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4-2 仕事再開、出勤にホームルーム

 恭隆は8時前には家を出て、自転車にまたがる。今日も曇り空だが降水確率は低く、薄い雲に覆われるだけだという。 「帰りは6時過ぎくらいかな。夕飯は昨日材料を買ってあるから、まっすぐ帰ってくるよ」 「わかりました。……えっと、いってらっしゃい」  お決まりの挨拶が分からなかったのか、これであってるか分からないけれどといったように、ユーヤは少し照れながら声を掛けてきた。 (初めて仕事行かずに休みたいって思った)  心の声をなんとか押し黙らせ、恭隆は断腸の思いで「いってきます」と返すことができた。スーツ姿で自転車をこぐ姿は、とてもではないが社長の風格はない。だが、それが彼のスタイルなのだろう。 (やっぱり一度、働いている姿は見てみたいな)  ユーヤは鍵を閉め、家の中に戻りながら、働いている恭隆のイメージを膨らませる。とはいうものの社長がどういう仕事をするのかと具体的なことは分からないため、パソコンを見たり書類を見たりといったことしか浮かばず、ゆっくりとうなだれた。    満員電車に揺られながら恭隆が会社につく頃には、すでに社員やパートが出勤しており、珍しく何事かで盛り上がっているようだった。  週初めであればフロアの掃除から始まり、その後朝礼をしてから各部署へ戻る。掃除を始める時間まではまだあるが、この光景は見覚えがある。 (ホームルームが始まる前の教室だ……)  今は遠い学生時代を思い出しながら、恭隆はその輪の中に入ろうとする。  しかし、パートの一人が恭隆に気づけば「社長!」と大きく呼びかけられ、その声につられ皆の視線が恭隆に集中する。 「子育て経験豊富な私たちがついていますので、安心してくださいね!」 「新しい環境に慣れさせるって大変ですよね……!」 「ご飯、大丈夫ですか? 社長のご自宅近くだと、この総菜屋さん美味しいですよ!」 「待ってくれみんな、何の話、だ……」  男女問わず詰め寄られ、困惑する恭隆はあたりを見渡す。おそらくユーヤのことが知れ渡り騒ぎになっているのだろう。そして、社内でそれを知る人物は一人しかいない。その姿を探し、見つけたときには、舌を出し「喋っちゃいました」と申し訳なさそうな顔をしている田崎の姿があった。 (別に黙っていろと言ったわけではないが、こんな受け入れられるものなのか……!?)  知り合いの子を急に預かることになった。そういうシチュエーションがあるかと言われればあまりないだろう。疑うことなく皆協力的になるのに疑問が浮かぶ。 「社長が知り合いの子を急に預かったって聞いて……いやあ驚きましたよ」 「今日出勤してきてびっくりですよ。社長、有休バンバン使っていいんですからね」  押しの強さに閉口していたが、思い切って言葉をかける。 「あの、みんな、嘘だとは思わないのか?」 「だって田崎くんが子供を連れた社長見たって言ってましたし」 「社長ならなんか「子ども預ける!」って急に言われても引き受けそうですし」 「経済力とか一人暮らしで家庭力ありそうですし」  この会社の団結力はどこから来るのだろうか、前任の社長……今はグループの役員でもある、生え抜きの上司の良き手腕を思い出し、恭隆は困ったような笑みを浮かべた。頼りがいがある社員ではあるが、この調子だと、ユーヤが吸血鬼と言っても皆信じてしまいそうだ。 「その話はまた昼にでも。……ほら、とりあえず週初めの掃除をしようか」 「はーい」  社長の一言で蜘蛛の子が散るようにそれぞれの持ち場へと移動していく。ロッカーからタオルやほうきを持ち出し、掃除を始めた。    あまり仲良くしない社風の方が利益を出せた、とテレビ番組で見たことがある。それは一例であってきっと当てはまらない会社もあるのだろう。少なくとも恭隆の会社は後者であった。赤字になることはあるが、それほど重い事態にはならず現在は快調そのものだ。 (うちはこのやり方でいい……。見直しが必要な時は、改めて時間を取ろう)  恭隆も社長室の窓ふきを終え、床の掃除を始めようとした矢先、扉を叩く音がする。客人が来るとしても時間が早すぎる、恐らく社員だろうと思い入るよう声を掛ける。一礼の後、入ってきたのは田崎だった。 「あれ、どうかしたか?」 「いえ……ユーヤくんのこと、言っちゃってすいませんでした」  声のトーンを通常の二段くらい下げ反省した面持ちで頭を下げられるのを見て、慌ててフォローを入れる。 「いや、別に言うなとも言わなかったから、気にすることじゃないよ。俺だと多分タイミングつかめなかったし」 「そうかもしれませんけど、社長困っちゃったかなって」 「あれは皆が疑うことなくサポートしてくるとか言ってきたから……ふつう疑わないか? いきなり子供を預かったって言われて」  恭隆がそう言うと、田崎はとぼけた調子で唇を尖らせる。 「えー、それじゃあ嘘なんです?」 「やっ……それは」 「はははっ、訳ありなのは確かでしょうし、俺は気にしませんけど」  謝罪をしに来たにしては切り替えが早く、田崎の顔には笑みすらこぼれていた。調子のいい田崎に灸をすえるべく、社長室の掃除の手伝いをさせることにした。  ちょうど今日、他社の営業部長が来社し直々のプレゼンが予定されているため、念入りにやっておこうと思ったのだ。掃除の手伝いを田崎は承諾し、棚の拭き掃除を始める。 「今日来る会社は、確かパッケージデザインの会社だったよな」 「そう聞いてますねー。開発に聞きましたけど……営業部長、イケメンらしいです」 「……そうか」  俺に言われても、と恭隆は眉間にしわを寄せる。 「若いみたいですよー。なんでもここ2年で急成長してるデザイン会社に、大手から引き抜きがあってそれを快諾。おかげで営業成績うなぎ登り!デザインのアピールもうまくて……」 「営業部としては見習ってほしいところだ」 「それを言われちゃおしまいです」  社としての営業成績は悪い方ではなく、業界としても中の上くらいの売り上げを誇っている。営業をはじめ、社一丸となって作り上げている賜物だ。 「入社すぐぐらいで部長となると……って。社長も若くしてって言われるでしょ?」 「まぁ、俺はヒラから上がったとはいえ、一族だから任されたようなものだから」  最初の頃はそういった僻みも多く、大ごとにはならなかったが別会社に異動になった反対派社員がいたことは事実だ。実力があったと思われたと恭隆を認めついてきてくれる社員も多いが、反発は強かったことや、自分としても自信が弱かった。 「今でこそやって来られているが、父さんたちもよく任せたなって思ったくらいだ」 「……俺は良いと思いますよ。前とかと違って、みんな輝いてる」  花瓶の裏側を拭きながら、田崎は小さく漏らす。その視線がどこか遠くを見つめるように映り、恭隆は首を傾げた。 「田崎くん?」 「だから社長も自信持ってくださいってことです! 社員に好きだって思われる会社、レアですよ!」  すぐに先ほどの調子に戻り、田崎はにこりと笑った。 「ま、まぁ、そうだな……ありがとう」  始業十分前のチャイムが鳴り、タオルを片付けた田崎は颯爽と営業部へ戻っていった。田崎が拭いた棚はどこも綺麗で塵一つ残っていない。手際の良さと俊敏さを見習いたいと思った傍ら、恭隆はある違和感を覚える。 「田崎って、確か新卒でグループには入ってたけど、俺が社長になってからうちに来てたよな?」  恭隆は元々今の会社に勤め、社長になった。前任者の噂でも聞いていたのだろうかと、顎に手を置き考えてみたが、特段変な噂が流れたこともなく、経営状態もグループ内で安定した部門だったため、目立つこともなかったはずだ。 「……グループ内の飲み会か何かで、聞いたのかもな」  最近は年のせいとか恋人に会うからと言って飲み会の参加率が低かったが、彼の性格から考えれば、入社当時は幹事などもやっていただろう。それ以上考えることをせず、商談に向けて準備を始めようと椅子に腰かけた。

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