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6-11 非日常、離れたくない

「社長室、直さないとな」  先ほどまでの乱闘は夢だった、そんな恭隆の願いとは裏腹に、社長室の荒れ具合はひどかった。窓ガラスは割られ、ソファーは綿が出てボロボロになり、壁も一部剥がれている。他の部屋でなくて良かった、と思った矢先、恭隆は重要なことを思い出す。 「そうだ、みんなが……!」  恭隆が声を上げた途端、下の階を含めいろいろな場所から驚く声が聞こえる。恭隆が勢いよく社長室から出れば、隣の秘書室から安岡を先頭に、眠っていた社員たちが顔を出してくる。 「一体なんで眠ってっ……って社長!どうしてそんな傷だらけなんですか!?」 「安岡さん!よかった、みんな目が覚め……、傷、ああ、そうだな」 「そんな淡々と仰らないでください!」  生々しい傷を直視できず、安岡は目を伏せつつ恭隆をたしなめていた。残る社員も、安岡の声を聞きつけてか四階に上がり、早退しているはずの社長がいることに驚き、また傷だらけになっていることに二度驚かされることになった。  その光景にあっけにとられていたユーヤは、田崎に引っ張られるまま奥の休憩室まで移動させられた。目を丸くしているユーヤに、口元で人差し指を立て、喋らないように田崎はジェスチャーで話す。同時に、社長室の状況を見て驚く社員の声が響いた。 「ええ!? これどういうことですか!?」 「社長何があったんです!? ええ!?」  落ち着くように恭隆がなだめるも、当の本人が怪我をしている時点で皆気が気でないようだ。恭隆はそのまま近隣の病院へ連れて行かれることになった。 「行っちゃいましたね……」 「さすがうちの社員、過保護の集まり」  田崎はわかりきっていたように、うんうんと頷いている。その様子は初めて会った時と同じだったが、ユーヤは少しだけ距離を取った。 「え、ユーヤ様? どうしました?」 「どうして、ユーヤ様って、呼ぶんですか」  不服そうなユーヤの表情に、田崎は少し困ったように微笑んでいる。 「前みたいに、くんづけ、でいいんですよ?」  駅ビルで初めて出会った時は、ユーヤのことを「ユーヤくん」と呼んでいたことを、しっかりと覚えていた。それが今になって変わったことに、ユーヤは納得がいかないようだ。 「そうは言われましても、ねぇ……」 「今はあまり、真祖の血族だからと敬うものは少ないと聞きました」 「それはそうなんですけどね」  田崎はそれから先、口を割ろうとはしなかった。ユーヤは、恭隆にするように、田崎の胸元を何回か弱く叩いた。 「そんなかわいい反抗をされるとは。……単に、先代に世話になった名残りですよ」 「先代って、お爺様ですか? でも、僕、タサキさんと会ったことないですよ……?」 「そりゃあユーヤ様がお生まれになる前のことですから……」  ユーヤが生まれる前となれば、知らなくても当然ではある。だからと言って、話してくれない理由にはならないとユーヤは思った。 「さぁさぁ、せめて窓ガラスの掃除だけでもしましょうか。夜目が効く俺たちなら、ガラスを踏まずとも掃除ができますし」  うまくはぐらかされたとユーヤは少し唸りながら、自身が割ってしまったことには変わりないと口をつぐむ。しぶしぶ頷き、田崎が手際よく用具入れから持ってきたほうきを、受け取らざるを得なかった。  社長室の掃除が終わる頃合いには、恭隆が病院から戻ってきた。わざわざ会社に戻ることは無いと、付き添っていた安岡に言われたが、忘れ物があると言って先に帰らせていた。 「ヤスタカさん、おかえりなさい」  ユーヤの明るい声に、恭隆は緊張の糸が切れたような思いだった。顔の筋肉が緩み、ゆるく笑った。 「掃除してくれていたのか、ありがとう」 「タサキさんと一緒にやったんですよ。ね?」  二人が田崎の方を向くと、首を傾げとぼけている田崎の姿が、月光に映る。いつもの姿とさして変わらないにも関わらず、今目の前に映る田崎は、はじめて見るように思えた。 「……じゃあ、社長は明日こそちゃんと休んでくださいね」  田崎はそれだけ言い、二人の間を通りすぎ、部屋を後にしようとした。その背中はどこか寂しく、一切恭隆の顔を見ようとしなかった。 「田崎くん」  恭隆が呼びかけても、田崎は背を向けたままだ。 「……昼飯をおごる約束、忘れてないからな」  恭隆ははっきりと、思い出させるように強く言った。田崎は背を向けたまま、顔を俯かせる。 「……嘘でしょ? まだ俺を置いておくつもりですか?」 「田崎くんを辞めさせるようなことは何一つなかったはずだが」 「……俺が吸血鬼だって、分かっても?」 「それだけの理由で、離すつもりはない」 「……ほんと、似てるなぁ。困っちゃうくらいに」  誰に、と問いかける前に、田崎の姿は一瞬にしてコウモリに変化した。割れた窓から入ってきた、同じ深い藍色のコウモリと共に外へ飛び立っていく。その方向を、恭隆とユーヤはただじっと見つめていた。 「……俺たちも帰ろうか、ユーヤ」 「……はい、恭隆さん」  はぐれないよう、手を繋いだ二人が歩く廊下には、一人分の影だけが伸びている。それはもう一人が人間でないことの証。まぎれもない真実を映していた。 (人間と、吸血鬼)  荒川もいつかは、好いた人と共に、こうして歩く未来を見ていたのだろう。人間に対し怒り、離れることへの恐怖を覚えながらも。 (俺と、ユーヤは……どうするのが正解なんだ)  様々な事情が絡み合った結果とはいえ、ユーヤを巻き込み、怪我を負わせたのは事実だ。本人は気にするそぶりはなく、恭隆に合わせ歩いている。 (ゆっくりかんがえよう。さすがに、疲れた)  明日の出勤は、安岡たちにも止められたこともあり、事実上三連休になることが確定していた。明日の内には、ユーヤにしっかりとした『食事』を与え、ゆっくり休みたいと考えた。 (……荒川さんとの約束は、土日のどちらかに果たそう。……それと、明日は永井部長にちゃんと確認をしなければ)  懸念事項の一つ、田崎が出勤しているかの確認をしなければ落ち着かない。恭隆はそう思いつつ、ユーヤと共に、駅の改札を通った。  長い、長い一日が終わった。夜空に星は昇り美しく輝くが、その空の下には、様々な『欲』と『感情』が入り乱れる。  それは、吸血鬼も、人間も変わらない。  一つ事件が終われば、また一つ、事件が起きる。  恭隆たちが去った後、日をまたいだ頃合いに、恭隆たちがいた同じ場所でまた誘拐事件が起きたことを、恭隆たちは朝に知ることとなる。そしてそれが、いままでとは違う波乱を生み出すことは、まだ、知らない。

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