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7-5 休息の日、いざ行かん約束の場所へ
リビングに戻れば、家事をやってもらっているため誰もいなかった。廊下に出れば、掃除機を持ったユーヤが片づけを始めているのが見える。
「……ユーヤ、ちょっといいか」
「はい、なんでしょう」
掃除機を物置に仕舞い、笑みを浮かべながら恭隆の元へ駆け寄ってくる。先ほどの電話のことを話したうえで、ユーヤの表情を見れば、昨晩のことを思い出したようで、神妙な面持ちに変わる。
「……昨日、ヤスタカさんを襲った吸血鬼の、知り合いに、会いに行くのですね」
恭隆は思わず、兄たちが近くにいないことを確認する。吸血鬼ということばを聞かれていないか、不安になった。廊下には誰も出ておらず、胸をなでおろした。
「そう、だな。うん、そういうことになる」
「あの吸血鬼、僕に嫉妬……を、させようとしていたんですよね。……よくわからない方でした」
「うん……。誰かを奪う感情を知りたいっていうのが、動機の一つだった。確かに、吸血鬼は眷属になる人間を共有できるから、あまり奪うことをしないのかもしれないな」
「そんなことは無いですよ。住んでいる場所を奪うことや、一人占めしようとして取り合いになることは、あるようですから」
「そうなのか……」
ユーヤの言うことが確かなら、荒川の過ごしてきた人生の中では経験しなかったことだったのだろうか。それとも、また別な要因があったのだろうか。今となっては、本人に聞くことは出来ない。荒川のことをよく知るだろう植原に聞けば、分かるかもしれない。
「とにかく、そのウエハラという人が、ヤスタカさんを傷つけないとは限りません。キーパーだった、タサキさんがいるので、まぁ、安心ですけど……」
ユーヤにしては含みのある言い方に、恭隆は首を傾げる。田崎のことを信用している様だが、何か引っかかるものがあるのだろう。
「……ユーヤ?」
「お二人で行くのでしょう?」
「あ、ああ……。仕事のことでもあるし」
仕事の取引にも関わることだったため、ユーヤを同席させようとは考えていなかった。
「…………」
「何か、気になることでもあるのか」
考え込むような表情ではないのは、ユーヤが唇を一文字に結び、眉間にしわが寄っている様子から見て取れる。おそらくは、怒りの感情に近いだろう。
「なんでもないです」
「……はっきりいってくれないと、次の『交換条件』の時、またいじわるしちゃうかも」
「それは子どものやりかたですよ!? ……ヤスタカさんにまた何かあったら、いやなだけです」
膨れ面をして、目線を下に向けるユーヤは、いじけているように右足でぶらぶらと宙を蹴っている。その様子に、恭隆は思わず笑みがこぼれ、目線をユーヤに合わせるためしゃがんだ。
「……ヤスタカさん?」
「ありがとう、ユーヤ。心配してくれて」
「ぼ、僕は、ヤスタカさんを守りたいって思って……!」
「明日帰ったら、たくさん癒してほしいな」
「いま、その話になるのですか!? そ、そりゃあ、今日、『ご飯』食べましたけど……!」
「ははっ、別に『交換条件』のことを言ったわけじゃないよ」
恭隆は肩を震わせながら笑い、ユーヤはそれを見て顔を真っ赤にして恭隆の胸を叩いた。
「ゆ、ゆうどうじんもんです!」
「誘導尋問? ……確か辞書読んでるとは言っていたけど、覚えが早いね、ユーヤ」
「変なところで感心しないでください!」
廊下から聞こえる笑い声に、話の内容は分からない兄二人は、仲が良いとほほえましく見守るだけだった。恭隆とユーヤのことを心配して来た二人ではあったが、二人は安心したように頷き、干し終わり空になった洗濯カゴを抱え、恭隆たちの元へと歩き始めた。
穏やかな時は早く過ぎ去り、兄らが帰り、その後はユーヤと二人、家で何をするでもなく過ごした。朝食の際、気を利かせた正明が昼食分を取り分けておいてくれたおかげで、夕食の準備をゆっくりとすることができた。『交換条件』は、植原との面会の後行うため、比較的早く寝床についた。
翌朝、無地のガウンコートにシャツとベストといった格好をした恭隆が家を出たのは9時過ぎだった。約束の時間は10時で、植原の家の最寄り駅での集合時間に間に合わせつつ余裕を持たせた形だ。
「……いってらっしゃい」
やはり少し不服そうなユーヤは、口をとがらせながらも玄関先まで見送る。そんなユーヤの態度に愛らしさを覚えつつ、恭隆はカバンの中から一枚のメモをユーヤに手渡した。そこには恭隆の電話番号と、近くにある公衆電話の場所が書かれていた。
「お金は少し渡してあったはずだから、何かあったらそこにかけて。今度、スマホ見に行こう」
昨日出かけると、休めとうるさいだろうからと、恭隆は苦く笑う。髪を受け取ったユーヤは、小さく頷いた。
「ヤスタカさんからは、かかってこないですね」
「そう、だね。でも、田崎くんと一緒だから、どうにか伝わるんじゃないかな」
適当だとは思ったが、実際コンタクトが取れないわけではないだろう。ユーヤもそのことについて言及することは無く、また小さく頷くにとどめている。
「それじゃあ、いってくる」
11月の冷たい風が、恭隆の肌をかすめ身を縮こませる。ユーヤも、恭隆が見えなくなるまで見送り、中へ戻っていく。
(これが終わったら、ユーヤにいっぱい甘えてもらおう)
ユーヤは『交換条件』のことだと思ったようだったが、恭隆はそれ以上にユーヤとゆっくり過ごせる時間を過ごしたいと思うようになっていた。
(荒川さんの一件で、俺も少し、考え方変わったなぁ)
もしかしたら、吸血鬼――ユーヤと離れることになるかもしれない。どちらかが恐れ、握っていた手を離すこともありうるのだ。事実恭隆はユーヤたち吸血鬼を恐れ、手も足も出なかった。
(怖かった、のは本当だ。でも、それだけじゃない)
価値観や考え方の違いはどうしても出てきてしまう。人間同士でも、ぶつかり合うことはある。恭隆は最寄りのバス停で待っている間、グルグルと思考を巡らせ続けていた。
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