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7-7 休息の日、事実は奇なるもの

 リビングに進めば、ソファーと座椅子が横長のテーブルを囲み、ダイニングテーブルには椅子は二つ向かい合わせに置かれていた。リビングにもあまり物は置かれてなく、最低限度のものしか見受けられない。ソファーに座るように勧められ、恭隆を奥にして並び、田崎は忘れぬうちにと手土産を渡した。ちょうどそれは、荒川と会うきっかけになったバレンタイン商品を手掛ける提携店の洋菓子だ。 「ああ、これはありがたい。ご近所さんと一緒に食べますね」 「あの、植原社長。……差し支えなければ、ご家族は」 「半年ほど前に離婚しました。妻の不倫で、というと彼女が悪く思われますが……。私の不徳の致すところ。子どももいないので、ここで一人暮らしです」  眉尻を下げながら、苦々しく笑う植原に、あの夜に荒川とかわした会話が思い出される。 『荒川さんにそこまで思わせる人だから、きっといい方なんでしょう』 『そうですよ、とてもいい方なんです。そんな人が、愛した人に裏切られて、一人になるなんて……』 (そうか、荒川さんは植原社長と別れた元の奥さんの心理が知りたくて……)  自分が大切だと思う人を傷つけた者の心理は、人間も吸血鬼も変わらないだろう。荒川としては、初めて出会った大切なものをないがしろにされた事が、理解できなかったのかもしれない。 「失礼しました、不躾なことを」 「いえ、お気になさらないでください。これだけ広い部屋に住んでいると、気になるところでしょうし。……どうぞ」  台所に行っていた植原が持ってきたのは、このマンションの最寄りから二つ先にある有名和菓子屋の大福だ。口に含み、噛み切れば弾力がある皮の柔らかさと、餡子の上品な甘みが広がる。菓子の味には目ざとい恭隆も舌鼓を打つほどに美味であった。 「美味しいですね、この店の大福」 「ふふ、丈くんに教えてもらったんです。甘ったるいわけではない、抑えめだけれどもしっかりと餡の味がある大福屋だと」 「……丈くん?」 「ああ、荒川さんですね」  田崎が出した名前に、恭隆は目を見開いた。荒川の下の名前は確かに名刺で見ていたが、とっさに出てこなかった。 「ええ。丈くんは舌が肥えていましてね。美味しいものを良く紹介してくれたのですよ。……私が離婚してから、何度もご飯を一緒にしたんです。特に和食が気に入っているようで、私の作った肉じゃがが美味しいって、食べに来てましたよ」 「ご飯を?」  恭隆が尋ねれば、当時のことをかみしめるように頷いた。 「結婚前から、よくご飯を作っていたのですが。妻にとってはそれも裏目に出て。「私より美味しいのを作らないで」と一蹴されてしまったんです。……別れたあとは、ついつい妻と一緒に食べた頃の分量で作ってしまって。あるとき、仕事終わりの丈くんがちょうどお腹を空かせていて、一緒に食べてくれるかと聞いたら、喜んでくれました。味付けとかうまく出来てるか心配になりましたが、美味しい美味しいって言ってくれました。一昨日も誘ったのですが、用事があるって、断られて……」  口元に浮かぶ小皺は深くなり、優し気な目元にはうっすらと涙が潤んでいた。欠ける言葉が見つからず、ずっと黙っていた恭隆と田崎に気づけば、慌ててバツの悪そうな顔を浮かべる。 「ああ、すいません。悪い癖が……」 「そんな、お気になさらないでください。それほどまで、荒川さんと仲が良かったということですから」  恭隆がなだめるも、植原は社長職に就いていながらも腰の低い性分のようで素直に頷かなかった。  らちが明かないと思ったのか、田崎は話を元に戻そうと切り出す。 「荒川さんも、植原社長と過ごす時間は楽しかったと、言っていましたね」 「そうか、田崎さんは丈くんの知り合いだったと言っていましたね。本条さんとは、どういう繋がりなのですか?」 「一緒の会社なんです。本条製菓の営業をやってます」 「え……」  植原の表情が一瞬にして凍り付くのが、はっきりと見て取れる。 「荒川さんと知り合いというのは、少し語弊がありました。けれど、今回の件をお話するには、そういう関係にしておいた方がいいと思いました」  田崎は淡々と、感情をくみ取ることができない声色で告げている。場馴れしているのだろう、少なくとも田崎に動揺は見られない。 「知り合いがいるとは聞いていなかったのは……」 「むしろ、今後知り合いになる、といった感じですね。……急な退職で驚かれたと思います」 「…………」  植原は押し黙り、手に持っていた湯呑をテーブルに置いた。退職扱いになっていたことに驚きつつ、恭隆は何も言えず、事の成り行きを見守るしかなかった。 「荒川さんは、しばらく外に出ることは出来ないでしょう。人を傷つけ、法を破りました。簡単に言えば長い刑務作業期間に入ります」 「警察の、お世話になったということですか? ……彼が、そんな」 「正確に言えば、違います。……荒川丈は、吸血鬼ですから。吸血鬼用の警察組織が取り仕切る矯正施設にいます」  震える手を握り締め、俯いていた植原は顔を上げる。 「きゅう、けつき?」 「はい。信じられないとは思いますが、彼も、私も、吸血鬼です」  目を見開き、植原は思わず恭隆の方を見る。にわかには信じられない、空想上のものだと思っていた怪物が、目の前に、そして部下にいたことを知れば動揺する。部屋につく前に話していたことが現実になったのだ。 「田崎くん、君までも……」  恭隆の言葉に、田崎はにこりと笑うだけにとどめた。すぐに植原の方へ視線を戻せば、また表情がなくなっていた。 「吸血鬼、丈くんが……だって、血を飲んでなんか」 「人間の食べ物も食べられます。……おそらくですが、貴方の前では見せたくなかったのでしょう。吸血鬼と知られれば、大抵の人間は恐れ、遠ざけます。まして、貴方は荒川さんを雇っていた社長。職を失えば、人間であれ生きていくのは大変でしょうから」  植原は閉口し、深くうなだれていた。 「社長だからというわけじゃ、ないはずです」  思わず漏れた恭隆の一言に、植原の身体が少しだけ震え反応した。田崎も止める様子はなく、恭隆の方を向いただけだ。 「荒川さんが、今の会社に勤めようと思ったのは、植原さんの人柄に惚れこんでのことだと、荒川さんから聞きました。信じられないくらい優しく、お人好しだとも。……貴方を傷つけた者を、許せないというほどに慕っていたようです。それほどまでに大切に思っていた貴方に、恐れられ、嫌われたくなかったと、私は思います。……吸血鬼は、人の血を吸いますが、それ以上に日常的な、些細なことに気を配らないといけない。飢えればその分、我を忘れる。……とても恐ろしいことには、間違いないんです。たとえそれが、ずっとそばにいた人であっても」  植原はそれまでずっと黙っていたが、静寂の部屋の中では、彼の押し殺している嗚咽すら耳に入ってしまう。 「そんな恐ろしい一面を、大切に思っていた貴方に、見られたくなかった」  きっとこれからも、恭隆の記憶に残り続けるだろう一昨日の事件のことを思い出す。いつも笑顔だった田崎のことも、愛らしい表情を浮かべるユーヤのことも、少しの間だったが意気投合し笑いあった荒川のことも、すべて恐ろしく感じたのは事実だ。 (分かったような口を、と、言われるかもしれないが……)  恭隆の視線は下に向き、胸が痛くなる。これ以上の言葉をかけるのは難しかった。 「……本条さん、田崎さん。私は、彼に、丈くんに、また会いたいです……」  はっと顔を上げれば、植原は瞳を潤ませながらも、恭隆と田崎の方を向いていた。 「たとえ、今までのことが、嘘だと、いわれても、恐ろしく思えても、丈くんのことを、待ち続けたい。抱きしめてあげたい」  嗚咽を挟みながら、植原は言葉を紡ぎ続けていた。植原は吸血鬼を知らないが、荒川丈という人物をよく知っているのは確かだ。恐怖心を抱きながらも、寄り添うことは出来るだろうと、今の植原を見て、恭隆は思った。 (俺も、同じ、か……)  吸血鬼という、その一面だけを見ずに、その人となりを見ていけば、手を伸ばすことは出来るはずだ。

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