カタカタとキーボードを叩く音が、丸みを帯びたデスクライトだけが光る寂しげな部屋に響いている。着の身着のままだった男は、随分と皺のついたのシャツを着ていた。それだけでは寒いのだろうフリースを取り出そうと立ち上がる。奥にいた、誰かの足が動いたような気がして、一瞬そちらに視線を動かしたが、それだけだった。 　デスクトップにはSNSの画面が開かれており、かじりつくように見続ける。様々なニュースが流れる中で、男が特に気にしていたのは、昨今騒がせている連続誘拐事件についてだった。 　一カ月ほど前から連続して起こっている誘拐事件は、今もまだ犯人は捕まっておらず、その被害者は増えるばかりだという。SNS上には様々な憶測が飛び交い、被害者の安否を心配する声や、そもそも本当に起こっていることなのか、何かの陰謀ではないかと突飛抜けたものまでいた。 　その一つ一つを見ては、男はにやにやと笑みを浮かべている。 『身代金の要求もないの？ 何が目的なんだ犯人は』 　一つの投稿が、男の目にとまる。顎に手をあて、ふと考えはじめた。誘拐事件には身代金を要求するものもあるが、恋慕の情や性的な目的など様々だろう。確かに、多数の被害者が出ているこの誘拐事件では、目的がはっきりと定まっていないように思われる。 「……身代金」 　男は今まで考えていなかった言葉を繰り返し、座ったまま窓を見る。夜遅いため夜景も何も見えない暗闇に、昼間に聞いたことがふらりと思い出される。 「あのあたり、社長多いんだよな」 　誘拐事件が起きている地域の一つにはオフィス街があり、昼間も『どこかの社長』が取引先のサラリーマンと話していた。まだ若いように見えるその社長を皆が物珍しそうに眺めていた。男もその一人で、最近はやりの起業家というやつだろうかと思ったくらいだ。 「ありだな」 　男の口角が不気味に上がり、彼が立ち上がれば奥からモノが動く音がする。美しく白い足は縮こまる様に奥へ奥へと閉じていく。 「……そうだ、そうしよう！」 　男の声量が上がれば、いくつかの小さな声が聞こえる。そのどれもが短く、怯えているようだ。まるで楽しげな計画を立てるように、男はパソコンに向き合いはじめ、インターネットで検索を続けていく。ページを追っていく中で、バナー広告もいくつか現れていく。そのうちの一つ、よくある漫画の広告を見て、男の手が止まった。不気味な笑みを浮かべながら、お目当てのものを探し出せば、購入ボタンを押した。 ＊＊＊＊＊ 　長い夜が終わった、次の朝。恭隆の家はにぎわっていた。 会社から連絡があったのだろう、グループ本社に勤める克彦が正明に連絡を入れ、様子を見に来たのだ。前の連絡もなしに来たものだから、恭隆は慌てふためき、隣で眠っているユーヤを起こさぬよう、静かに迎え入れた。すでに陽は昇り、街はいつも通り動き始める時間帯だった。 「どうしてそんな傷を負ったんだい、まったく」 　いつもは優しい克彦も、眉に深いしわを作りながら、少しだけ血のにじんだ包帯を交換していた。 「だから、割れたガラスに当たったんだって。オフィスの中に、逃げた猛禽類が窓ガラス突き破って入ってきたって」 　恭隆はすでに何度か言ってきた説明を、克彦たちに繰り返した。会社が契約しているセキュリティー会社から、恭隆宛てに連絡があった時に受けた説明の受け売りだった。そのセキュリティー会社も、通報のあった社員からの説明だと付け加えていた。 （多分田崎くんだろうな……事後処理の手際が良すぎる） 　兄らが来る前に、永井営業部長に連絡を入れれば、田崎は特に遅れることなく出社してきたという。社長が休んでいることにひどく安心していたと、永井は笑っていた。恭隆としても、姿を消さずに出社してくれていたことを安心して、電話を替わってもらえるか尋ねたが、それは叶わなかった。他の営業社員が急遽休み、その穴埋めで外回りに出ないといけなくなったようだった。皆に無理をしないようにと、最後に告げた。 　田崎本人へ電話をかけることは、気が進まなかった。 「飛んできた鳥も野生だというからなおタチが悪い。ペットであれば、飼い主を叱るところだがな」 「でも、すぐに手当てができていたからよかった。……ゆっくり休むんだよ」 　包帯を変え終わり、恭隆の優しく肩を叩いた。恭隆が克彦の顔を見れば、困ったように笑っている。 「ユーヤくんも、夜遅くまで心配してたんだね。……安心して、ゆっくり寝てるんだろう？」 「あ、ああ……。心配をかけさせたから」 　昨晩の戦闘もだが、この三日間まともな『食事』をさせることができなかった。それに、恭隆の体調の心配も重なり、疲れがどっと出てしまっているようだ。帰った後は血を吸うことなく、恭隆と一緒のベッドで二人とも深い眠りについたのだ。 「恭隆、あまり動かない方がいいだろう。朝飯を作るから、台所使ってもいいか」 「ありがとう、好きに使ってくれ」 　同じ一人暮らし仲間の正明からの提案に、恭隆は好意を素直に受けることにした。正明は料理がうまい方ではなかったが、寮の仲間や同僚などから指南を受け上達していた。今は恭隆よりも上手なのではないだろうか。 「お手並み拝見といこうかな。この前は恭隆に作ってもらったし」 「それなら手伝ってくれ兄さん。……恭隆は座っていろ」 　釘を刺され、立ち上がろうとした腰を下ろした。先日も二人で台所を見ていたと、ユーヤが言っていたことを思い出した。生活感が如実に表れるのだろう、二人とも好奇心の赴くままに物色していたことだろう。