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第62話 私であれば

「…………は……?」  今、なんと言ったのだろう。顔を歪めた陽向から視線を外し、菖蒲は女、柏の背中を撫でさすり答えた。 「この方は弱すぎたのです。弱すぎて耐えられなかった。なのに楓はあなた方と約束してしまった。黒鳥の力を持つ者はこの世界のすべての住民のために力を使うと」  菖蒲の手に撫でられ、少しずつ落ち着きを取り戻したのか、柏の目がとろり、となっていく。目を閉じて眠り始めた彼女をそうっと壁にもたせかけてから菖蒲はそっと裾を整えて立ち上がった。 「この方にも当然、地上での毒消しが命じられました。でも……この方は恐ろしかったのです。黒鳥を使い続けたそののちに訪れる死が。榊さまのように崩れゆくご自身の肉体が。そしてその恐怖は楓への憎しみへと変わっていった。あいつさえ、余計なことをしなければ。あいつさえ」  そこで菖蒲は格子の向こうの陽向を湿った眼差しでねめつけた。 「悪鬼などと通じなければ、と」  ずきり、と胸に刃を差し込まれたかのような痛みが走る。格子を握る手の指から力が抜ける。菖蒲はしらじらとした瞳で陽向を見つめてから言葉を継いだ。 「柏さまは楓を憎み、楓を殺しました。そんなことをすればご自分だけに黒鳥の責務がのしかかることになるのに、この方は正常な判断ができなかった。結果、この方の心は壊れました。今の柏さまはもうなにもわかりません。あるのは漠然とした恐怖に震え泣く、幼子のような心だけです」 「それは……だけど、それじゃあ、楓は一人で耐えればよかったのか? 楓がすべて悪いとあんたはそう言うのか? あんたは姉なのにそんなこと」 「姉? ああ、そうね、姉ね」  酷薄な笑みを浮かべた菖蒲に陽向は気圧される。彼女はその笑顔のまま言った。 「不公平なものよね。私は黒鳥をこれほどに望んでいるのに、この方も楓も黒鳥を憎む。憎んで潰れていく。私であればそんなこともなかったのに。私であれば楓は死なないで済んだのに。力があったのが楓でなく私であったなら、楓はあなたを愛すこともなかったのに。私であれば誇り高き黒鳥として悪鬼をことごとくうち滅ぼし、黒鳥の誇りを守り通したでしょうに」 「ではあなたは、彼があのまま自害して果てたとしても良かったと?」  それまで黙っていた如月が口を挟むと、菖蒲は初めて如月の存在に気づいたかのように一度大きな瞳を瞬かせてから頷いた。 「こんな辱めを受けるくらいならば、里すべてを毒の海に沈めればよかったのです。もしも私であればそうしていました」 「よかった」  憎々しげに言い切った菖蒲に向かい、如月はため息とともに言う。牢の中の菖蒲も、陽向も一瞬虚を突かれて如月の顔を見た。

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