸に過たずぶつかった花束がばらり、とほどけ、青白い花弁がはらはらと地面に散った。
ふわりと漂うその爽やかな香りに陽向の足が震える。からり、と松葉杖を落とし、地面に膝をつき陽向は散らばった花をかき集めた。
そっと背中を抱き起こしてくれた彼の腕を思い出す。体に触れたその彼の体を包む黒い衣に清しいこの花の香はよく移り香していた。
だから、この花は陽向にとって楓の香りだ。
ここにはもういない、彼の。
花束を抱きしめ気がついたら泣き崩れていた。拾い集めた青い花を搔き抱き、陽向は彼を呼んだ。何度も何度も。
でも返る声なんてない。あるわけがない。
「なんで…………なんでなんだよ……。なんでこんなことになっちゃうんだよ」
泣き伏す陽向の頭の上で馬酔木が同じように涙声で叫んだ。
「お前が、お前が全部、悪いんだから! お前が現れなければ俺たちは平和で……長だって」
彼の泣き声が陽向の胸を突き刺す。ごめん、そう零したその声は馬酔木に向けたものか、それとも今、この冷たい土の下にいる彼に向けてのものか自分でもわからない。
ただはっきりしているのは、自分だけがここにいることが間違いであるということだけ。
「終わるときは一緒と言ったのに」
呻いた陽向の言葉に馬酔木が目を上げる。鼻水をすすりながら彼は呼吸を整え尋ねてきた。
「お前、そんなこと……長に、言ったの」
ああ、と頷き、陽向は花に顔を埋める。
自分は言った。決死の覚悟で心を込めて彼に告げた。
もしも短くなってしまう人生でも同じ時間を生きたいと。けれど、そう言った陽向の前で彼はただただ困惑して、涙を落とすばかりでどんな言葉も返してくれはしなかった。
陽向の願いを彼はどんな気持ちで受け止めていたのだろう。
それももう、今となってはわからない。
「目とか足とか……そんなものどうでもよかった。どうでも、よかったんだよ」
あなたが生きていてくれさえいたら、それで自分はよかった。目なんて見えなくてよかった。足なんて両方失ってもよかった。
あなたがいてくれたらなにもいらなかったのに。
どうして。
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