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4-7 仕事再開、昔々のものがたり

 ユーヤが昼寝から目が覚めたのは、午後2時を回った頃合いだった。雲は少し晴れてはきているが、それでも日差しは強くない。窓を眺め、そろそろ散歩に出かけようかなと思ったその時だった。空の彼方から、逆光を受けて黒い影が近づく。よく見てみれば、その影はユーヤにはなじみ深いものだった。 「昼間に飛ぶコウモリ……、伝書コウモリ?」  伝書バトのように、互いの手紙をやりとりできるよう教育されたコウモリだ。夜に飛び立つと羽音や駆除の対象になりかねないという理由から、人間が活動的であれ昼間に飛び、眠っていることが多い吸血鬼の傍に手紙を置くものだ。  伝書コウモリは恭隆の家の窓際にとまり窓を開けろと、トントンと叩いてくる。ユーヤがゆっくりとぶつからないように開けば、伝書コウモリが咥えていた手紙が部屋の中に入ってきた。 「ありがとう」  お礼に何か食べ物をと冷蔵庫からリンゴをひとかけら切り落とし、コウモリはそのままリンゴを咥え旅立った。日差しにも強く、動物の血と果物を食べるよう進化した伝書コウモリは、修行中の吸血鬼を持つ親たちがよく飼っている。滅多に連絡を取ることは出来ないのだが、親側からは、頻度は高くないが手紙が届くことがあると言われてはいた。 「……お父様からだ」  手紙が届く、とはいえ一カ月で来るとは思わず、ユーヤは意外そうにつぶやいた。過保護なわけでも、子煩悩なこともなかったはずだ。  手紙を開いてみれば、紙が一枚。見慣れた吸血鬼たちの文字を使い、達筆な字でつづられていた。 『親愛なる我が息子 ユーヤ  息災だろうか。お前が旅経ってからすでに一カ月が経っているが、腰を落ち着けているだろうか。  お前が行った日本はこれから寒くなると聞く。ちゃんと防寒をするように。  日本という国は、意外かもしれないが我ら吸血鬼にはとても重要な国であることを、教えていただろうか。  今後そのことを知ることがあるかもしれない。ぜひ、分かったらその場を教えてくれ。私たちもその地を見たいと思っている。    忘れてはいないだろうか。  修行を行っている吸血鬼を監視する、キーパーのことを。  お前のことだから心配はしていないが、彼らに目をつけられぬように。  また、他の吸血鬼にも、人間にも気をつけるように。  他の吸血鬼は、人に紛れ、人に化け、獲物をかすめ取られるやもしれぬ。  騙されぬように  健闘を祈る 父』 「忘れてた」  ユーヤは読み終わり、一言漏らした。時計を見れば恭隆が戻ってくるまでには時間がまだあった。すぐに言えないことに肩を落とすが、帰ってきた時に、話しておいた方がいいかもしれない。  同じ吸血鬼でありながらも、吸血鬼を監視している「キーパー」と呼ばれる存在がいること。 そして、ユーヤ自身のように、人に紛れ暮らしている吸血鬼のことを。  改めてもう一度読み返すと、聞いたことがなかったことも書かれていた。 「日本に、吸血鬼にまつわる話があったんだ……」  四季と呼ばれるものが豊富であることや、比較的治安が落ち着いているということから日本を選んだのだが、それ以上に日本とは縁があるのかもしれない。手紙をリビングの机に置き、ユーヤは出掛ける準備を始める。  昔ばなしになりそうなものは、この街にもあるのだ。  帽子をかぶり、パーカーを羽織って、公園へと走り出す。日差しは薄雲に隠れ、風はなく今日は暖かい。外で長居できる格好の気候となり、ユーヤの足取りも軽くなる。日のあるうちにと犬の散歩をしている人たちに挨拶をかけられれば、会釈で返していく。  近所付き合いは大事だと、恭隆も、実家の近所のものたちも話していた。  公園の休憩所にたどり着けば、先日の老人――元木が椅子に腰かけ空を見ていた。ユーヤが近づいていくも、元木は気づく様子はなく、ようやっと視線がユーヤに向いたのは、隣に腰かけたときだった。 「おお、ゆうやくん。すまないね、気づかなかったよ」 「えっと……大丈夫です。あの、お邪魔しちゃいました?」 「いやいや、どうもぼーっとしてしまうからね。春先ならまだしも、秋や冬は、すぐに暗くなるから、気をつけないとね」  笑みをこぼしながら、元木は相変わらずのゆったりとした口調で話す。目の前の遊歩道を通りすぎる人達に挨拶をされれば、元木も穏やかな笑みを返す。 「さて、石碑に書かれた話、だよね」  元木は腰に手を当てながら立ち上がり、ユーヤを石碑の方まで誘導する。丘の頂上にある石碑までには、数段の階段を上る必要がある。一段一段昇っていけば、淡い灰色の石に、小さく文字が刻まれている石碑が堂々とした佇まいで鎮座していた。  ユーヤは一際大きく書かれた文字を読もうとするが、漢字がうまく読めず、読み取ることができなかった。 「きもりの山鬼伝説。……どうだい、見てみるかい?」  午前中、鬼退治の話を読んだばかりだからか、どうしても退治される話かと身構えてしまう。だが、ユーヤは頷き、元木に話してもらうことにした。   「その昔、この地方にある、大きな商家の末子が、療養のため訪れていた。末子はある日、山で倒れていた小鬼を見つけ、家に連れ帰り看病をした。  村人はひどく反対し、すぐ山へ追い返すよう末子に願ったそうだ。……だが、小鬼は末子と仲良くなり、村人とも仲良くなりたがった。田畑の手伝いをし、大きな荷物も運び、川に落ちた子どもを助けた。しかし、どうにも村人たちは小鬼を毛嫌いした」    ユーヤは元木の話をじっくりと聞いている。鬼と人の物語は、自分にも通ずるものがある。 「小鬼を拾った山には大きな化け物が住んでいると、村の人々は恐れていた。……だからだろう、ある夜、商家の末子が眠っている間に小鬼を家からおびき寄せ、山の奥へ捨て置いてしまった」  驚き元木の顔を見るも、彼の視線は石碑に向いている。ユーヤに気づかず、元木は話し続けた。 「翌朝、末子は飛び起き村人に聞いて回ったが、夜のことなど知らんの一点張り。山へ帰ったのだろうかと、気を落とした末子の元に、ある子どもが話しかけてきた。川に落ち、小鬼に助けられた子どもだ。 『鬼はおっとうたちが山へ連れて行ったよ』  商家の末子は痛む胸を押さえながら山へ走った。だが、山の奥まではたどり着けず、小鬼を見つけることは出来なかった」 「…………」 「そして、小鬼がいなくなったあと、ある日の夜。村人が恐れていたことが起きる。山にいる大きな化け物が、村へ降りてきてしまったのだ。田畑を荒らされ、蔵を壊され、飛び起きた村人たちを捕まえ、食らおうとした。  その時だった。山へ捨て置かれた小鬼が化け物相手にとびかかった。村人から離し、噛みつき、ひっかき、あらゆる手を使い、化け物に食って掛かった。だが、化け物相手にその小さな体では、到底倒すことは出来なかった。  だが、村人たちが奮起した。皆一丸となって小鬼を助け、小鬼と一緒に、化け物を退治したのだ」  元木はユーヤの顔を見ると、にこりと笑った。 「その後、小鬼は姿を見せなくなるまで、ずっとこの村を守った。……このことから『鬼守(きもり)』鬼に守られた地と呼ばれるようになったのだが、まぁ鬼というだけであまり良くないイメージがついてしまうだろうと、今の来杜という漢字になった」  これで終わり、元木がそう言うとユーヤは小さく拍手を送った。その目はきらきらと輝いている。 「ありがとうございました……!」 「いやなに、とんと昔の話。古くからこの地に住んでいる者なら、一度は聞いたことがあるものだ。……恭隆くんのお父さんやお爺さんなら、知っている話かもしれないね」  元木はゆっくりと階段を降り、休憩所まで戻ろうと歩き出す。ユーヤもそれにつられ、後ろを歩く。 「昔話は、鬼が退治されるものが多いだろう? でも、こういういい鬼もいるのだと。人も同じで、悪い人もいい人もいるのだと、教えられている気がしてならんのだ」  薄雲はいつしか消えていき、オレンジ色の夕日が淡く美しい色合いを見せ始める。住宅地は子供たちの帰る声で賑やかになり、灯りが灯っていく。 「さぁ、家に帰ろう。時間があればいつでもおいで。雨の日は私がいないだろうけども」 「ぜひ、またお話聞かせてください。……となりで、本を読んでも?」 「もちろんいいさ。好きにこの場を使ってくれ」  丘に通じる階段を降り、元木と別れる。思わず、ユーヤは走り出した。 (鬼と人が仲良くなれるなら、きっと……吸血鬼と人だって、仲良くなれるはずだ)  恭隆とも、もっと。ユーヤの頬は緩み、玄関までずっと走り続けた。  もうすぐ、恭隆も帰ってくるだろう、その時に「おかえりなさい」と言うために。

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