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5-4 混乱の日、急な知らせ
恭隆が社長室に向かう最中、営業部がにわかに騒がしいことに気づく。まさか昨日の一件が尾を引いているわけではあるまい。
「……どうした?」
「ああ、社長。おはようございます」
営業部長の永井が頭を抱えながらも、丁寧なあいさつを返してくる。特に欠席している者は見当たらず、件の田崎も出勤し、腕を組んで難しい顔をしている。視線に気づいたのか、田崎が話し始める。
「聞いてくださいよ社長。昨日のイケメン営業部長の会社から連絡があって、商品仕様について聞きたいからって味見させてくれって。しかも今日!」
「……随分と急だな。試作品は用意できるか?」
「今ないので取り寄せですよ? まぁ、今回のは隣県の店とコラボしたものですので、何とかはなると思いますけど」
「田崎、取りに行けるか?」
「部長ーそれこちらに振りますー? といっても、開発に行かせるわけにも行きませんし……」
商品開発部は、クリスマス商戦に合わせた最終調整を行っている。写真や構成はすでに終わっているが、シークレットアイテムとしてのメレンゲ動物の調整が大詰めになっている。営業が暇ということは決してない。だが営業宛てに来たメールを無視するわけにはいかないのだろう。
「行ってきますよ、俺。外回りの予定入ってませんし」
恭隆が窓の外を見れば、昨日のような雲はなく、秋晴れのとても良い天気だった。日差しを遮るものはない。
「大丈夫か?」
思わず声に漏れてしまったその言葉に、真意に気づいていない田崎は肩をすくめながらも大丈夫と答える。
「仕方ないですけど、あそこのデザインは評判いいですからね。頑張りますよ」
「いや、ああ、じゃあ、お願いしよう」
「なんか歯切れ悪いですよ社長。……昨日のこと気にしてます?」
言葉に詰まる恭隆を心配するように、田崎は覗き込んだ。実際田崎よりは身長が高く、よく顔を覗かれるが今日は変な緊張感に襲われる。
「先方に失礼なことをしたのは俺ですよ。……反省を込めて行ってきます」
向こうは気にしていなかったことだが、田崎に反省の心持があることはいいことだ。
「じゃ、行ってきます。早い方がいいでしょうし」
「頼んだぞ」
所属している営業部の部長である永井の後押しもあり、田崎はカバンと上着を持って走り出した。事務方はコラボレーション先の店に試作品の用意を頼み始めていた。電話口ではどうやら三時間あれば用意できるとのことだった。
「先方のアポは何時だ?」
「午後3時です。問題ないかと思います」
「わかった。進捗は社長室まで教えてくれ」
営業部の邪魔にならないよう、速足で社長室へと歩を進める。他の仕事もある中社員が奮闘している姿を見れば、社長がめげるわけにはいかない。改めて商品のアピールポイントをまとめ、味と合わせ説明ができるように絡めていく。
(デザインの方向性は昨日決まっている。あとは詳細を詰めたいのだろうが、だとしても急な話だ。時間がかかるのはわかるが……)
デザインに関していえば恭隆は素人で、何か重要な理由があるのかもしれない。営業が舌で感じたことをデザイナーに伝えたいという気持ちもわかる。だが、それであるならば昨日の商談を持ち帰り、昨日のうちに話しておいてくれればまだ混乱しなかっただろう。
(今回は上手くスケジュールが合ったからいいものを……)
今後の付き合いを考えていくにあたり、懸念材料になるのは明白だ。恭隆の眉間はどんどん深くなり、頭を悩ませる。
件の荒川が来社した午後3時までに、なんとか準備を終えらせることができたのは奇跡だった。試作品と資料をまとめ社長室で待っていると、慌てた様子で荒川が入ってくる。荒川も予定が詰まっていたようで、今回の急な訪問はデザイナーからの指示だと、冷や汗を拭った。恭隆も気が気でなかったが、準備も終え荒川が顔を出したことで安心できた。
菓子を用意するために恭隆は立ち上がり、菓子を荒川の前に差し出した。大人向けと子供向けと二つ置かれた菓子を、荒川はまじまじと見つめている。一通り見たあと、スマートフォンを取り出し写真を撮り始めた。会社に送るためのものだろう、様々な角度から熱心に撮り続けていた。
「コーヒー、用意しますね」
「ありがとうございます」
恭隆は奥にある湯沸室へ向かうため、荒川に背を向け歩き出す。普段から秘書に頼むことは無く自分でお茶の準備をしていたため手際よく準備を進める。保温ポットを取り出し、カップにお湯を入れていく。カップが温まれば湯を一度捨て、インスタントコーヒーを淹れる。
(商品の出来は間違いない。……急に頼んだ取引先には今度詫びの品を送ろう)
小さくとも老舗のその店は、祖父より以前からの付き合いで、無理を言って頼むものを二つ返事で許してくれる間柄ではある。その縁をここで壊すわけにはいかなかった。
(荒川さんは、甘いものより苦いものがお好きなのかな……先ほどは大人向けのほうをよく見ていらっしゃった)
どちらも熱心に見つめていたが、特に大人向けの菓子を入念に見ていたように思えた。デザインの凝りは、確かに大人向けの方だった。そのデザインに合わせようと、パッケージイメージに気を配るのだろうか。
砂糖とミルクと一緒にお盆に載せ、荒川の前まで運んでいく。写真を取り終わり、手に取りじっくりと眺めていた。恭隆が戻ってくるのが分かり、荒川は手に持っていた菓子を置いた。
(今度は子供向けの方だ。……どちらも、気になる点があるのだろうか)
コーヒーを目の前に置いてから恭隆も座った。恭隆の分の菓子は子供向けに作られたもので、チョコレートの中に生クリームを混ぜ込み甘さを引き立たせているのが特徴だ。大人向けに作られた荒川に渡した菓子と違い、苦みはないはずだ。
(……ん?)
急ぎで作ってもらったからだろうか、わずかに口の中に苦みが広がる。食べ掛けの菓子の香りを嗅げば、わずかながらに酒の香りがする。大人向けの菓子には、リキュールがわずかに入っており、そちらの香りと混ざったと言われれば、それまでかもしれない。
(だが、そんなことをあの店がするとは思えない)
長く続いている菓子店への信頼は厚い。それは企業側だけではなく消費者側とて同じだろう。もしこれが消費者の手に渡り、子どもが食べていたら……。
食べかけの菓子を手に持ったまま考え込んでいたところ、荒川が心配そうに見つめてくる。
「大丈夫ですか、本条社長」
「いえ、なんでも……」
もう一口食べるも、やはり酒の香りが残っている。違和感を覚えながらも、荒川に言うわけにはいかずにやり過ごそうとする。他の味や見た目に問題はないはずだ。
口に残るわずかな苦みを、コーヒーで飲み干した。
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