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第88話 何度でも
「君のせいじゃない。むしろいてくれて本当によかった。時見さまが言う通り、陽向は力をくれているんだね。いつもよりずっと楽だったから」
そこまで言ってから彼は陽の胸元に夜毎草を刺し、羽織をするりと脱ぐ。その脱いだ羽織で包むように羽織を陽向に着せかけてから、陽向の頭を胸に抱えた。
「こっちこそごめん。苦しい思いをさせてしまった。けれどもう大丈夫だ。血を入れたからしばらくは平気。あとはこのままでいて。鳥籠に入って来たものは僕が全部消しているから。このまま、こうしていて」
黒い衣が陽向の視界を閉ざす。真っ暗になるけれどその闇は少しも怖いものではない。
それは自分を覆う黒が、この人のものだから。
この人が作ってくれる優しい闇だから。
頭を抱えられるなんて、まるで子供に戻ったようだ。そう思ったら少しくすぐったい気持ちを覚える。けれどどうしようもなく心地いい。
陽向は彼の胸に目を押し当てながら言った。
「この中にいる俺たちの時間、戻るって言ってたよな。それって俺たちがここで会話したことも記憶から消えるってことかな」
「そう、かもしれないね」
「それは、嫌だな」
言いながら陽向は楓の体に腕を回す。楓は陽向の頭を抱く腕に力を入れ囁いた。
「確かに少し前の僕だとまた油断してしまって君に痛い思いをさせてしまうかもしれない。そうなったらごめ」
「そういうことじゃなくて」
陽向は謝ろうとする楓を遮り、楓の胸に顔を強く押し当てて言った。
「愛してると言われた記憶まで消えちゃうのは、嫌だって話だよ。やっと言ってもらえたのに」
陽向の言葉に楓が絶句する。なんだよ、と胸から顔を上げると、彼はまじまじと陽向を見つめてからふうわりと笑った。
夜毎草の光しかない仄暗い鳥籠の中にあってさえその笑顔はあまりにも美しく、深い慈しみに満ちていて、陽向は瞬間、息をするのを忘れて彼の微笑みに見入ってしまった。
そして思う。ああ、自分は本当にこの人を好きで仕方ないと。
「大丈夫」
どきどきと鳴る心臓の置き所をに困りながら見つめるばかりの陽向に、彼はその涼しげな声で囁いた。
「忘れても、何度でも言うから。言いたい、から」
どきり、となお一層強く鼓動が胸を打つ。楓が自分の言葉に恥じらったように視線を外す。その仕草さえ愛しく、陽向は彼の胸に再び顔を埋めた。
その彼の衣にはやはり夜毎草の香りが移り香していた。優しいその香りを吸い込むと、なぜか泣きそうになった。
ぎゅうっと彼の背中に回す腕に力を込めると、楓は少し笑ってからその細い腕に力を込めて、陽向の頭を抱いてくれた。
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