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第67話 奇跡でも、夢でも、亡霊でも
この二年、片時も忘れたことのない人のものだった。
「楓」
愛しくて大切で、とても美しいその名前を口にすると、目の前のその人の目がわずかに潤んだ。
いるわけがなかった。会えるわけがなかった。なのに、今、目の前にこの人はいてくれる。
陽向の前に、いてくれる。これは、奇跡なのだろうか。
「奇跡でも、夢でも、亡霊でもなんでもいい」
止められない気持ちのまま、陽向は目の前にいるその人の体に腕を回す。
「会いたかった」
もっと言いたいことがあるのに。もっともっと。けれど陽向はそれ以上言うことができなかった。引き寄せた体を搔き抱き、陽向は泣き出していた。
薄い外套越し、抱きしめた体は細く、二年前と同じ抱いているのに不安になるくらい冷たかった。
止められない涙が彼の肩に落ちていく。もしも力を抜いたら陽向の腕をすり抜けてそのまま消えてしまいそうで、彼を包む腕に力を込めた陽向は気がついた。
抱きしめた体が震えていた。泣きぬれた頬をそのままに彼の顔を見ると、白い頬にはらはらと落ちる涙が陽向の目を射た。
「かえ、で」
呼ぶ陽向をゆらりと黒い瞳が見上げる。絶えず涙を零し続けるその瞳を見たら、もう我慢できなかった。
細い頤に手をかけ上向かせるとためらわずその唇に唇を重ねた。
彼の唇は、やはり冷たかった。死者のそれと言われても納得するほどに。けれど陽向は口づけをやめなかった。
彼が黄泉から這い出てきた死者で、陽向を深淵の闇に引きずり込もうとしているのだとしてもそれでも構わなかったから。合わせた唇から腐り落ちようとも気にならなかったから。
彼と共に朽ちるのなら、それでよかった。
それがよかった。
震える腕が陽向の背中に回る。すがりつくように陽向の背中を抱きしめるその彼の頬から落ちる涙が陽向の手に落ちて砕けた。
その雫は、温かかった。
口づけを解くと、腕の中、こちらを見上げた彼と目が合った。
今も雫が沸き上がり続ける彼の瞳を覗き込み、陽向は囁いた。
「楓、もしかして……生きて、る?」
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