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6-10 非日常、その終結

「……そうか、『キーパー』がいたなら、どうしようもないな」 「開口一番がそれでいいんですかねイケメン営業部長」  田崎の皮肉も、自嘲気味に笑う荒川には届いていないようだ。全く動かない身体でうずくまるだけの自分の身体は、なんともみじめだ。 「……荒川さん」 「……今更の同情でしたらお断りですよ」 「そんなのでは、ないです。……ただ、聞きたくて。どうして、こんな『実験』を?」  恭隆が荒川に近づこうとすれば、その動きを田崎に制される。恭隆の方が体格もいいのだが、田崎の力は強かった。  恭隆の疑問に、荒川は瞼を閉じる。 「……言ったでしょう。誰かのものを奪うという感情はどのようなものかと。ただそれを知りたかった」 「なんですそれ。吸血鬼同士は、人間の許可があれば共有できるでしょ?無理矢理がお好きだってことです?」  信じられないと言わんばかりに、田崎は肩をすくめ、呆れたように話す。 「人間の感情を知ろうとして、何か悪いことでも?」 「それで人間に危害を加えるのはお門違いもいいとこってことですよ」 「はっ。もともと人間は吸血鬼のエサ。……立場が逆だと吠えてやりたいくらいです」 「はーご高尚なこった。……何百と聞いたよそんな理由。でも人間が言うには「食わせてやってる」んだとよ。気持ちわからなくもないけど、どっちもどっちだ」 「ならなぜ、貴方は人間を守るのですか」  荒川の言葉に、回り続けていた田崎の口が止まる。 「そんなの、好きな奴が人間だからだよ」  思い悩むかと思えば、その言葉が出るのは早かった。田崎は至って真面目な声色で答えた。 「好きな人、ですか。その人には、吸血鬼であることは……伝えているのですか」  その言葉に、恭隆の脳裏に浮かんでくるのは昼間のことだった。 『恋人に隠し事はしたくないと思っても、踏みとどまってしまったり拒絶されたり』 『……そう、ですよね』 (あの時、荒川さんの反応は明らかに鈍かった。……そうか、荒川さんには) 「伝えるも何も、眷属だし」  田崎の答えに、今度は荒川が口をつぐむ。 「……言えないですよね、そう簡単には。自分が吸血鬼だって」  少しの沈黙の後、口を開いたのは、この中で唯一の人間である恭隆だった。田崎に制止されているため荒川に近づくことは出来なかったが、恭隆は黙っていられなくなった。 「吸血鬼と言って、いっしょに居られなくなるのは、嫌だった」 「……ええ、そうですよ。昼間そう言えば、そんなことを言いましたね。打ち明けても、怯えられるか反抗されるか。化け物だと蔑まれ、居場所を失う。そんな繰り返し。誰だって嫌にもなるでしょう……!?」  荒川の声が次第に大きくなる。彼の中で溜まっていた感情が、声になって響きわたった。  恭隆は一度、自分の服を掴むユーヤを見る。急に視線が向いたことに驚いたようにしているユーヤに、恭隆は笑いかけ、視線を荒川に戻す。 「嫌になった先……貴方は怖くなった。今好いている人から、離れることになる未来が」 「っ……」 「荒川さんにそこまで思わせる人だから、きっといい方なんでしょう」 「そうですよ、とてもいい方なんです。そんな人が、愛した人に裏切られて、一人になるなんて……。私は、どうしても知りたかったっ……!どうして、そんな恐ろしいことができるのか!」  叫ぶ荒川の声が、次第にかすれ声に変わる。荒川の顔は背を向きうずくまっているため見えないが、想像に難くない。 「彼を傷つける人間の心理をっ……感情を、知りたかった……」  弱弱しく響く言葉は、次第に広がっていく霧に包まれ消えかかる。恭隆が身を乗り出せば、田崎が「早いな」と漏らした。 「……お迎えですか」 「ああ、そうだな。しばらくはこっちに戻れないと思ってくれ。会社とか、人間社会側の処理は心配しないでしっかり服務に着くように」 「服務……? 田崎くん、荒川さんは……?」 「人間でいうところの刑務所行きです。死にはしませんよ、社長」  子供をなだめるように、田崎は優しい声色で話す。その言葉には安堵したが、それでも恭隆は心配を隠せていなかった。  荒川は身をよじらせ、なんとか起き上がり恭隆の方を見る。セットされた髪は大きく乱れ、重苦しい鉄の首枷を何とか持ち上げるその姿は、初めて商談に来た時と比べものにならないほどに、みすぼらしく映る。 「……本条社長、二つ、お願いをしても、いいですか」  諦めがついたのか、荒川は抵抗を見せず、ただじっと恭隆を見ていた。 恭隆は一度だけ田崎の方を見て、ゆっくりと荒川に近づく。ユーヤはそっと手を放し、田崎も止めなかった。 「なんですか?」 「……うちの案件、これを理由に、断らないでください。デザイナー、頑張ってるんで」 「ええ、約束します。この件は個人的なことで、会社には一切、関わりのないことだから」 「それと……うちの植原社長に、是非会ってください。きっと、本条社長とは気が合うと思うんです。……お人好しで、警戒心がなくて……信じられないくらいに、優しい」 「……分かりました。必ず、会います。……あなたの思いも、伝えます」  最後の一言に、荒川は短く 「やっぱりお人好しですね」と、力なく笑った。 その言葉を最後に、荒川は霧に包まれ見えなくなる。霧が晴れた頃には、荒れてすさんだ社長室だけが残った。

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