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6-7 非日常、貴方の危機には

 荒川の狙いが恭隆自身であることは明白だった。なら、自分が囮となり時間を稼ぐしかない。 (歩いてくるのを見ると、霧化できないのか……? 吸血鬼で能力の違いがあるのかもしれない)  追い詰めたいわけではないだろうが、気配を気づかれないようにするには、霧化するのが一番いいだろう。わざわざその手を取らないということは、荒川が苦手としているか、もしくは吸血鬼という者同士でも特異不得意があるのかもしれない。人間と、同じように。 心を決め、物置から廊下を横切り、非常用階段まで全速力で走った。廊下の足音も気づいたのだろう、すぐにその音を速め、近づいてくる。何回か踊場で止まり身を隠し、社長室まで戻れば、鍵付きの休憩室がある。昔の社長が休息のため使っていたようだが、恭隆が社長に就任してからは滅多に使われていない。 (そこでいったん立てこもれば、多少は持つはずだ……!)  流石に警察が来た音が分かれば、荒川も退散するだろうと恭隆は考えた。人間と同じように生活をして吸血鬼であることを隠しているなら、警察の厄介になることは避けたいだろう。 「貴方が抵抗しなければ、すぐに済む話なんですよ……!」  追う荒川の言葉に、一瞬恭隆の足が止まった。会社の皆が眠っているのも、自身が今傷ついているのも、恭隆自身のせいだと。 (確かに、そうかもしれない。でも、ユーヤを呼ぶことができないのに変わりはないんだ)  恭隆は呼ぶつもりがなかったが、呼びに行かねばユーヤが来ることは無い。息を切らしながら非常階段を上りきり、恭隆は社長室へと戻ってきた。同時に荒川も階段を上りきったようで、社長室に入ったところは見られただろう。疲れがたまっている体を引きずり、火事場のバカ力と言わんばかりに、休憩室へ走り出した時だ。  瞬間移動かのように距離を詰めてきた荒川の手が、恭隆に伸びる。その時、長い爪が恭隆の脇腹を刺したようで、また血が出てくる。先ほどのかすり傷よりも深く入ったようで、思わずよろめいた。  腕を掴まれるかと思ったが、その瞬間、恭隆の身体は荒川とは別方向に引き寄せられた。床の方から力をかけられ、思わず転びそうになるのを必死でこらえる。頭上では、荒川の小さな声が漏れる。 「子ども……!?」  恭隆の眼前には、この一週間ずっと見てきた、白と黒の髪色をした少年が恭隆をかばう様に立っている。 「貴方も吸血鬼なら、引き際があると分かるでしょう? ……人間に危害を加えない。これは鉄則のはずです」  誰かが知らせたわけでもないのに、ユーヤがここに来られたことに驚いた。それと同時に、子どもの姿とは思えない、ユーヤの気迫に恭隆も荒川も動きが止まっていた。 「ユーヤ……っ。どうして、会社の住所、教えてないのに……!」 「ヤスタカさんをさがしていたら、運よくモトキさんたちが集まってお話をしていたんです」  ユーヤが恭隆を探し始めてから数分。音は途切れ聞こえなくなり、一度は家の中に戻った。しかし、三十分経った頃には居ても立っても居られなくなり、ユーヤは外を走り出していた。会社の場所さえわかれば、空腹ではあったが何とか霧化して飛んでいこうと思っていたのだ。石碑のある公園まで差し掛かった辺りで、談笑する声と共に大きめの建物に入っていく元木の姿が見えた。好機だと思い、ユーヤは走り出した。 「モトキさん……!」 「あれ、ゆうやくん。どうしたんだい?」  周りの老人たちもなんだなんだと寄ってきた。地域の集会所になっている平屋建ての建物で、たまたま老人会が開かれようとしていたようだ。元木がユーヤのことを説明すれば、「ああ本条さんちの坊ちゃんが」と、恭隆の知り合いなのだと納得してくれたようだ。 「あの、ヤスタカさんの、会社って、どこにありますか?」 「ああ……この先の駅から三十分ほどの場所にあるところだよ」  駅名と方角を教えてもらい、次いで電話番号も聞いておいた。一人で行くのは危ないよと忠告を受けたが、電話で聞いてみますと、彼らを安心させる言葉を残し、礼を言ってその場を後にした。 「……東の方、線路をたどればいけるかな」  人気がなくなった公園の丘まで登り、石碑の前に立った。冬に近づく季節の風は冷たく、ユーヤは身を縮めた。だが、ここで引き返すわけにはいかなかった。  夜は危険だと、言ったばかりなのに。 「この地を守ったのが鬼なら。……僕だって、ここに住んでいるヤスタカさんになにかあったら、守ってみせる」  石碑に一礼し、意識を集中させようとした時だった。一匹のコウモリが、ユーヤの前に現れた。 「どこの子……?」  深く青い毛艶のコウモリはユーヤの周りを旋回し、東の方を向いて待っている。 「お前、ヤスタカさんの会社知っているの?」  コウモリは頷くようなしぐさをした後、飛び立っていった。遅れないうちに、ユーヤも霧となり飛び立った。空腹のためスピードは出なかったが、コウモリの案内もあり、線路沿いに飛びオフィス街へとたどり着いた。この時間まで働き駅に向かう人達の姿が見え、なるべく人の目につかないようあるビルの屋上へと降りた。ユーヤがあたりを見渡せば、降りたビルの隣、より小さな建物に、恭隆の気配を感じた。窓から中を確認していたら、恭隆の姿が見え、次いで他の人影……違う吸血鬼の姿を確認できたのだ。 「行かなきゃ! ありがと……あれ、いない?」  道案内をしてくれたコウモリに礼を言おうにも、すでにコウモリはいなかった。 「でも、今はヤスタカさんが先!」  霧化した状態では壁も窓も関係なく侵入することができる。恭隆が荒川に手を引かれる前に、ユーヤが引っ張ったのだ。

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