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第59話 正義

「ほら。満足に一人で歩くこともできないのにここに入り込むなんて絶対無理だろ」  憐れむような目が陽向を見下ろす。その彼の前で陽向は必死に体を起こした。 「うるせえんだよ! 俺は行かないといけないんだよ。行かないと……」 「それって、あの噂のせい?」  声を低め、中尾は陽向の前に膝をついて陽向の顔を覗き込んだ。 「君が闇人の長と通じていたって話。恋仲だったとか、なんとか」 「だとしたら?」  陽向は湧き上がる嫌悪をそのまま声に乗せ、中尾を睨みつけた。 「憎いか? それとも気持ち悪いか? そうだよな。楓は闇人だったんだから。しかも男でさ。でもその楓はもういない。罵詈雑言なんでも聞く。けど楓を悪く言うならあんたも許さない」 「…………俺は」  中尾が困惑したように視線を彷徨わせた。数秒黙した後、彼は目を上げ陽向の顔をじっと見た。 「俺も、闇人は憎いとは思う。今回のことで大勢死んだ。俺は居残り組だったから現地には行っていない。だから実際の状況は知らない。けどひどい戦いだったことは聞いた。闇人がどれほどに恐ろしい力を使うのか。聞いていて総毛だったよ」 「そんなのはお互い様だろ! 俺たちだって」  言い返そうとした陽向とは裏腹に中尾の顔は落ち着いている。言葉を止めた陽向に向かって中尾は唇を一度引き結んでから再び口を開いた。 「ただ、俺は聞いたんだ。闇人に殺された人間よりも、俺たち一族が闇人を殺した人数の方が多かったと。それって……どうなんだろうな。俺たちは本当に正しかったのか? 地下投獄の恨みもあっただろう。仲間を拉致された怒りもそうだろう。でも、だからと言ってそんなにたくさんの人間を殺していいのか? 俺たちは本当に正義だったのか?」  そこまで一息に言ってから彼は自身の掌に視線を落とした。 「触るだけで生き物を殺してしまえる力。俺だって自分で自分の力が怖い。俺たち一族以外の人間だったら余計そうだろう。そんな彼らに向かって俺たちは力をふるった。復讐の名のもとに。それは許されていいことだったのか」 「あんた、なにが、言いたいの」  中尾の真意がわからない。警戒心丸出しに尋ねると、中尾はがりがりと後ろ頭を掻きながら答えた。 「俺、わからなくなったんだよ。俺たちには四百年分の恨みが闇人にある。その恨みゆえに攻撃が過激化したのも確かだろう。でも攻められた闇人の側だって突然俺たちに仲間を殺されて恨みを抱いたはずなんだ。なのに星名と恋仲になったと言われたあの闇人は、殺すのをやめたんだよな。やめて……その場にいる全員を助けようとした。実はさ、俺の幼馴染もあのとき、あの闇人に助けられた口なんだ」  中尾は後ろ頭を掻いていた手を下ろし、今度はこめかみを揉みながら続けた。 「俺にはわからないよ。正しいことなんて。でも、あの闇人に対して俺は多少なりとも恩義を感じてしまっている。あの闇人が助けてくれたからあいつは今も生きてるんだから。でももしもあいつが死んでしまっていたら。俺はやっぱりあの闇人を憎むだろう。今の君のようにさ」  ただ、と言って彼は申し訳なさそうに眉を下げた。 「さすがに俺に君を地下牢の囚人に会わせる権限はない。表まで送るから。帰ったほうがいい」 「そんなわけにいかない。俺は」  怒鳴り声を上げ目の前の中尾の胸倉を掴んだ陽向の腕が突如として横合いから伸びた手によって押さえられる。離せよ! とそちらを振り仰いだ陽向を見下ろしていたのは如月だった。

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