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7-4 休息の日、夢ではない
話も終わり、正明は手洗いに向かい、ユーヤは食器をまとめ流し台に向かった。残った恭隆は何をするでもなく過ごそうと思ったが、二人がいなくなったのを確認して、克彦が恭隆に近づいてきた。
「ねぇ、ヤス。鬼はちゃんといたんだ。……正明には内緒だよ」
「えっ……どうして。正明兄さんにこそ言うべきじゃ」
「グループの秘密と、大きな関わりがあるんだ。正明はグループの人間じゃないでしょ?」
「それはそうだが……それで、なんなんだ、関わりって」
「代表になるまで、はっきりとは知らされない秘密。……うちのグループのどこかの会社に、その鬼がいる」
「……鬼、が」
一瞬にして頭をよぎったのは、昨晩恭隆たちを救ってくれた田崎だ。彼は吸血鬼だが、伝説が伝わった昔のことを思えば、鬼と言われても仕方ないだろう。
「でも、それって俺が知ってたらいけないんじゃ」
「それもそうだね。……でも、恭隆なら、知っておいてもいいかなって。怒られるのは僕だし」
「おいおい……。じゃあ、おじいさんや父さんも」
「知っているはずだ。それがどこにいて、誰なのか、も。……村の人や、先祖を助けた鬼だから、きっといい鬼なんだと思う。だから、怖がることは無いと思うけどね」
にこりと笑う克彦に、恭隆は何も言えなくなっていた。人とは違うもの、例えば吸血鬼であれば、人に対して優しくも恐ろしくもあることを、恭隆は知っている。その時を知る人間には、優しかったかもしれない。だが、現代の人達に対し牙を向けてこないとは、言いきれないのだ。
「……恭隆?」
克彦が恭隆の顔色を窺おうと覗き込むが、手洗いから戻った正明の姿を見て動きを止めた。先ほどまでいた席に戻り、たまたまテーブルに置かれていた新聞を取る。特に気にすることなく、正明は克彦の隣に座り、新聞を覗き込むように見ている。
「……経済新聞か」
「うん、ヤスは二つ取ってるからね。……マサにはこっちの方がいいかな?」
隣に置いてあった全国紙である日海新聞を渡せば、眉間のしわを寄せながらも手に取った。
「嫌いだったか、マサ兄」
「いや……どうにも事件絡みを受け持つとなると新聞に過敏になる。……記者に張り付かれることも多い」
正明の心労は絶えず、解決していない事件の最新情報を掴もうと躍起になる記者の視線が気になることもあるという。
「日海の記者も、よく見る。……大手の会社だから当然か」
一つ息をつき、正明はテーブルに突っ伏した。顔色こそ問題は無いが、そう話す顔には疲れの色が見える。正明こそ休息が必要ではないかと恭隆は、兄を心配そうに見つめながら思った。体力的にはもちろん、精神的に病んでいってしまえば、回復にも時間がかかるだろう。
もちろん一番の薬は、時間の解決であることは自明の理だ。恭隆は早く解決するようにと祈るしかなかった。
ユーヤが台所から戻り、時間を見れば9時を過ぎた頃合いだった。克彦たち兄らはユーヤと共に、諸々の家事を手伝うと言い始めた。自分でやれると恭隆は言うが、克彦の無言の笑顔で向けられた圧が強く、しぶしぶ承諾した。
ただ何もしない時間が出来てしまえば、恭隆の思考はすぐに昨晩のことで埋め尽くされる。
まるで、映画でも見ていたかのようで、今では夢だったのではないかと思ってしまう。しかし、ふとした拍子に感じる体の痛みが、現実で起こったことだと思い出させる。
(当たり前だが、夢じゃない……)
確かな恐怖心が、胸裏によみがえる。目の前で広げられた、吸血鬼たちの戦闘への恐れ。それは今、恭隆の家に住み、掃除を始めているユーヤにも覚えた感情だ。
(俺の日常とはかけ離れた場所で、暮らしていたのかもしれない……)
今は悠々と掃除機をかけているユーヤを見れば、実に楽しそうだった。恭隆の視線を感じて、ユーヤは恭隆の方を向き、にこりと笑った。昨日恭隆を守った時の行動と、その表情はとても大人びていたどころか、凛々しいなかに恐ろしさもあった。
昨晩の中で、腰が引け何もできていなかったのは恭隆だけだったように思え、一人取り残されたような感覚に苛まれる。目をつむり、ひと眠りしようかとした矢先、先ほどまで見ていたユーヤが近くまで寄ってきていた。その手には、恭隆のスマートフォンが握られ、にぎやかに着信音が鳴っている。
「お電話でしょうか。……タサキさんの名前が書いてあります」
思いがけない相手からの電話だ。ソファーから飛び起き、スマートフォンを受け取る。
「ありがとう、ユーヤ」
「僕は、持ってきただけで……。えと、いってらっしゃい」
「うん、いってくる」
遠くから見ていた克彦の「まるで夫婦だね」と茶化すように笑う声がする。反論したい気持ちを抑え、自室に向かった。
自室に入るとすぐにスマートフォンの画面をスライドし、電話を取る。スピーカーから聞こえる田崎の声は、いつもの調子ではなく、低く大人しかった。
『……お疲れ様のところすいません』
「いや、大丈夫だよ。そっちも急な仕事が入ったみたいで、大丈夫か?」
『俺のことはいいんです。それより、明日の午前って空いてます?』
「よくはないだろ……。って、明日?」
この週末、ましてや、昨日の今日で予定を入れようものなら、兄やユーヤから大目玉を食らうことは確実だ。そう思い、出かける用事こそたててはいないが、急用であれば話は別だろう。
「空いているが……何か問題があったのか?」
『ちょっと付き合ってほしいところがありまして。荒川の上司……植原社長の自宅です』
田崎の口から出た名前に、驚きと共に、好都合だとも思った。聞けば植原の自宅に招かれているようで、最寄り駅からの道順も、教えてもらっているようだ。恭隆とはその最寄り駅で待ち合わせをしたいと田崎は言った。
「……分かった。明日の午前、必ず行くよ」
田崎がなぜ、植原の元に連絡をかけたのかは、大方予想がつく。敏腕の営業部長が急に欠けることになった原因とその後を知っているのは、田崎だけだ。恭隆やユーヤでは説明がつかず、他は誰も知らない。その説明をするためのアポイントメントを取ったのだろう。
「荒川さんとの約束、果たしに行けるな」
『……それじゃあ、よろしくお願いします』
「田崎くん、あの後は……」
そう言うと、要件を言い終えたといわんばかりに電話は切られた。田崎の体調を聞こうと紡がれた言葉は、ツー、ツーと電子音に遮られる。恭隆も電話を切り、ズボンのポケットにスマートフォンをしまった。
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